2016年3月1日 

たいして上手くもない文章ではありますが、拙ブログは、わが子たちに母親がどのようなことをし、どんなことを考えて生きたかを伝えたいと思い、始めた日記形式のブログでした。それが足掛け12年ほどにもなっていることに気づきました。ブログは2006年2月に始めていますが、それ以前は2年ほどホームページで日記を綴っています。

ホームページ開設は2004年6月とあり、ちょうど我がモイケル娘が日本の大学受験を目指して旅立った頃で、タイプだけは早打ちできるものの、パソコンの、ネットの何たるかを皆目知らず、モイケル娘に手ほどきを受けながらやっと開設に漕ぎつけたものですが、当初はホームページ更新に随分苦労したものです。

このホームページ開設は、自分が日本へ行った後の母親のことを慮った娘のわたしへの置き土産だと思っています。実際に、ホームページやブログのお陰で、子供たちが家を出た後の寂しさから随分救われてきました。また、それらを通して、新しい友人や旧友との再会もあったりして、文明の利器とはかくあらん、と頷いています。

時には、もう少しゆっくりしたいと思うこともあれ、近頃はブログを始めた当時と比べ、日々、日本語教室で忙しい生活が送れるようになったのも、夫と二人きりの暮らしになったことが関係していると考えています。しかし、時折、年に一度しか会えない子供たちに思いを馳せるとき、古い日記を紐解いてみるのです。先日の寒い日曜日の午後はそんな日でした。

古い日記をあれこれ読むにつけ思うのは、わたしってホンマ、アホなことをして来てるかもなぁ、と、笑わずにおられず、読みながら一人、あははは、あはははとやっていました。そばから夫が何がおかしいのかとイブカシゲに聞いてきます。これが、日本語の機微をつかめていない人にはうまく伝わらんのです。えらそうにw

というので、何を笑っていたかのと、言うと、閑話休題、題して「ズッコケエイリアン」。

「文章の書き方のコツ」の授業で、英語の短い作文の宿題が出たと、昨日、モイケル娘。とにかく、脚色していいから面白いものを書けという米人講師の話に乗って、彼女がさっさと書き上げたと言う文章を読んで、思わず「おいおい^^;」のわたしでした。

「作文のネタに困ったときは、おっかさんをダシにする。いっくらでも書けるんだよ。」って、知らない人が聞いたら、あたしゃ、なにかい、ズッコケてばっかりじゃないの・・・^^;

人に話すと「いい歳コイて」と蔑みの目で見られかねないと、ずっと言わないでいる話がある。
が、妹や我が家族は知っていて、時々彼らのからかいの的にされてはわたしがプンプン怒る羽目になる話ですが、それを暴露しているのであります(笑)ブログやホームページ記事では、わたしもせっせとモイケル娘や息子の暴露記事を書いているので抗議できない。

で、モイケル娘、わたしの好きな「宇宙考古学」から宇宙人話を引っ張りだして来ている(笑)
この手の本はわたしが日本から持ち込むと、熱中して読むので他のことはほったらかしになることが往々にしてあり、夫も子どもたちも「まぁた、始まったか・・」とほぼ諦めの境地のようであります。
ひとり密かな楽しみとして読んでおればいいものを、家族にはついつい本で得た知識を披露しないではおられず、それをしては息子などに「ぐははは」と毎回笑われてしまうのでした。
「おまいら、そうやって笑っておけぃ・・・。シュリーマンだって、周囲にさんざん嘲笑されながらも、見てみぃ、最後には見つけたのだ、トロイの遺跡を・・・」と面白くないわたしは、途中で口をつぐみ、悔し紛れに心中この言葉を繰り返すのであります(笑)

ところが、わたしと同じ趣味の人が夫の親戚にいたのですね。今はもう定年退職した、夫の叔父にあたる人ですが、彼も数十年来こういう本を集めて読んでは面白がっているのです。職業は医者であった笑)ねぇ、だから、あながち、わたしがねじ一本抜けているとは言えないでしょ?

