2017年2月9日 
記憶の中から取り出せる母の思い出が凝固したような一枚の写真がある。

mother

数年前に帰国した折、投宿先にしていた妹宅の机の上に飾られていたものだ。こんな写真があるとは思いもよらなかったものだから、それを目にした時はちょっとした驚きで、しばらくこの写真に見入ったのであった。母がよりかかっている橋の欄干からすると、写真は弘前公園であろう。

手前で目を伏せてしまっているのが妹だ。わたしは母の横で愛想もなく突っ立っている。これが、やがて近所のガキ大将になってチャンバラするがごとく棒っきれを振り回し、ビアハウスの歌姫、アメリカ行きの青春時代を経て、ポルトガルに定着した自分であろうかと、この写真からは少し考え難いのである。いったい誰が想像したであろうか。だから、人生は面白いと言える。

この写真を目にすると、決まって我が脳裏にこの歌が聞こえて来、幼い頃の思い出がとても懐かしくグルグル巡ってくるのである。




随分前のことになるが、知人が好意で送ってくれた本に斉藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」というのがある。その本の一ページ目を開くと、
     
    「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、
     歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ガ浜」

と、眼に飛び込んできた。おお、知ってる!ご存知、白波五人男の一人、弁天小僧菊之助」が歌舞伎
「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)、浜松屋の場」での語りの部分である。興奮で高鳴る胸おさえながら、ザーッと急いでページを繰ってみると、あるわあるわ、七五調の語呂良い歌舞伎がらみ浪曲がらみのセリフが。

 「赤城の山も今宵を限り 生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て
  国を捨て、可愛いこぶんのてめえたちとも別れ別れになる門出だ~」
                   (国定忠治 赤城山)

 「旅ゆけば、駿河の国に茶の香り、名代なる東海道、名所古跡の多い
  ところ、中に知られる羽衣の、松と並んでその名を残す、海道一の
  親分は清水港の次郎長の~」
                   (森の石松 金毘羅代参)
                   

わたしはこれらのセリフの面白さと懐かしさに引き込まれ、「ねね、ちょっとおいでよ」と娘を傍らに呼び、これも覚えてる、これも!と大声出して一気に読んだものである。

これら18番のセリフをわたしは学校の教科書で覚えたわけではない。更に言えば、歌舞伎など生まれてこの方、まだ一度も観劇したことはない。子供のころからこれらのセリフをわたしは母を通して耳にし、自然に覚えたのだ。

母は大正生まれであったが、当時の人にしてはモダンでわたしたち姉妹を連れては、よく外国映画を見に行ったものである。しかしその母は任侠物も好きだったようで、機会あるごとにわたしたちを前にしては朗朗と詠んだものだ。幼かったわたしはそれを耳にして覚えたに違いない。

尋常小学校4年を出ただけにしては書物が好きな人であった。晩年まで枕元に文庫本を目にしない日はなかった。読んでいた本は、池波正太郎、柴田錬三郎、平岩弓枝、藤沢周平と時代物がほとんどで、母は言ってみれば、好みが和洋折衷の人だったのだ。

サウジアラビアのジェッダに赴任することになった妹夫婦の家族と長年同居してきた母を厳しい気候条件の砂漠の国に連れて行くことはできないと、当初は妹たちが帰国するまでポルトガルのわたしたちと住む予定になっていた母だったが、渡航前になり「異国で死ぬのはイヤだ。」と言い出して結局学生二人の甥たちと所沢の家に残ることになった。

しかし、それが軽痴呆症の引き金になったようである。それまで妹夫婦の4人家族とワイワイ一緒に生活してきたのが、家にいるかいないか分からないような甥たちとの同居である。突然ひとりぽっちのようになってしまったのだ。80才になっていた母にこの孤独感はさぞかし堪(こた)えたに違いない。

当時大学院に通っていた甥からある日ジェッダの妹に、「おばあちゃんがおかしい。」と連絡が入った。公務員の規定で、またサウジアラビアという国柄故、すぐには出国できなというので、急遽わたしが一時帰国することになった。

それまでわたしが子供や夫を伴って帰国する毎に長い滞在をさせてくれ、ワイワイガヤガヤの思い出深い所沢の妹宅は、初夏だというのに冷え冷えとしていた。妹夫婦がジェッダに赴任してたった4ヶ月後のことだった。

母は夏だというのに、まだ冬の服を着たままでちょこんとリビングのソファに座って見るともなしにテレビを見ていた。その時初めてわたしは母に何が起こったか知った。

もはやポルトガルに連れて来るわけにもいかず、妹夫婦も赴任したばかりで帰国もならず、それでも急いでわたしの後に1週間の休暇をとり帰国してきた妹夫婦と3人で話し合った結果、母には「下宿」と称して軽痴呆の人だけ(自分の周りのことができるという条件がある施設)を受け入れる施設に入ってもらうことになった。

急なことだと言うのに施設が見つかったこと事態が幸運であったと思う。施設は幸い妹宅からそう遠く離れていないところにあり、入居する前に母も連れて行き、入居者20名くらいの施設の中を案内してもらい、「ひとりぽっちだど寂しくなるし、わたしたちも心配だからね」と母を説得して入居してもらうしかなかった。

