2016年2月13日

何が大変といって、アパートの明け渡しほど、ややこしいことはなかった。
アメリカでの暮らしに必要な最小限の身の回り品をだけを残して、後は全て処分しなければならなかったからだ。

家具類は当然ながら、ステレオ、クーラー、冷蔵庫、電話、衣類、書籍ETC(自慢ではないが、テレビは持っていなかったw)。
売れる物はすべて友人知人、その他のつてで二束三文で換金したり引き取ってもらったりした。

その中でどうしても処分しきれないものに、当時飼っていた「ポチ」というトラネコちゃん、そして、お気に入りの白いギターとLPたちがあった。キャッツ・スティーブン、ジャニス・イアン、スティーリー・ダン、中山ラビ、エディット・ピアフ、MJQ、 サイモン&ガーファンクル、ジョン・デンバー、ジョルジュ・ムスタキ・・・どれもわたしの青春時代の心の支えになった音楽である。とても捨てられはしない。

野良猫だったのを拾い上げたポチといえば、毎朝の出勤に、追い返しても追い返しても駅までついてきて、わたしを見送ってその後は、我がアパートの開けっ放しの台所の窓から入り込み、日中ひっそりわたしの帰宅を待っているネコだったのである。
これをどうして捨てられよか。

ポチも白いギターもLPも、近くに住んでいた「ミチべぇ」こと、会社の後輩&親友のご両親宅で、いつ帰るともわからないわたしではあったが、預かってもらえることになった。

白いサムソナイトの旅行かばん20キロの荷物がわたしの全財産である。その中にたった一枚、聴けるわけでもないのにわたしは大好きな自由人歌手とわたしが呼ぶ「ジョルジュ・ムスタキ」のLPを忍び込ませた。

1978年1月19日、母、義弟、親友のミチべぇ、キャセイクルーズの我が友Davidに見送られて、当時の東京国際空港「羽田」から飛び立ったのです。

さらばアサヒ、さらば我が仲間たち、さらば我が、苦しくも楽しかりし大阪の青春。

アサヒビアハウス

と言うわけで、「あの頃、ビア・ハウス」は、yuko、アメリカへひとッ飛びと相成り、アサヒのステージ同様、今回を持ちまして取り合えずいったん幕をおろさしていただきます。アサヒでの歌姫家業は、これで終わらず、再びアメリカからの帰国、そして、ポルトガルからの一時帰国時にカムバックするのでありますが、それは、またいずれかの折にでも。

エピローグとして、2016年、ビアハウスから37年後の現在をつづります。

夫と初めて会ったのも、この思い出のアサヒ・ビアハウス梅田です。1977年6月30日でした。その日は彼の30才の誕生日でしたからよく覚えています。出会ってから2ヵ月後に、彼は広島大学病院研修生として広島へ移動したので、わたしたちは今で言う「遠距離恋愛」でした。会うのは月に一度か二度、わたしが広島に出かけたり、彼が大阪に来たりの逢瀬でした。

わたしたちが出会って半年後には、わたしはアメリカ行きの目的金額を達成し長年の夢だった渡米の準備です。彼にも後押しされ、アリゾナのツーソンと言う学生町へ。距離を置いて国際結婚についてお互い考える期間を置くためにも、別れ別れになりました。が、結果として、わたしはアメリカ移住の夢を捨て、翌年、大学の英語コースを終えるなり、日本に帰国したのではありました。

わたしたちは結婚式こそ挙げませんでしたが、親友michikoとかつての会社の同僚ザワちゃん二人に証人になってもらい、京都府伏見区役所に婚姻届を出したあと、このビア・ハウスで常連や会社の仲間たちが祝福してくれました。

黄金時代の重役さんMr.高松曰く、「なに、アメリカから半年で帰ってきたのと同じく、ポルトガルへ行っても、ゆうちゃんはまたすぐ戻ってくるさ。あははは。」

確かに時々帰国はしますが、あれから37年、結局「ふうてんのおゆう」はその名を返上して、海を隔てた向こうはアフリカ大陸があるというポルトガルで、二児に恵まれ子育てに専念し、あっという間に年月は過ぎました。子供たちが成長した後は、日本語教室を開講し、現在は小さいながらも20数名のポルトガル人の老若男女を抱える日本語塾を開いています。日本でよりポルトガルでの生活が長くなった今、ここが終の棲家になりそうです。

わたしが歌ったアサヒビアハウス梅田があった同和火災ビルは改築され、フェニックスビルとなり、ビアハウス梅田は現在、「アサヒスーパードライ梅田」とその名を変え、今も同じ場所、ビルの地下にあり、今でも月に一度の割で常連たちは集っているそうです。

昨年喜寿を迎えたアコーディオンのヨシさんはその会合で相も変わらず変わらずアコーディオンを弾くとのこと、アサヒスーパードライを訪れたら、ひょっとすると、わたしが紹介してきた常連に会えるかもしれません。

わたしの中でのアサヒ・ビアハウスは今も変わらず、少し薄暗くて、大理石柱があり、ヨシさんのアコーディオンと大先輩、宝木嬢の姿がホールに見え、常連たちが立ち飲み席で飲んでいる、あの光景なのです。それこそが、わたしの梅新のアサヒ・ビアハウスです。目を閉じればあの頃の常連たちのそれぞれの持ち歌が今も聴こえて来るようです。

yuko14-1.jpg

旧アサヒ・ビアハウスの仲間には、塩さん、歯医者さん、土佐さん、A.D.葉室先生、高橋店長さん、タンゴのおじさんと、もうアサヒには来るにも来られない人たちもいますが、みなさん、きっと天上で再会し乾杯していることでしょう。このような素敵な思い出を残してくれたみなさんに心から感謝して、Ein Prosit!
               
このシリーズは、これで一件落着です。読んでくださったみな様、つたない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、この後、すぐツーソン留学記につながりますが、既にアップ済みです。興味がある方は、左メニューから「アリゾナの空は青かった」へどぞ。
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コメント
spacesisさんすごいですよ、いつもですが読み応えが!面白ってことはspacesisの人生のことですよね。こういう方がいてうれしいですわ。またです。
2016/02/13(Sat) 21:17 | URL | kumi | 【編集
spacesisさん こういう方がいてうれしいですわ なんてごめんなさい。何のつもりもないのです。素直にspacesisさんの来し方を思って憧れます。私にはできなかった。私5歳下です。
2016/02/13(Sat) 21:23 | URL | kumi | 【編集
Kumiさん
なんのなんの、お書きになったこと、気になさらずに。わたしは気づきもしませんでしたよ。

でも、本当言うと、ワクワクもしましたが、貯金がなくなったら、どうするのだ?という大きな不安もありました。

まぁ、なんとかなるさ、のク○度胸があったような^^;それと、やはり若さでした。

いつも読んでいただいているようで、ありがとうございます!
これからもよろしくお願いいたします。


2016/02/14(Sun) 01:19 | URL | spacesis | 【編集
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