2017年4月24日 (月)

今日明日と、4月25日の休日に因んで、二つの過去記事に少し手を加えたエントリーをあげたいと思います。

4月25日の明日は、俗にVinte-cindo de Abril(ヴィンテスィンコ・デ・アブリル=4月25日)、或いはカーネーション革命と呼ばれ、ポルトガル人に取って特別の日にあたります。

1974年に、ヨーロッパでも最も長かった独裁政治を終わらせた無血軍事クーデターが起こった日です。わたしがポルトに来たのは1979年の春でしたから、ポルトガルがサラザール独裁政権から自由を奪回してまだたった5年しか経っていなかったことになります。

当時のポルトを振り返れば、街全体が薄汚れた感が否めず、好きな人の国とは言え、「大変なところに来ちゃったなぁ」と索漠とした思いを抱いたのが正直なところです。近所の年端もいかぬ子供の口から、野良犬を相手に棒っきれを振り回しながら「ファシスタ!」と言う言葉が聞かれたのには、ギョッとしたものです。その野良犬は、後にわたしの愛犬になるというオチがあるわけですが。

日本語を学ぶわたしの若い生徒たちはそんな時代のポルトを知らないわけで、時に授業の流れで当時のポルトを語ることもあり、今やわたしは語りべのグランマ(Grandmother)もどきです。また、同年代の生徒さんたちとは、あんな時代があったと話し合えたりして、授業の潤滑油になること、しばしばです。

一度、日本からポルトガルにやってきた甥をコインブラ大学に案内した際、学生下宿が多く並ぶ昔のままの姿を残す大学周辺の細い路地を散策したことがあります。夫もコインブラ大学医学部に籍を置き学んでいたのだそうですが、その折に一軒の下宿屋の外壁に、人の顔を描いた青タイル絵がはめ込まれているのを見つけました。 

「Zeca Afonso、学生時代にここに下宿」と書かれてありました。カーネーション革命に彼の名は欠かせないのです。

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本名はJose Manuel Cerqueira Afonso dos Santosですが、Zeca Afonso(ゼカ・アフォンソ)若しくは単にZecaとして知られます。

幼い頃から健康に恵まれず、裁判官として当時のポルトガル領アフリカ・モサンビークに赴任した親兄弟と離れて、本土の親戚の家で育ちました。

学生時代にコインブラ・ファドを歌い、地方の人々の暮らしや伝統にまつわる音楽を自作し、後にAlcobaça(アルコバッサ)の高校でフランス語と歴史の教師を勤めながら(この職もやがて追われる)、社会問題を取り上げた作品を多く自作して歌い、この頃からZecaはサラザール独裁政権に対する反ファシスト地下運動のシンボルにされて行きます。

やがて、Zecaの歌は放送禁止となり、コンサートの多くは政治警察によってキャンセルされ、投獄されます。その名前も検閲にひっかかるようになり、そのため「Esoj Osnofa」というアナグラムを使ったり、レコーディングをフランスやロンドンでしたりします。この間、共産党入党に招待されているも、彼は断っています。

1974年3月29日、満席のリスボンのコリゼウ劇場で催されたZeca を始めその他多くのミュージシャン共演コンサートの最終幕で、彼の歌、 「Grandola ,Vila Morena」(you tube)が全員で高らかに歌われましたが、この時会場には密かに準備されていた4月革命のMFA(国軍運動)のメンバーが聴衆に混じっており、革命の「カウンターサイン」として、この「Grandola 」の歌を選んだと言われます。


  
註:Grândola =グランドラは南部アレンテージュ地方にある小さな町の名前。Zeca Afonsoはローカル色豊かで素朴なこの歌でグランドラの人々の同胞愛を歌っています。始めの部分は無音から入っていますが、辛抱強く待ってみてください。

1974年4月24日午後10時55分、革命開始の合図として最初にPaulo de Carvalhoの歌、「E depois do adeus」(そして、さようならの後で)がラジオで流され、それを合図に革命は静かに始まりました。約1時間後の翌4月25日真夜中00:20、ラジオルネッサンスで流された「Grândola 」は、「全て順調。行動に移れ」の二度目の合図で、これを聴いて左翼の若手将校たちが先頭になり無血革命の出撃が始まったのです。

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4月25日朝、クーデターを知った民衆は続々と町へ繰り出し、リスボンのアベニーダ・ドゥ・リベルダーデ(自由通り)は民衆と革命軍で埋め尽くされ、兵士たちの銃にはこの自由の勝利を祝って、民衆が投げたカーネーションの花が挿し込まれていました。以来、ポルトガルではカーネーションは自由のシンボルになりました。

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Zecaは1983年に、かつて追われた教師の職を再認定され復帰しています。この年にはその功労をねぎらう行賞が与えられましたが辞退し、1987年2月23日Setubal(セトゥーバル)にて病没。3万人が葬列をなし、棺は遺言通り何のシンボルも持たない真っ赤な旗で被われたと言われます。

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享年58才、どんな党への所属なく勲章なく、ポルトガルの自由を夢見、歌を武器に闘った抵抗の歌人です。

思想の右、左関係なく、貧しくとも自由のある生活をわたしは望みます。生活を向上させたいとがんばり努力できる自由。書物を選び読みすることができる自由。枠にとらわれず自己表現ができる自由。国の政策を言葉や態度で批判できる自由。

この当たり前に思われる自由を、わたしは今毎日空気のごとく全身で吸っています。、ポルトガルが40年ほど前は言論の自由がない国だったとは思えないほど、それは歴史の一部になりました。秘密警察がいたサラザールの独裁政治時代をわたしは知りませんが、おぞましい社会であったろうことは想像してみることができます。

自由であることがどんなに素晴らしいかを今再び思い出すために、わたしたちは歴史を振り返る必要があるのです。

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