妹夫婦が先にジェッダに帰り、母の引越しはわたしと甥とですましたのだが、いよいよわたしがポルトガルに帰る段になり、それまで毎日訪問してきた施設に母を最後に訪問した日のこと。

「大丈夫。わたしもしょっちゅうおばあちゃんの顔を見に行きますから。」と親切にも車で施設まで一緒に行ってくれたお隣の奥さんの車に乗り込んだのだが、玄関前まで出てきて、小さな姿でわたしに手を振る母を見て、お隣の奥さんが運転する側でわたしは溢れ出る涙を何度も何度もぬぐった。

母は施設に2年ほどもいただろうか、2003年2月9日にみまかった。今日は母の命日である。母の葬儀は、読経のない花と音楽の葬だった。費用の高い戒名はいらぬと同居していた妹の話では、自分の葬儀はそのようにできたら嬉しいと洩らしていたようだ。

わたし達は市の斎場の一室を、そして、棺の周りをたくさんの花で飾り、母の好きだったタンゴの音楽を流し続けた。蒼空、黒い瞳、ブルータンゴ、奥様お手をどうぞ、真珠採りのタンゴ・・・それを聴いていると、パートナーなしでも、まるでそれがいるかのようにわたしたちの前で一人踊っていた母の姿が思い起こされる。

近所や行きつけの店の人達の間では、ちょっとおしゃれで元気のいいおばあちゃんとして知られていたようで、わたしたち家族の他にそういう方たちが集まって母をしのんでくれた。

間もなく今年も、所沢の妹宅のすぐ側にある母が愛した桜並木の花が咲き始めるだろう。自然はこうして一年をぐるりと経て、再び芽吹く。人間の生は、と思い巡らすとき、わたしは遥かな宇宙の神秘に心を馳せずにはいられない。肉体が滅びた時にわたしたちの生命の種は終わるのだろうか。それとも子孫を経て巡り巡って再び植物のように芽吹くのだろうか。

Maktub。「全ては書かれてある」というアラブの言葉にあるように、宇宙の全ては、大いなるものの手による法則で始めから定められているのだろうか。

母がみまかって今年で14年になる。待てよかし。母よ、やがて我もまた逝かん。

本日の記事は過去に書いたものに少し手を入れました。
長い拙文を読んでいただき、ありがとうございます。

では、また!

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コメント
永訣のとき
拝読し、なぜか宮沢賢治の"永訣の朝"をGoogleしました‥‥合掌
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)賢治の妹 の言葉です...今夜も雪です
わたしの母は御母堂の前年の2月末の朝に亡くなりました。
それ以前も以後もそれ以上の悲しみはありません...世界中を捜しても母には二度と逢えないんだと、そんな幼稚なことを思って街を歩いている自分のことも哀しかったことが思い出されます‥永訣。
いま母はわたしの中にいる気もしますが、観音さまになっているような気もしますす。
2017/02/09(Thu) 21:55 | URL | みちこ | 【編集
久しさぶりにごめんやっしや(^。^)「待てよかし」からの連想(^。^)
何故か、ヨハン ヴォルガンク フォン ゲーテの
詩歌のお出まし(^。^)
山々に憩いあり。木々の梢にそよ風の気配なし。森に憩う小鳥もなし。「待てよかし」やがて
なれもまた憩わん〜かな(^。^)(^。^)
ゲーテはシラー、ハイネ、そしてニーチェたちに影響を与え、なんと、1808年間にかの「ナポレオン」との面談時に、「ここにひとあり」と叫ばせている。凄い(^。^)(^。^)(^。^)
2017/02/09(Thu) 21:56 | URL | やまひろ | 【編集
みちこさん
賢治のその詩は補習校時代に中学部の生徒たちと読みました。賢治の古里、岩手は我が父の古里でもあります。

母を恋うる気持ちに幼稚はないと思います。70を迎えようとするわたしも同じです。小さな、可愛い母でした。一度も母に叱られた記憶がありません^^

みちこさんのお母様も2月にみまかれたのですね。お年よりは寒いときに逝かれる方が多いということを、段々、なんとかに片足を突っ込みそうになってきた歳になって気づきました。

「願わくは」と、西行の歌も思い出されますね。
2017/02/09(Thu) 23:00 | URL | spacesis | 【編集
やまひろさん
お久しぶりでござんすね、やまひろさん。
どこで浮気をしておいでなすったか~~(笑)

はい、ゲーテは高校時代に夢中で読み、この詩がとても気に入り、そらんじています。

わたしがそらんじているのは「山々の頂に憩いあり」ですが、あんな若いときにこんな詩を気に入ってたなんて、おババくさい娘ではありましたv-408

今でこそ、しっくり来るような気がしないでもありません。
そうそう、ゲーテのこんなのもそらんじてますよ。

ローマはもとより大世界なれど
恋なくて世は世にあらず。
さればローマもまた恋なくて
ローマならずも

それにしてもやまひろさん、よくわかりましたねv-421
2017/02/09(Thu) 23:09 | URL | spacesis | 【編集
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