2015年7月12日 

これはエライことになった・・・

中学時代は田舎から大阪へと急行の夜行列車で22時間もかけて、何度か家出冒険したり、高校を卒業して後は、深夜の大阪街を徘徊したりしたわたしではありますが、このときはさすがに、見知らぬ異国の町にたった一人放り出されて、心細いと言ったらなかった・・・

おまけにトム君、別れ際に「Hey、警官と言えども信用するな。」って、そんな言葉を投げつけないで欲しい^^;パトカーに乗って送ってもらうしか、他に手段はないのだ、アホめ~。元はと言えばあんたのせいだ!と、言いたい不満もこの時は、ひっこんでしまうほどの心細さでありました。

そうです、わたしはフラッグスタッフにあるグレイハウンドバス停までパトカーで送ってもらったのでした。
標高2300mの少し雪の降った町の昼下がり、バス停でわたしはツーソンまでの切符を買い、待合室の長椅子に腰を下ろした。内心は不安でブルブル震えていたのである。

長椅子に腰かけて、周囲を恐る恐る盗み見してみる。周囲が皆、わたしを、わたしのバッグを狙っているかの錯覚に襲われ、グレイハウンドバスがやって来るまでの2時間、生きた心地もなしにその長椅子にひっついて、微動だにせず化石の如し。
やがてバスが到着し、乗り込んだその一瞬、あちゃ~~~、乗客に白人は一人もいなかった・・・

偏見を持ってはいけないぞ、Yukoと、己に言い聞かせて席をとる。しかし、これは初めて見るドキッとした光景でした。欧米人が、日本人ばかりのバスにうっかり乗ってしまったら、同じように感じるのだろうか・・・単一民族国家の日本では当時は起こりえない、そしてこれが移民国家アメリカなのだ、とこの件を後で振り返って思ったことでした。認識甘し^^:

それから数時間のグレイハウンド・ジャーニーの、ただただ長かったこと。フェニックスについた時はすっかり夜になり、そこから2時間くらいがツーソンなのでした。

ツーソン着、夜の10時を回っており、休暇週末と重なって、バス停があるダウンタウンは人影も無く、ひっそりと静まっております。その時のわたしは、タクシーに乗ることすら恐怖でした。もう乗り物はいやだ・・・家への道はダウンタウンの地下道を通らねばならず、響く己の足音にびくつきながら、わたしは足早に走るが如く。いったいそんなわたしの姿はどんな風に見えただろうか・・・

ついに辿り着いた927番地!ドアを思いっきり開けて、わたしはそこにしばらく突っ立ったままだったようですw リビングで思い思いのことをしていた住人達が一斉に振り返り、「どうしたの?」と言われ、初めて、我に帰った(笑)「何が?」と、とっさに平素を装ってみたものの、「顔が真っ青だよ」の一言に、わたしはその場にヘナヘナと座ってしまったのでした。

止むを得ない数時間とは言え、グレイハウンドバスに乗って独りアメリカを走った日本女性って、他にもいるのだろうか・・・

これはわたしが上述したバスの乗客云々を別にして、女性には決してお勧めできる旅行ではありません。恐怖が三話にも渡ってしまいました^^;

とっつばれ。(←津軽弁で「終わり」の意味w)

中学時代の家出冒険はこちら↓

「夜汽車に乗って:急行日本海(1)」
夜汽車に乗って(2)」
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コメント
勝ち気な女性に共通点があるかも^_^
spacesisさん、手に汗握る冒険旅行大変楽しく拝読いたしました!深謝^_^
先晩ご案内の寺崎志野さんも宮城出身みたいで、若いころ、一度神戸に家出、ユダヤ人の家庭の住み込みメイドのご経験ありみたい。多分われわれと同年代みたいです。偶然の賜物ですが
女性は強い^_^時間があれば、もう一度、寺崎志野 太平洋大学 志野の志 ブログのバックナンバーでtraceかた^_^ あら賢^_^

2015/07/13(Mon) 13:15 | URL | やまひろ | 【編集
いつもありがとうございます
後、2週間もすれば夏休みに入りますので、そのときにでも、お勧めのサイト、行って見ます。

勝気とはちょっと違うと自分では思うんだけどなぁ。要は好きなことには興味深々ということでしょうかv-290
2015/07/14(Tue) 07:56 | URL | spacesis | 【編集
仰しゃる通り^_^
行動要因の殆ど全ては、好奇心から始まるかも?小田実ーなんでも見てやろうー、桂三枝いや、分枝のー初めて会ったその日からー瞬殺のウインクかも?ーlibidoが旺盛かどうかには個人差がーあんまりいけいけでは危険かも^_^
なにごともほどほど、ぼちぼちかな^_^
そんなことばかりだと、命がけの 長州ファイブ5名、伊藤博文、井上馨、井上勝などなどのロンドン大学留学中、しかも薩長がまだ険悪な1865年に長州ファイブが一ポンドずつ義援金を薩摩藩士の山尾庸三のGlasgow研修に援助した話は無かったかも^_^ つづきはまた^_^
2015/07/15(Wed) 08:03 | URL | やまひろ | 【編集
薩摩藩から長州藩士の山尾庸三に16ポンド
すみません、間違いました。
薩摩藩から1ボンドずつ合計16ポンドを長州藩士
山尾庸三にでした^_^
2015/07/15(Wed) 08:17 | URL | やまひろ | 【編集
やまひろさん
ほどほど、ぼちぼちもと、手加減する時、所、また「命がけ」の時、所と見極めることが大切なのかも知れませんね。

薩長関係が険悪な状況での援助は「敵に塩を送る」みたいなものかしら^^

母国の歴史をもっと勉強してみたいと思っています。

そうそう、今回のこのエントリーを書くに当たって、確認のため弘前の新町、新町坂を検索しましたら、お勧めの「広瀬氏」のブログにたどり着きましたよ^^
2015/07/16(Thu) 22:31 | URL | spacesis | 【編集
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