さて、内輪だけが知ってて言わないで来たその話とは。

娘が高2で、東京練馬区にある大泉学園高校に一月ほど体験入学した年の事。
相変わらずわたしは、宇宙考古学の本を買いあさっていたのですが、ある夕食時、なんの拍子にか、ずっと以前から気になっていた、自分の左耳にある小さな穴について話したのです。当時は母がまだ元気で、記憶もしっかりしていました。母は覚えていて、「子どもの時から、あったのだよ」と言う。

ふ~んと、そんなことはあるわけもないだろうと思いながら、遊び半分の気持ちで、続けて

わたし「おかあちゃん、わたし、子供のころ、行方不明になった、なんてことないわよね?」
母   「いや、あるよ。3歳くらいの時に。近所のもう一人の子といなくなってしまって、警察、
    ご近所で大騒ぎで探し回った。夕方にやっと見つかったその場所が、裏の田んぼのずっと
    向こうにある大きな墓地内で、墓石にチョコンと二人座っていた。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この時のわたし、鳥肌がたったのでありましたっけ。うわ!abduction!(拉致)w

もちろん、本人であるわたしに全く記憶はなし。この話を夫や息子に話して以来、我が家でのわたしのあだ名は「エイリアン」・・・・

モイケル娘の作文のコメントは、米国人講師のお言葉で「Is your mother OK?」@@ご~~ん
お、おふざけじゃござんせん^^;ジョークもほどほどで行こうよ、ほどほどで。事実をちょっと脚色したものだと、しっかり言っといてよ・・^^;んもう!

時折、わたしは母のこの話を思い出しては、一緒に行方不明になったというそのもう一人の子に会って聞いてみたいと思うことがある。「ねね。あなた、耳に小さな穴、もってない?」

その子が近所の誰なのか、母が亡くなった今は知る術もない。 
下の写真は60年ほども前の古いものだ。母が言った、「裏の田んぼのずっと向こうにある墓地」の「裏のたんぼ」とはこんなところなのです。
   
sobo-3ninshimai-1.jpg

我が故郷、弘前の同窓生たちには分かるであろうが、彼方右に突き出て見えるのは「仏舎利塔」である。

写っているのは、我が祖母タマばぁちゃん、後ろの三姉妹が向かって右から我が母、その横の二人が叔母たちの若き日の姿だ。左が姉妹で一番下の、わたしが中学時代に一時期大阪で一緒に住んだ叔母で、わたしはこの叔母にとてもよく似てると言われたものである。

左端に移っている坊主は、もう何十年も会っていないわたしの従兄妹。下町のタマばぁちゃんのうちは大所帯で、少なくとも4家族が同居していたのであった。この従兄妹の家族も同居家族であった。
こうして今、改めて昔の写真を見ると大きかったと思われていた小川がなんとまぁ、小さいこと!川に渡してある板橋に腰掛けて、妹と二人で水草を足に引っ掛けて遊んだのは夏の遠い遠い日々のことだ。
この川の辺りでたくさんの蛍をとって持ち帰り、蚊帳の中に離してひと時の夢に浸った遠い夏の日々だ。

わたしは今でもカナヅチだが、この浅い川底に両手、腹をついて(笑)泳ぎの真似の如きをして、得意がったものだった。田んぼの向こうにうっそうと茂る林の辺りが墓地になるのだが、小学生の頃は空になった炭俵を背負い、この田んぼを通ってではなく、表通りの道からグルッと遠回りしたところにある坂道を上り、墓地で薪の燃料となる落ちた杉の枝拾いをしたものだ。

この写真を見ても思うのだが、広い田んぼを越え、恐らくは崖をよじ登りでもしないと辿り着けない墓地まで、三歳のわたしがどうやって行ったのか不思議でならない。

表通りを歩いて行ったとしても、今と違い、町内同士親も子も顔見知りであったあの時代に、昼日中誰の目にも触れず、二人の幼児が誰かに手を引かれでもして行ったのだろうか。いくら、記憶を掘り起こそうにも三歳のことでは、掘り起こしようがない。

この写真にあった田んぼも川も、ある年、みぞれの降る中、同窓生のタコ君の車で40年ぶりに訪れたのだが、今ではつぶされて跡形もなく、あたりは新興住宅街になっていた。

わたしの左耳にある、ちょっと見では他人に気づかれない小さな耳穴は、今ではこうやって家族の笑いのネタにされてしまったが、本当のところはというと、どうにも分からないのである。

「is your mother ok?」娘の米人教授の声が、また聞こえてきそうだが、してみると、子供たちに残さんがため綴るこのブログ日記は、「ズッコケエイリアンの遺書」とも言えそうな気がしてきた(笑)


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