2015年8月18日 

今月上旬の夏季旅行で、ポルトガル北部のBarcelos, Ponte de Lima,Melgaço,Monçãoを周って来ました。体調もようやく回復し始たところで、今回はその旅行記を。

毎回のことですが、わたしたちの国内旅行の足は全て車です。日本からの旅行者用に、少し電車情報を。バルセーロス(Barcelos)へは、ポルトの街の中心にあるサン・ベント駅とカンパニャン駅から電車が出ます。ローカル電車(Regional=レジョナル)で1時間ちょっと、それより早いインター・レジョナル(InterRegional)だと45分ほど。両方あわせて、日に10本以上出ていますので便利です。

参考がてら、下はポルトガル鉄道(Comboio do Portugal. 通常、頭文字をとってセーペーと呼ぶ)のミーニュ線(Linha do Minho)の時刻表サイトです。
https://www.cp.pt/StaticFiles/Passageiros/horarios/horarios/PDF/r_ir_uc/porto_
valenca.pdf


バルセロスと言えばガロ(Galo=雄鶏)、と、今では日本人の間でずいぶん広まったと思います。ポルトの土産店でも大小のガロの置物から、エプロン、鍋つかみ、テーブルクロスなど、様々な布にもデザインとして使われています。

barcelos_galo
この画像はWikiより。

わたしが、「バルセロスの雄鶏」としてエッセイに取り上げたのは2006年のことで、その頃は大して知られていなかったものです。今回は再度、そのエッセイをここに掲載してみます。


真実の証、ポルトガル、バルセロスの雄鶏

barcelos
バルセロスの町中、いたるところで見られる大きな雄鶏こと「ガロ」


ポルトガルの雄鶏「galo=ガロ」が世にでたのは、1966年にイギリスで行われたワールドサッカーのイギリス対ポルトガル戦の準決勝の時であります。このガロはポルトガルチームのマスコットとして登場し、準決勝では惜しくもイギリスに下され、三位に甘んじたポルトガルチームですが、それでもポルトガルが上位に躍り出たのはこの時が初めて。

大喜びのポルトガルチームは会場でマスコットのガロを掲げ、以後、この雄鶏はポルトガルの象徴となったのでした。ちなみに、この時のワールドサッカーの得点王は、ポルトガル選手、Eusebio(エウゼビウ。20104に心不全で死亡。71歳。国立のパンテオンに眠っている)なのです。

このガロはポルトガルでは「真実の証、バルセロスの雄鶏」として知れらています。バルセロスは地理上でポルトの上部、ミーニュ地方にあり、当地ポルトのサン・ベント駅から約1時間ほどで行くことができます。「真実の証の雄鶏」の伝説に似たり寄ったりのものがいくつかありますが、下記に載せるのはそのひとつです。

昔から、イベリア半島の巡礼地のと言えば、スペイン、ガリシア地方にある「サンチアゴ・デ・コンポステラ」でした。9世紀の初めに、キリスト12使徒の一人、聖ヤコブ(ポルトガル語スペイン語ではサン・チアゴ)の墓がここで発見され、以後聖地と定められました。ファティマ巡礼同様、サンチアゴ巡礼も現代でも行われまれていますが、サンチアゴ・デ・コンポステラは、わたしも二度、家族旅行で訪れたことがある地です。(後記にて案内)

さて、バルセロスは今でもそうですが、ポルトガルからサンチアゴ巡礼をする時の巡礼路のひとつになりますが、巡礼路にあたる町では下に見る帆立貝の標識が見られます。帆立貝はサン・チアーゴのシンボルです。

barcelos

16世紀のこと。

ある日、この地を一人のガリシア人が通りかかり、宿をとります。ちょうどこの当時、町では盗みが横行し、なかなか泥棒がつかまらない。なんの因果でか、このガリシア人に容疑がかかり逮捕されます。自分は、サンチアーゴにかけた願がかなったのでそのお礼参りの巡礼をしている途中なのだ、と男は無実を訴えるのですが誰にも信じてもらえず、とうとう絞首刑を言い渡されます。

聞き届けられる最後の願いとして、男は自分にその判決を言い渡した裁判官を訪ねたいと言います。町の名士を集めて自宅で宴を開いていた裁判官に、男は再度自分の無実を訴えますが、居合わせた誰もがこれを聞いて信じはしませんでした。

