2017年7月6日 

ブログを書き始めた動機は?と聞かれたら、いつか我が子たちが目にして、暇に任せわたしの人生の軌跡を知ってもらえたら、そして、何かの時に彼らの生きる道筋で参考になることがあったら嬉しいと思ったからだと答えよう。

18で故郷の家を離れて以来、帰郷することがほとんどなかったゆえ、母がどんなことを考えて生きたのか、知らないことも多い。尋常小学校を出ただけだが、洋画もタンゴ音楽も好きだったし、かなりハイカラな人だったのではないかと思っている。また、母の時代の女にしては読書好きで本は晩年まで手放さなかった。

人の陰口を言うのもわたしはほとんど聞いたことがない。「洋画、読書、人の陰口を好まない」は、わたしたち姉妹が母から無言のうちに教わったのだと今にして思う。

母の時代の苦労は今のわたしたちのとはずっと違うはずである。それの多くをわたしは終に聞きそびれてしまったのであり、今にして見れば返す返すも残念なことではある。そういう自分の思いもあって、我が子たちが同じ思いを持つかどうかは分からないが、いつの日にか「おっかさんの人生をちょいと覗いてみるかや?」と綴っているのである。

人生は一冊の本に似ている。
愚者はそれをパラパラとめくるが賢い人間は丹念に読む。
なぜなら、彼は、ただ一度しかそれを読むことができないのを知っているから。

19世紀初期のドイツの小説家ジャン・パウルの言葉だ。

若いときのわたしも、人生と言う只一冊の己の本をパラパラとめくってきた愚か者であるが、60を過ぎた頃から「あっ!」と人生のカラクリに気づかされることに何度か出会ったのである。この6月7月とそれが引き続き起こり、これらをやはり書いておくことにした。

ポルトガルに長く住んでいるたいがいの日本人は知っているであろう、月田秀子さんが6月に亡くなられた。彼女は日本人として初めてファドを歌い始めたファド歌手である。ファド歌手になってからはコンタクトはしていなかったが、わたしはファド歌手になる前の彼女と会っているのである。

オフィスの仕事だけではアメリカ行きの夢は遥かに遠く、運よく転がり込んできた梅田新道にあった、当時のアサヒビアハウスでのバイト歌姫は資金作りに大いに助かった。

その頃の思い出話は拙ブログ「あの頃、ビアハウス」のカテゴリに綴ってあるが、月田さんに出会ったのは、わたしが渡米を果たしツーソンの大学で半年間ELS(English as a Second Language)終了後、アメリカでの生活を捨てて急遽日本に帰国し、ポルトガルへ行くことが決まった後、まだしばらくビアハウスでカムバックのバイトをしていた時だ。

ある日、ビアハウスの常連の一人、前中氏がその知人と月田さんを伴ってやってきた。ステージが終わると彼女を紹介されたのだが、「いい声をしてますね」が彼女のわたしへの挨拶だった。もちろん、お世辞ですぞ(笑)なにしろ、プロになろうとしている月田さんと、腰掛歌手のわたしとでは歌への意気込みがちがうはず。

その日のステージがはねた後、彼女を含む前中氏たちに案内されたのが、ビアハウスの近くにあった小さなシャンソバー、「ジルベール・べコー」(今でもあるのだろうか・・・)。これが1978年後半かわたしがポルトガルに渡る1979年4月前のことだ。

月田さんのプロフィールを見ると、ここでシャンソン歌手としてデビューしたのが1980年とあるから、わたしが出会ったのはまだシャンションを勉強していた頃の月田さんということになる。

1979年5月に夫の待つポルトに来たわたしに、月田さんからファドの楽譜を送って欲しいと手紙が来たのはそれから1年ほどしてからだろうか。「Barco Negro(暗いはしけ)」か「Coimbra(ポルトガルの春)」のどちらだったか、もう覚えていない。

覚えているのはこの楽譜を手に入れるのに、随分手間取ったということだ。日本なら当時でもレコード店でクラシックからポピュラーソングまで、簡単に楽譜を買うことができたが、ポルトではまず楽譜を売っていないのであった。夫が色々人に聞き込んで、やっとリスボンから取り寄せることができ、月田さんに送ったのであった。

