2015年10月13日 

転んで足を痛めたのやら、日本語を教えるので忙しかったのやらで、ポルト一人探検隊をこのところすっかり失念していたのだが、2、3日前、体重計に乗ってみると、がーーん!となった。ふ、増えてる・・・

「歳をとったら痩せてるとシワが目立つ、少しふっくら目が若く見えていいよ」なんて、丸顔のわたしに言う友達の話を、「うんうん、そうだよね。」と素直に信じたのが油断であった!

足の調子もやっと通常通りに戻りつつあることだし、うまい具合に午後の日本語授業がキャンセルになったので、よし!と、久しぶりに昨日の午後、メトロで町へ出、2時間半ばかり歩いてきた。

行き先は我が気に入りの区域、ミラガイア(Miragaia)。特に今回は、先週ポルトガル語のディアス先生と勉強した「人形の館(Palacio das Sereias)」の側に残っている「Bandeirinha de Saude(Bandeirinha=小さな旗、Saude=衛生、健康)」の再確認も含めて。

ドウロ川から眺めると、ポルトの街並みは家々の屋根が段々畑のように重なっているのが分かる。ポルトの街丘陵地帯に築かれているのである。如実にそれを実感するのが、ミラガイア地区から望める景色だ。ご覧あれ。

Porto Miragaia

ここは14世紀に造られた石段「Escadas do Caminho Nove(新しい道の階段)」。長さは100メートルもある急階段。ミラガイア区域にはこのような石段が他に5つほどある。左に見える石壁は同時代に築かれた、市をぐるりと巡る防御用のフェルナンディーナ・ムラーリャ(Muralhaは城壁のことだが、ポルトには城がないので城壁とは呼べないのである。ムラーリャについてはいずれ取り上げたい)。

わたしはミラガイアに足を踏み入れるときは、いつもこの辺りから始める。日中も閑散としているミラガイア区域はわたしにとり堪らない魅力がある。一歩入るや、まるで中世に紛れ込んでしまった気がする。その歴史を知ると尚更だ。

ミラガイアの起こりは2世紀、ローマ時代に遡ると言われる。13世紀には、漁師が多く住み、ドウロ川という地の利を得て、運送業、商業の中心地であった。また、職人や商人が屋敷を構えることも多かった。特にポルトガル国内からのユダヤ人追放、15世紀まで、ミラガイアにはユダヤ人社会が築かれていた。その名が「Rua do Monte dos Judeus(ユダヤ人山の通り)」として現存する。
 
Porto Miragaia
ミラガイア地区の石段「Escadas de Monte dos Judeus」。

今回は入り組んだ狭い道を通り、いったんミラガイアの平地に下りて、この石段を上った。石段の途中の横道に入ってみると、奥まったところにこんなドアがあったが、シナゴークではないかと思う。

Porto Miragaia

この家の横にもう一本細い坂道があったので入ってみたが、行き止まりだった。

Porto Miragaia

「ユダヤの山の石段を上りきったところが「ユダヤの山の通り」である。 

Porto Miragaia
「Rua Alménia(アルメニア通り)

アルメニア通りは、15世紀の東ローマ帝国滅亡、ひいては、ローマ帝国滅亡となったオスマン帝国によるコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)陥落時、住民のルメニア人のほとんどがキリスト教の一派、アルメニア使途教会信者であったため、コンスタンチノープルを捨てて難民となり住み着いたところがミラガイアのこの通りである。
Porto Miragaia
 
ユダヤ人放浪もコンスタンチノープル陥落もわたしたちが知っている遠い西洋史上の出来事ではあるが、この区域を歩いてみると、歴史に翻弄され流浪してここにたどり着いた民族の哀切を現代も伝えているような感じがしてならない。

ミラガイア、続きます。
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