2016年10月24日 

この数年、欧州では「行って見たい街」のトップを飾ってきたポルトです。あらよあらよと言う間に旧市街のあちこちにカフェと土産物屋が増え、格安ペンションやレンタルアパートもたくさん現れました。

今まではヨーロッパの端っこにあって目の前がすぐアフリカ大陸だと言う、スペインの陰に隠れたような穴場だったポルトガル。それが突如として脚光を浴び、しかも首都リスボンを頭越しに、一躍訪れてみたい街のトップに踊りでたのが北部にある小さな都市ポルトというわけです。

ツーリストが多いということは、経済も潤み街の活性化につながります。長年、ポルトの魅力を、友人知人に宣伝してきたわたしも、やっと我が街が脚光を浴びることになったかと当初は喜んでいたものの、ツーリストを呼び込まんがため、街の光景がどんどん変えられて行くのを見て、あれれ?
これではせっかくのポルトが放つ「古いからこそ」の魅力が失われるではないの?と相成ったのであります。

もうひとつ気がかりなのは、ブームに乗るということは遅かれ早かれ廃れる日がくるということでもあります。わんさか増えているカフェ、レストランやホテルがその後どうなるかは目に見えています。
何しろ、ポルトガル全体がヨーロッパにある他の国と比べて人口が少ないのです。ましてポルトはポルトメトロポリタン区域(ポルトを中心とした周辺の16市を含む)を見ても180万人ほどで、ポルトの人口となると24万人です。ヨーロッパの大都市と違い、ブームが去った後に起こることは想像できると言うもの。

このブームにより一時的にでも雇用率が上がる点をよしと見るべきなのか。わたしがどうのこうのと心配してもどうなるものではないのですが、せめて今のうちに消え行くものの歴史をメモとして書きとめて行こうと思っているところです。

前置きが長くなりましたが、本日は「花通り」ことRua das floresの「Casa das Maias」について。

ポルト

随分昔から石の紋章に興味惹かれ、何度もカメラを向けてはきましたが、バロック建築のこの廃屋、ルネサンス時代、16世紀に建築された貴族Martins Ferrazの屋敷でした。後にCasa dos Ferrazes Bravos家に、そして19世紀にはOliveira Maiaと言う人の手に渡り、以来、「マイア一族の家(Casa das Maias)」として知られて来ました。

「Ferraz」の家名は現在この家のすぐ横の坂道、Rua de Ferrasにも使われています。
  
ポルト
Rua de Ferrazから見えるSéこと大寺院。
上り切ると 「Igreja da Vitória」へ続くVitória通りに出ます。

ポルト
ヴィトリア通りの古い共同水道。

写真のブラザォン(Brasáo)こと紋章ですが、調べてみると、これはマイア一族のものではなく、
Ferraz家とそのパートナーで同じく貴族のBravo家、つまり、Ferrazes Bravo両家の紋章と判明。

ポルト

屋敷は18世紀には改築され、裏のパテオにはニコラウ・ナゾニの手による噴水と礼拝堂(カペラ)があったとのこと、これは初耳なのでした。18世紀のポルトと言えばイタリアのトスカーナからやってきたナゾニの建築ブームですから、いかにもと頷けるところではあります。

現在、礼拝堂はラメゴにあるQuinta de Vale Abraãoに移動されてあるとのこと。内装もパテオも覗き見ることができないのは残念。ネット検索でもこの屋敷の画像は正面のみです。

さて、Casa das Maiasは2013年には四つ星のホテルになるとのニュースが流れましたが、今のところ廃墟のままになっています。近年のポルト観光ブームでいつ改築の工事が始まるやも知れず。
そう思い、今回は思い切って、調べてみたのですが、もうひとつ、この屋敷の両端に見られるのがこのシンボルです。

ポルト

シンボルもどきを目にすると、これはいったい何ぞや?と興味をそそられ、意味を知らずしてすごせないわたしのが性格ゆえ、次回はこの調査結果を記してみたいと思います。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
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