2016年2月23日 

さても、前回の5人のアラブ王(イスラム王)を破り、ポルトガル王を名乗ったエンリッケスは勢いも得て、翌年1140年にはTui和睦もなんのその、ポルトガル独立の強い意思をレオン国王に示し、再び兵を挙げて、今度はGaliza(ガリーザ=現在のポルトガル北部とスペインの境界にある州)を攻めます。
ガリーザは下図、Tui(スペイン語ではTuy)がある州です。

arcos de Valdevez
地図はWikiより

レオン国王もポルトカーレ領土を侵攻し、両軍はArcos de Valdevezで騎士同士の戦をします。

「Torneio」とはトーナメントのことですが、これは「中世の騎士の競技」ではなく戦い、しかも激戦でしたこのときのArcos de Valdevezの大地は真っ赤な血に染まったと言われます。 

軍配はドン・アフォンソ・エンリッケスのポルトカーレにあがり、レオン国王は休戦をもちかけ、これを機に、このトーナメントの3年後、1143年、エンリケス王子はアフォンソ7世からついにポルトガル王の称号を認められる。

しかし、エンリッケスが名実ともにポルトガル初代王になるには、アレキサンドレ三世教皇の承認を得た1179年まで待たなければなりませんでした。

しかし、ポルトガルは1143年を建国年号としています。
サンベント駅のアズレージュ絵、Torneio deArcos de Valdevezは1140年の両軍の騎士たちの激戦の模様を描いたものなのです。

こうしてみると、ポルトガルは、わずかな軍で大軍と戦わなければならないことが何度もあり、その都度、大軍を負かしてきたという歴史的事実があるわけですが、今回のオウリッケの戦い、Arcos de Valdevez の戦い、そして再びスペインが絡むポルトガル内戦のときの、14世紀のBatalhaでの戦いと、小国ながら、なかなかに勇猛な武人が多かったと言えるのではないでしょうか。それは、この後にやってくる大航海時代にもつながります。

今回取り上げてきた、エンリッケス伯は、ポルトガル北部のギマラインスに生まれ、ポルトガルを建国し「ブルゴーニュ王朝」を開いた初代国王、アフォンソ・エンリッケス王です。この後もエンリッケやアフォンソ○世と似たような名前が王国で使われ、紛らわしいのですが、これは現在のポルトガルでも同様で、同姓同名がとても多く、電話帳など開くものなら、もう大変なことです。

さて、昨年夏にポルトガル北部の銘酒、アルヴァリーニュの里である、メルガッソ、モンサォンと周ってきたのですが、帰途、たまたま「Arcos deValdevez」の名前を目にしたわたし、夫に是非と頼んで昼食しがてら寄り道してもらったのでした。

arcosdevaldev1.jpg
Wikiより

「歴史的な騎士の激戦の跡」を探して、標識案内がないものかと、町の中を捜し歩いたのですが、見当たらず。そこで、市役所に入って思い切って聞いてみました。すると、役所内にはポルトのサンベント駅にあると同様のコラッソのアズレージュ絵が壁にかけてありました。

arcos de Valdevez
 
市役所の受付の女性に、コラッソのアズレージュに描かれてある戦場跡はどこかと訊ねますと、「はっきり特定できない」のだそうです。う~む・・・しかし、戦場は平地ではなくて山中と記録ではなっているそうです。ご当地もよく分からないということであれば、こちらはなんともし難し。何のヒントもないのに、素人が探し回るわけにも行きますまい。

そして、諦めかけたとき、町外れ山中に古城があることを知りました。わたしたちはその古城を見てみることにしました。

次回はその古城についてです。

本日も読んでいただき、ありがとうございました。
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