テーブルの上に載せられている丸焼きの雄鶏のご馳走を目にした男は言います。「明日の朝、刑に処せられる時、わたしの無実の証として、この丸焼きの雄鶏が鳴きだすだろう」 これを聞いた人々は大笑いしますが、それでもその雄鶏の丸焼きのご馳走に手をつけないで、明朝まで置いておくことにします。

翌朝、処刑の時刻が来たとき、突如として、テーブルに載っていたご馳走の雄鶏が起き上がり、「コケコッコー!」と鳴いたのであります。びっくり仰天した裁判官は即座に男の無実を悟って刑場まで走り、自分の判決を翻したのでした。

数年経ち、ガリシア人の男は再びバルセロスに立ち寄り、自分の信仰に応えてくれた聖母マリアとサンチアゴを讃えるために十字架を掲げる石碑を建てたということです。その石碑は現在もバルセロスの町に残っています。

と言う訳で、これがガロが「真実の証」と言われる所以なのですが、色鮮やかなバルセロスのガロは、現在ではポルトガルの土産物屋では、飾り物、栓抜き、テーブルセンター等等、色々なものにこのデザインが使われ、大小も様々です。

そうそう、日本では恐らく一箇所、このバルセロスの雄鶏の一番大きいのが、所沢市小手指の北中小学校で、見られるはずです^^なんとならば、我が息子がこちらの学校を少し早めに夏休みし(笑)、小学校2年生の時に、北中小学校で約1ヶ月間、海外からの体験入学生として受け入れていただき、そのお礼にと、わたしが置いて来たものなのです^^

この伝説の中で、わたしには昔からどうしても気になる点があるのです。「ガリシアの男」と「バルセロス」の接点です。上記、伝説の赤字部分にあるように、男は、「サン・チアーゴ・デ・コンポステラへお礼参りの巡礼をしている」と言っていますが、ガリシアは、ガリザ(Galiza)とも言い、ポルトガル北部国境を挟んで接し、州都はサン・チアーゴ・デ・コンポステラです。

すると、ガリシアの男は、巡礼をするのに、上部を目指さないで、わざわざ下方のポルトガル、バルセロスに下りてきたことになります。ガリシアの男がポルトガルに移民して住んでいたのなら話は合うのですが。というので、ガリシア男版の伝説は、いまいちわたしには腑に落ちないのであります。

調べてみると、「ガリシアの男」を単純に「巡礼者」としているものもありますので、そちらの方が話としては納得できます。「ガリシアの男」としたからには、このバージョンを広めた人には、何か理由があるのではないか?ひょっとして、男が後に建てたという「十字架の石碑」と関係がありはしないか?

そこで、今回はその石碑を探しに行ってきました。続きは明日に。

サン・チアーゴ・デ・コンポステラ大寺院については、下記にて案内しています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1224.html

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コメント
Spacesisさん、こんにちは。
雄鶏と巡礼者の伝説、とても興味深いです。雄鶏が鳴いて命が助かり、そのお礼に十字架を建てただとすると、奇跡の伝説とも言えますよね。その雄鶏がその後どこかに行ってしまったのが、その後はごちそうとして食べられたのか、いずれにせよ、国を象徴する大切な存在になるというのもおもしろいですね。それだけ巡礼や信仰、伝統を、ポルトガルの人たちが大切にしているということだとも思うのです。おっしゃるように、この十字架のデザインは、わたしがこれまでヨーロッパで見てきた十字架や聖地のデザインとかなり違うのが興味深いです。Spacesisさんの推測どおりかもしれませんね。

下の記事、マイクロソフトを騙る電話詐欺まであるとは驚きました。こちらではまだ聞きませんが、気をつけます。
2015/08/22(Sat) 17:59 | URL | なおこ | 【編集
なおこさん
あははは。奇跡の雄鶏の行方までは、気が回りませんでしたっけ^^;

おタクがちがなエントリーに反応していただき、ありがとうございます。いつものことですが、誤変換もあったりして、読み返して冷や汗をかいています。

ポルトガルは建国に際してテンプル騎士団との関係が深いところがありますから、ろーマカトリック本家のイタリアで見かけられるシンボルとはまた、ちょっと違うところがあるのでしょうか。

本を読んでいるとイタリアには豊富な隠れシンボルがあると言われ、わたしは大いに興味をそそられています。スコットランドのロスリン礼拝堂とあわせて、いつかきっと訪ねるつもりでおります。

お早い体調回復を願っております。
2015/08/22(Sat) 20:55 | URL | spacesis | 【編集
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