2016年1月31日
 
2、3ヵ月に一度ほどの割で、食事会を持つ4人の日本人仲間がいる。4人とも連れ合いはポルトガルの人である。

ポルト在住が25年以上になるI氏は、ポルト補習校の創立間もない頃から共に携わって来た人で、彼の子供たちも何年か受け持ってきたが、わたしに続いていったん補習校講師を退いたものの、今年度は全くのボランティアで高校生を教えている。毎年、秋からこの時期くらいまで、彼の自家製の大根は大いに重宝している。

大阪出身の多少口さがない友とも、一時往来が途絶えたことがあったが、かれこれ30年来の付き合いになる。話し出せば面白く、わたしもポルトに来る前は10年ほど大阪にいたので、つい釣られて 関西なまりが出てしまう間柄だ。

ポルトの在住日本人の中でもそうなのだが、この二人とわたしは同年代でわたしが最年長になる。日本で育った時代を共有するので、価値観がどこか似通っている。

この三人の年寄りたちの中に、一緒に日本語教室をしている40代のOちゃんが入る。小中学生二人の子供がいる。わたしたち3人とは親子ほどの年齢差になるが、彼女の価値観はわたしたちのに近いのが面白い。

待ち合わせ場所を決め、レストランで乾杯し、久しぶりにポルトガル料理に舌鼓しながら、わいわいおしゃべりするのは、楽しいものだ。時間がたつのも忘れ、毎回3時間以上の食事になり、その後、はしごして、もう一軒カフェに入っては、おしゃべりが更に続く。

話の内容はと言えば、子供たち、家族のこと、仕事のこと、日本の政治のこと、将来我々が入るであろう、お墓のことなど多岐にわたる。

レストランはダウンタウンにある「Solar Moinho de Vento」
Solar Moinho de Vento
こちらにて案内 →http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1197.html

少し高めのお値段だが、ダウンタウンにあるほとんどのレストランは日曜日が閉店なのに、ここは空いているので助かるのと、いつも予約する二階の窓際のテーブルは、ゆっくり話ができるのがいい。

そして、レストラン閉店ぎりぎりまで話しこみ、この後、ちょうどわたしたちが行く時間にはピアノが流れる「Guarany(グアラニ)」で一息ついて解散するのが定番だ。

しかし、今回は食事をレストランAbadia(後日案内)で、カフェはサンタ・カタリナ通りのマジェスティック・カフェへと繰り出した。日本語教室で忙しくなる前に、わたしは独りでよく訪れ、カフェとスコーンを注文したものだ。

と言うので、前置きが随分と長くなりましたが、マジェスティック・カフェ(Majestic Café)のご案内です。

ベル・エポック(フランス語、belle epoque )と言う言葉をご存知だろうか。フランスでパリを中心に新しい文化や芸術が栄えた19世紀末から20世紀初めにかけての時代を言う。女優のサラ・ベルナール、ロートレック、詩人ランボー、ボードレールなどが活躍した時代だ。
 
パリの一番最初のカフェのお目見えは1667年と聞く。1715年には300ほどのカフェがパリにあった。これらの中でも最も有名なのは「カフェ・ド・プロコープ」。ボルテールやルソーが常連客だった。
 
フランス革命時期には、政治家やマラー、ロベスピエール、そして若き日のナポレオン・ボナパルトも集っていたと言われる。このカフェは現在では「ル・プロコープ」としてパリでも老舗のレストランとして営業おり、筆者は2007年秋にパリを訪れた際、そこで夕食を楽しんで来た。(後日紹介)

さて、ポルトの最初のカフェは「Café Lusitano」と呼ばれ1853年に開店した。1921年、パリにはかなり遅れてではあるが、ポルトの目抜き通りSanta Catarinaに建築家ジュアン・ケイロス(João Queirós)によって開店された「カフェ・エリート」が、Majestic Caféの前身になる。(1922年改名)

20年代には文人や芸術家たちが集い、討論に花咲かせたマジェスティックは、ベル・エポック時代の歴史を語る「ポルトのエスプリ」とも言えよう。マジェスティック はその古きよき時代の名残を今に残している。
マジェスティックカフェ
2016年1月現在 

しかし、60年代に入ると、時代の変化に抗えずに衰退。80年代に入って詩の文化遺産としてポルトっ子たちの関心を集めるになった。10年の年月をかけてオリジナルの華麗なアール・ヌーボースタイルを見事に復元した。

マジェスティックカフェ

美しいファシャーダ(正面入り口)をくぐると、店内には小さな白大理石のテーブルにアンティークの椅子、木彫り細工の大鏡が訪問者を別世界に誘う。

マジェスティックカフェ

マジェスティックカフェ

マジェスティックはシラク元大統領を始め国内外の著名人が多く訪れている。かのJ.K.ローリングは、ポルト在住中にここを気に入り、第一巻「ハリー・ポッターと賢者の石」の一部をここで書いたと言われる。

マジェスティックカフェ

ローリングがどのテーブルに着いてどの章を綴ったのか、とエスプレッソをすすりながら想像してみるのも魅力的ではないか。

本日はこれにて。
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コメント
ベネチアのサンマルコ寺院の回廊の一角にある、古いカッフェ フローリアンで脱獄したばかりの元聖職者のカサノバはパリへ高飛びするまえに堂々と一服したそうな(^o^)

カサノバはのちにのちにヨーロッパ各地で浮き名を流し、数々のエピソードが伝記に綴られいる。
7年戦争のアウスブルクの国際会議になんとポルトガル代表の随員としも参加したそうです。
カサノバはなんとなく多羅尾ばんないを演じた片岡知恵蔵を彷彿させる。
知恵蔵さんの御子息はポルト、パリ、ベネチアに飛んでいるJALのトップとか(^o^)
因みに小生はベネチアは過去に3回、三様のルートで参りました(^o^)
カジノ島で遊びました(^o^)
2016/02/05(Fri) 07:56 | URL | やまひろ | 【編集
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