2016年06月29日 (水)
2016年6月28日
さて、今月24日に参院選投票のため、リスボンの日本大使館に出かけた折、事実確認をしたいと思い現地で行った見たのがロシオ駅のファサード。ファサードとは装飾で飾り付けられた表玄関のことです。
夜景でも美しいロシオ駅は、大使館があるリべりダーデ大通りをテージュ河口に向かって下りていく、旧市街、Baixa(バイシャ)と呼ばれるロシオ広場に面しています。

建物は19世紀後半にネオ・マヌエル建築様式で造られ、主要入り口は馬蹄をかたどった華麗なアーチ型になっています。右側は、ポルトガル初の「スターバックス」。

建物の上階がシントラなどのリスボン近郊路線の発着駅となっています。さて、本題はここからです。
この二つの馬蹄型アーチ入り口の間の窪みには、125年前に造られたポルトガル国王、ドン・セバスチャン1世の石像で、国の歴史遺産に指定されています。

で、この石像、今回の確認はこれ↓

あるはずの場所に石像がない!
これは、去る5月に心無い若いツーリストが自撮りしようと、カメラ片手にここによじのぼろうとした結果、重みで石像がくぼみから地面に落ち、粉々になってしまったのであります↓

ツーリストは現場から逃げようとしたところを警察に取り押さえられ、歴史文化遺産管理局は破壊事件として立件、追訴もありうると言う、「あちゃ~」な出来事でした。
実は警察はこのツーリストの国籍を明かしていません。 昨年、ここを訪れたときに目にしたたくさんのツーーリスト、その中で特に若い人たちがキャーキャー言いながら自撮り棒で写真を撮っていましたが、それを横目に夫と「あれ、大丈夫かしら?」と話していたことを思い出し、とうとうこんなことが起こってしまったな、の感です。
上の写真を見ると分かるとおり、ほとんど粉々になった石像は修復不可、が、長年ポルトガル王家と強い絆を結んできたリスボンのGama Pinto眼科病院(かつてのConde de Penamacor宮殿)が、同じようなドン・セバスチャン1世の石像を所有しており、これが寄贈されることになりました。
というのは、Condes de Penamacor宮殿は、ロシオ駅に置かれてあった石像作者、Edmund Bartissolの宿泊先でもあったことで、ここでオリジナルモデルが長い間保管されてきたのだそうです。
いずれにせよ、壊された石像はもう元には戻らないけれど、なんとかこれで埋めることができるという決着がつきそうですが、観光地を訪れるときは、それにダメージを与えないように、わたしたちも日頃から十分きをつけなければなりませんね。
最後に、ドン・セバスチャン王について。実はミステリアスな王なのであります。
アヴィス王朝の最後から二人目の国王で、1557年に3才にして王になったものの、祖母ドナ・カタリナが摂政となり、14歳になった1578年に王座につきました。他の王があだ名を持つように、ドン・セバスチャンもまた、人々からは「O desejado(待望王)」と呼ばれ、冒険心に富んでいたようです。

しかし、その冒険心が裏目に出て、かつて征服した北アフリカ領土を、夢よ、もう一度と18000の兵を率いてアルカセール・キビール遠征を試みたのが、惨敗を喫します。この時、敵のムーア人は十分に訓練された兵70000。 ドン・セバスチャン王24歳で、この戦いで行方不明になり、遺体は発見されずじまいです。このため、1580年から1680年の間には、ドン・セバスチャン王だと名乗る人も数人出ました。
行方不明になった王に因み、ポルトガルの伝説には「ドン・セバスチャンがいつの日か、霧の深い朝に白馬にまたがり戻ってくる」と言う伝説が生まれました。
この戦には国家歳入の半分が費やされ、王国は大きな損失を受け、独身だった王には後継者がなく、
200年続いたアヴィス王朝は、次のエンリケ1世のわずか3年の在位で、終焉を迎えます。
壊されてしまったロシオ駅のドン・ジュアン国王、少なくともその石像は、再び同じ場所に戻って来る日も近いでしょう。ひょっとして、リスボン、その伝説に則り、オリジナル石像があると言う、かつてのConde de Penamacor宮殿からロシオ駅まで、白馬に乗せてドン・セバスチャンを戻らせたら粋じゃないの?なぁんてことを想像しているわたしです。
本日も拙ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。では、また!
さて、今月24日に参院選投票のため、リスボンの日本大使館に出かけた折、事実確認をしたいと思い現地で行った見たのがロシオ駅のファサード。ファサードとは装飾で飾り付けられた表玄関のことです。
夜景でも美しいロシオ駅は、大使館があるリべりダーデ大通りをテージュ河口に向かって下りていく、旧市街、Baixa(バイシャ)と呼ばれるロシオ広場に面しています。

建物は19世紀後半にネオ・マヌエル建築様式で造られ、主要入り口は馬蹄をかたどった華麗なアーチ型になっています。右側は、ポルトガル初の「スターバックス」。

建物の上階がシントラなどのリスボン近郊路線の発着駅となっています。さて、本題はここからです。
この二つの馬蹄型アーチ入り口の間の窪みには、125年前に造られたポルトガル国王、ドン・セバスチャン1世の石像で、国の歴史遺産に指定されています。

