2015年10日1日 

「月日は百代の過客にして、 行かふ年もまた旅人なり。 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。 古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・・」

の、序文で始まる「奥の細道」。今、80歳を越える日本語の生徒さん、アルフレッドさんと一緒に読んでいます。高校時代に暗唱させられ、今でもそらんじられるこのさわりの部分には、「万物は流転し、人生は旅である」との芭蕉の人生観が表れています。1689年(元禄2年)3月、弟子の曾良をともなっての奥羽、北陸、美濃の国(今の岐阜県の南部)までの2400キロを150日ほどで旅しています。芭蕉はこのとき、45歳です。

高校時代にはその人生観に惹かれ、芭蕉にならって放浪の旅をすることに随分と憧れたものです。実際に、そんな旅をして人生の数年を過ごした友人がいます。大阪時代に出会ったイギリス人のロブですが、思うに彼はほとんど世界を回ったのではないか。ロブは、わたしの「アリゾナの空は青かった」のツーソン留学記に登場しています。

さて、「奥の細道」ですが、中学3年生の教科書を使用しています。まずは意味を置き、原文を少しずつ読んでもらいます。古いひらがな仕様がたくさんありますから、学習者にはただ文字を追って読んでいくのも大変です。しかし、何度か読むうちに古文のリズム感の美しさに気付きます。こうして、注にある語彙を参照に意味をつかんでいきます。
教科書に取り上げられているのは、上記の序文と平泉です。

「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」
「夏草や兵どもが夢の跡」
「五月雨の降りのこしてや光堂」

「奥の細道」を読みながら、アルフレッドさんと二人、できるものなら、この路の一部でも歩んでみたいものだと話しているのですが、実はアルフレッドさん、今年の夏に日本で「熊野古道」の一部を5日間、歩いてきたのでした。途中、一度は雨に降られ滑って転んだそうですが、たいしたことにならず無事歩き通したようです。

熊野全体は浄土の地だと考えられ、昔、人々は生きながら浄土に生まれ変わることを目指して、熊野詣の道を歩いたので、熊野詣は、死出の旅であるとも言われたそうです。

古典の授業は、わたしも高校時代に、また、子供たちに教えた補習校時代に戻り、再び勉強をする良い機会になります。
実は古典の授業は楽しむのが教えるわたしだったりするのです。

以下、他の過去の古典授業の様子です。

「日本語生徒と読む平家物語「扇の的」
 「日本語生徒と読む平家物語「平敦盛

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