2016年8月19日 

東京に住む我が息子が帰省しており、数日前にはGFもポルト到着、夫も10日ほどの夏季休暇を取って我が家は目下、図体の大きい大人があっちでゴロ、こっちでゴロしている毎日です。夫婦二人の静かだった生活がとたんに賑やかになり、わたしも日本語教室を休んで、得意でもない料理にいそしんでいます。

さて、今年5月の弾劾裁判で180日間の職務停止を受けたブラジルのルセフ女性大統領ですが、オリンピック開催期間がその中に入り、彼女としては残念なことになりました。我が家も普段は朝テレビをつけるなど、まずないのですが、休暇中の夫がずっと見ています。そのリオオリンピックも今週で終わりますが、わたしは何と言っても最後のマラソンを見るのが好きです。

今日は、多くのシーンでも、わたしにとり忘れられないマラソン選手について、2008年の記事を書き直して再アップさせてください。

以下。

「北京オリンピック、ボイコットよ。」などと偉そうに言っているわたしですが、なに、もともとスポーツ観戦にはあまり興味を持たない人間で、さほど苦にもならない。見ると言えばせいぜい国がらみのユーロカップ、ワールドカップくらいで、それも「にわかファン」そのものです。

マラソンは一度たりとも長距離を走ってみたことがある人は、それがいかに過酷な競技であるかを知っていると思います。高校時代の学校恒例行事で女生徒は否応無しに全員5000mを走らされましたが、単に走ることがこんなに苦しいことかと、このときの体験は生涯忘れるものではありません。後で振り返ってみると、これは人生に似ていると思わされた大きな体験でした。

上述したように、スポーツ祭典はあまり熱心に見るほうではありません。1984年にロス・アンジェルスオリンピックの時のこと。この年、わたしは4歳になる息子を伴って帰国し、大阪は堺にあるアサヒビアハウスの歌姫時代の大先輩、宝木嬢のお宅に数ヶ月居候していたのでした。

宝木嬢もかつてのわたしと同じように、日中はオフィス勤め、夜はビアハウスで歌姫に変身。居候中の日中、わたしは彼女の家の留守番役をしていました。

ある日のこと、オフイスで仕事中の彼女から電話、
「テレビ観てる?マラソンでポルトガル人選手がトップを走ってるわよ!」

その日もオリンピックなどどこ吹く風、鼻歌など歌いながら、宝木家の掃除やら洗濯やらをしていたのんきなわたし、慌ててつけたテレビの画面から、おおお!競技場に今や入らんとするカルロス・ロペスの姿が目に飛び込んで来ました!

やるじゃない、ポルトガル!と、いつもの如く、にわかに声援しました。37歳のカルロス・ロペス、この年は金メダルを獲得したのでした。

わたしは、帰国中に再びバイトとしてアサヒビアハウスで週に2度ほど歌っていたのですが、数日後、常連仲間で、○サヒ放送のK氏の話で耳にしたのは、通常は競技が終わり次第すぐ報道できるようにと、主だったル優勝候補者の写真を前もって各社が入手、用意しておくのだそうです。

ところが、ポルトガルのカルロス・ロペスなど優勝候補に上がってもいなかったので、どこの報道社も彼の写真を持っていなかった。だからメディアで使用された写真はロペスのゴールを切るものばかりだった、との裏話。

この後、ポルトガルはソウルオリンピックの女子マラソンで優勝し、世界記録も保持するロザ・モタ(ポルト出身)というヒロインを生むわけですが、これらにも増して、わたしが今でも思い起こすたびに胸が熱くなってしまう忘れられない光景が、ロスアンジェルスオリンピックにあるのです。

それまで女子マラソンはリスクがあるということで、オリンピック競技には入れられていなかったそうですが、この年、初めて女子マラソンが登場しました。なんの拍子でか、わたしはたまたま女子マラソンの後半を見ていたのですが、このとき、競技のほとんど終わりのころ、会場に熱中症でふらふらになりながら入ってきた選手がいました。観衆は騒然とし、テレビを見ていたわたしも思わず目を凝らしました。

彼女は、先の一歩を踏み出すのもようやくのことで、今にも倒れそうです。トラックサイドの係員が手を打ひて彼女を支えたが最後、競技からは失格です。それを拒みながら、重病人のようなアンデルセンは一歩一歩と左右によろめきながら進んでいきます。会場の観衆は一丸となり彼女を声援します。もちろんテレビを見ていたわたしも、がんばれ!がんばれ!と応援しながらいつの間にか涙が頬をつたっていました。

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画像はwikiから。

スタジアムに入場してからの一周を意識朦朧とした状態でヨロヨロ進みながら6分ほど。彼女がついにゴールした時、会場の観客は総立ちで嵐のような拍手が鳴り止みませんでした。熱中症は非常に危険であり、ゴールと同時にアンデルセン選手は係員に抱きかかえられ、恐らく病院直行だったことでしょう。

このとき39歳だったアンデルセン選手(スイス)は、後日語っています。
「普通のマラソンならば棄権していました。初女子マラソンという歴史的大会だったので、どうしてもゴールしたかったのです」と。

長距離マラソンは孤独との闘いと言えるのではないでしょうか。このときの彼女の姿は、ヨロヨロになりながらも誰をも寄せ付けない自分との厳しい闘いに極限状態で挑み、Never give upの精神を観衆に知らしめたのです。人間てすごいなぁ、と30数年経っても感動を思い起こさせるオリンピックの一幕です。

この時は誰が優勝したか?それがです、このアンデルセン女子を覚えていてもゴールドメダリストを覚えていないのです。

下記サイトでその時の様子が見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=0Hjm29CmMfg

本日はこれにて。
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