2015年11月14日 」

今日は、バルセロナで最後の夕食をとったレストラン「Botafumeiro」の案内です。

「Botafumeiro」の意味は、スペイン、サンチアーゴ・デ・コンポステラ大寺院で使われる、天井からぶら下がる大きな香炉のことです。儀式で、聖堂内で振り子のように振られます。もっと知りたいと言う方は、下記の過去記事にて取り上げていますので、どぞ。

サン・チアゴ大聖堂の大香炉・ボタフメイロ

レストラン「ボタフメイロ」は、バルセルナでも有数のシーフードレストランです。わたしたちはバルセロナ最後の夜食に行きました。

botafuemiro

入り口を入ると、右側には、クリントン前米国大統領、ウッディ・アレンを始め、これまでレストランを訪れた著名人の写真がズラリと壁にかけられています。

ワインは、ポルトガル北部でも知られる「Alvarinho」で、前菜から始まり、

botafuemiro
まぐろとチーズを盛り合わせた前菜。タレは醤油味。これはおいしかった

botafumeiro3-2.jpg
前菜。シーフード。タラだと思われる。

そして、出てきたメインディッシュの量の多いのにはうわー!とびっくり!

botafuemiro

botafuemiro

もちろん皿に乗っているのは4人分ですが、小食のわたしには、一人分でも、とても食べきれる量ではありませんでした。

サービスよし、客はみな、かにバサミ、かにスプーンを手に。必死にこれらのシーフードと格闘しておりました。一人分、締めて1008ユーロ(約14000円)なり!食べきれず、残した料理がうらめしかったわたしでありました。

さて、同じ食卓に着いた夫の知り合いで、現在はリスボンの病院に勤めるドクターの、「奥さんの(って、わたしのことですばい^^)ブログでポルトの写真をたくさん載せてくれて、嬉しいよ。長い間、離れてはいるが、自分はポルト出身だからね」との言に、

となった一幕もありました。

「げ!ど、どういう経緯で拙ブログにたどり着いたんでありんすかね??」とわたし。
「”Porto Sentido”がキーワードであるよ」と件のドクター。

なるほどなるほど。そう言えば、わたしはこの歌を何度かブログで取り上げているし、我がモイケル娘の過去ブログにもこのキーワードでたどり着けるのではあった。

「Porto Sentido(ポルト・センティード)」は、リベイラの哀愁をあますところなく歌いこんだ、ポルト出身の歌手、RuiVeloso(ルイ・ヴェローゾ)の歌です。わたしは「哀愁のポルト」と勝手に邦訳しているのですが、よろしかったらお聴きのほどを。



バルセロナの紹介が、最後はひいきポルトの話で終わるわけで、お粗末さまでございました。


インフォーメーション
レストランBotafumeiro
住所:Carrer Gran de Gràcia, 81, 08012 Barcelona, Spain
予算:1000円以上
予約を入れるべし。


ではみなさま、また。
  
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コメント
大香炉も大鐘楼の鐘つきも、蹴上げでロープにぶらさがり(^o^)
ボタフメイロの美味しそうな料理ー一度は食べたい(^o^)クリントンもウディアレンもこられたとか(^o^)当然カップルでかも(^o^)

ユウチュウブ画面の奥の橋、ドン ルイス 1世 鉄橋がカッコいい。
1881年から1886年にかけて5年間で、あのギュスターヴ 「エッフェル」の弟子、テオフイロ セイリブがまったく無事故で完成させたみたい。凄い!

唐突ですが、パリの同時多発テロが凄惨。
一神教同士の歴史的な遺恨争いは世界各地でますますエスカレートする気配。
爆撃そして自爆テロのイタチごっこはもういい加減止めてもらいたい!もっともらしいstatement合戦も止めていただきたい!

法王のボタフメイロぶら下がり祈祷、日本の大鐘楼のぶら下がり鐘つき祈祷の世界同時発信パーフォマンスでなんとかなりまへんか!
2015/11/15(Sun) 11:35 | URL | やまひろ | 【編集
シリアの歴史 Wikipediaによる一考察
この地域は、先史時代から現代まで目紛しく支配国が変遷している。
まさに人類の歴史の縮図のエリアであるとWikipediaに記述がされている。

紀元前6000年には、灌漑農業が発達して、紀元前3000年にセム語文明圏、紀元前2300年エブラ国、紀元前2250年アッカド、紀元前1850年アッシリア、紀元前1759年バビロニア ハムラビ王の支配下、紀元前612アッシリア滅亡、アカエメネス朝ペルシャ、紀元前322年マケドニア アレクサンダー大王の支配下、紀元前301年セレウコス朝シリア、紀元前200年古代ローマの支配下。

AD700年 イスラム国、AD1100年セルジュークトルコ、AD1194年 クルド王朝、AD1260年モンゴル帝国一時支配、その後エジプトアムルーク王朝、そこ後オスマントルコが支配、AD1920年フランスが統治、そのあとAD1936年フランスーシリア戦争、色々あって現代に至ります。

シリアのみならず中近東の国々の国境が直線引きが多いのは、
当時のヨーロッパ列強の横暴と打算の賜物であると思われる。

島国、やおよろずの国の日本人には、どうしても理解できない感情の縺れが、この国
、地域の人々の深層心理とういうか、DNAの奥底にトラウマとして、連綿と残存しているのかもしれない。
敵対する感情の齟齬を解き放つには、貧困の打破、安全な環境の構築、教育環境の整備、などなどの地道な各国の支援とスマイルが一番必要。
敵愾心横溢のstatement合戦は状況を悪化させるだけと思われる。





2015/11/16(Mon) 09:04 | URL | やまひろ | 【編集
やまひろさん
この問題はとても難しくて、よく理解できないのです。洗脳による価値観の違いか、それとも単に金が目的か。

残念ながら解決法は誰も持たないのではないかしら・・・何しろ、話し合い云々が通じない相手です。

ここまで過激ではないけれど、わたしたちの周りにも理解が難しい国、人達がいますよね。

本当に、いったいどうすればいいのよ?と・・・

2015/11/18(Wed) 17:05 | URL | spacesis | 【編集
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