で、この石像、今回の確認はこれ↓

あるはずの場所に石像がない!
これは、去る5月に心無い若いツーリストが自撮りしようと、カメラ片手にここによじのぼろうとした結果、重みで石像がくぼみから地面に落ち、粉々になってしまったのであります↓

ツーリストは現場から逃げようとしたところを警察に取り押さえられ、歴史文化遺産管理局は破壊事件として立件、追訴もありうると言う、「あちゃ~」な出来事でした。
実は警察はこのツーリストの国籍を明かしていません。 昨年、ここを訪れたときに目にしたたくさんのツーーリスト、その中で特に若い人たちがキャーキャー言いながら自撮り棒で写真を撮っていましたが、それを横目に夫と「あれ、大丈夫かしら?」と話していたことを思い出し、とうとうこんなことが起こってしまったな、の感です。
上の写真を見ると分かるとおり、ほとんど粉々になった石像は修復不可、が、長年ポルトガル王家と強い絆を結んできたリスボンのGama Pinto眼科病院(かつてのConde de Penamacor宮殿)が、同じようなドン・セバスチャン1世の石像を所有しており、これが寄贈されることになりました。
というのは、Condes de Penamacor宮殿は、ロシオ駅に置かれてあった石像作者、Edmund Bartissolの宿泊先でもあったことで、ここでオリジナルモデルが長い間保管されてきたのだそうです。
いずれにせよ、壊された石像はもう元には戻らないけれど、なんとかこれで埋めることができるという決着がつきそうですが、観光地を訪れるときは、それにダメージを与えないように、わたしたちも日頃から十分きをつけなければなりませんね。
最後に、ドン・セバスチャン王について。実はミステリアスな王なのであります。
アヴィス王朝の最後から二人目の国王で、1557年に3才にして王になったものの、祖母ドナ・カタリナが摂政となり、14歳になった1578年に王座につきました。他の王があだ名を持つように、ドン・セバスチャンもまた、人々からは「O desejado(待望王)」と呼ばれ、冒険心に富んでいたようです。

しかし、その冒険心が裏目に出て、かつて征服した北アフリカ領土を、夢よ、もう一度と18000の兵を率いてアルカセール・キビール遠征を試みたのが、惨敗を喫します。この時、敵のムーア人は十分に訓練された兵70000。 ドン・セバスチャン王24歳で、この戦いで行方不明になり、遺体は発見されずじまいです。このため、1580年から1680年の間には、ドン・セバスチャン王だと名乗る人も数人出ました。
行方不明になった王に因み、ポルトガルの伝説には「ドン・セバスチャンがいつの日か、霧の深い朝に白馬にまたがり戻ってくる」と言う伝説が生まれました。
この戦には国家歳入の半分が費やされ、王国は大きな損失を受け、独身だった王には後継者がなく、
200年続いたアヴィス王朝は、次のエンリケ1世のわずか3年の在位で、終焉を迎えます。
壊されてしまったロシオ駅のドン・ジュアン国王、少なくともその石像は、再び同じ場所に戻って来る日も近いでしょう。ひょっとして、リスボン、その伝説に則り、オリジナル石像があると言う、かつてのConde de Penamacor宮殿からロシオ駅まで、白馬に乗せてドン・セバスチャンを戻らせたら粋じゃないの?なぁんてことを想像しているわたしです。
本日も拙ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。では、また!
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「自撮り棒」で思い当たるのは、あの国かと?日本人でないのを祈るばかりです。FBでの鮎料理はかみさんと息子たちが、古希の祝いにと開いてくれた”そば懐石”の一室です。家族のみ特別の部屋でしたので、ゆっくり楽しめました。
2016/06/29(Wed) 06:59 | URL | 梅雨の真っ最ちゅう! | 【編集】
こちらではお久しぶり!
わたしもね、同国人じゃないといいな、なんて思いましたよ。自撮り棒は日本が発明なのよねw
今ならスマホでも自撮りができますよね。
わたしなら持ち歩くのもジャマくさいw
ちょっと危なっかしいところもあるし。
こういう形で事件が起きたのは残念ですね。だいたい、あんなところに上るかよ!ってな感じです。
古希、おめでとうございます
わたしも来年には^^
健康で元気にまだまだ人生を楽しみましょう!テニス、運動系はそこそこになさいませよ
わたしもね、同国人じゃないといいな、なんて思いましたよ。自撮り棒は日本が発明なのよねw
今ならスマホでも自撮りができますよね。
わたしなら持ち歩くのもジャマくさいw
ちょっと危なっかしいところもあるし。
こういう形で事件が起きたのは残念ですね。だいたい、あんなところに上るかよ!ってな感じです。
古希、おめでとうございます

わたしも来年には^^
健康で元気にまだまだ人生を楽しみましょう!テニス、運動系はそこそこになさいませよ

2016/06/29(Wed) 16:54 | URL | spacesis | 【編集】
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