その後、何度か手紙のやりとりがあったが、わたしは子育てに忙しくなり、いつの間にか音信が途絶えてしまったといういきさつがある。

ここ数年彼女の名前を目にしなかったのだが、病気の治療で北海道に移り大きなコンサートからは遠ざかっていたのを今回のニュースで初めて知った。享年66歳。ファドの女王アマリア・ロドリゲスに師事していた頃まではしっていたが、ポルトガル大統領から勲章を得ていたとは初耳だった。

シャンソン歌手からどのようにしてファドに興味をもちファド歌手に辿りついたのかは知らない。わたしが住むポルトガルを調べるうちにファドを知ったのか。もしそうだとすれば、お互いの交流は途絶えてしまったけれど、人生のカラクリを解いていくと、ビアハウスバイト歌姫のわたしに辿りつくとも言える。

わたしが送ったファドの楽譜は今どうなっているのだろうか。バイト歌姫のわたしでさえ、自分が歌った曲の楽譜は今でも捨てられずにいるゆえ、きっと色褪せて彼女のファド楽譜の中に残されているのではないだろうか。

月田秀子さん、ここまで来るとは予想もしませんでしたよ。どうぞ、安らかに。

下記の過去関連記事、よろしかったらどぞ。

人生はからくり

人生はカラクリに満ちている
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あの頃、ビアハウス

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コメント
はじめまして
はじめまして。
ポルトが好きでネットで調べてspacesisさんのブログを見つけました。
大変面白く興味深く読ませてもらっています。

私はフランス、パリ郊外に住んでいます。
フランスに住んで30年くらい、日仏の娘が2人います。
spacesisさんと同じように日本語を教えています。

実は4月にポルトに行ったのです。
とてもいい町ですね。

一昨日くらいからブログを読んでいますが、ポルトの事、ご家族のこと、、、沢山あって、私の素敵な読み物になっています。

これからもブログを楽しみにしています。
2017/07/08(Sat) 15:21 | URL | TOMOEDA Keiko | 【編集
TOMOEDA Keikoさま
初めまして。
コメントを、そして拙ブログを読んでいただきありがとうございます。

30年もフランスにお住まいとのこと、わたしの方が恐らくずっと年上とは思いますが、環境が似ているような気がいたします。

お嬢さんたちはそれぞれ独立なさったのでしょうか。

うちは二人とも日本に活路を求めて行ってしまったもので、現在夫と猫との生活です。

4月にポルトにいらしたとのこと、次回おいでの際は、是非ご一報ください。

そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2017/07/08(Sat) 23:25 | URL | spacesis | 【編集
あの頃 ビアハウス
こんにちは。
ここは不慣れなのでコメントをどこに入れたらよくわからないので続けてここに書かせていただきます。

「あの頃 ビアハウス」を読ませていただきました。

もしかしたら、と思ってたけどアサヒビールのビアハウスなのですね。
私は父が福岡のアサヒビールに勤めていて、それで実家もアサヒビールの工場のそば、お正月、誕生日、いつもビールで乾杯の家族でした。
とても懐かしいです。
今はありませんが、昔 福岡には「グリニッジビレッジ」というビアレストランがあって そこでビールを楽しんだものでした。

spacesisさんと私は環境が少し似ています。
私は今年59歳になります。
もうすぐ22歳と19歳になる2人の娘がいます。
相方は72歳です。

長女はリヨン、次女はナントで学生生活を送っていて普段は相方と2人の生活です。
ね、少し似てます。

実は6月の末に退職をすることにしたので これからは「毎日が日曜日」の生活になります。

相方の年齢も考えて「今のうちに行きたい所に旅行しよう」と思ったからです。
仕事、特に教えていると休みを取るのが難しいですからね。

とは言っても 実は旅行であちこち動くのは好きではなく、のんびり滞在の怠け者旅行なのです。笑

娘たちはフランス人として育てましたが、やはり日本の影響を受けてます。
長女は去年 日本で4ヶ月の研修をして、今年の8月も1ヶ月友達と日本旅行をします。

次女は大学で英語、スペイン語、日本語の3ヶ国語を勉強しています。

spacesisさんの子供さんへの日本語教育には頭が下がります。
私はそれができずに今次女は苦労して日本語を学んでいます。

長くなってしまいました。

2017/07/09(Sun) 15:53 | URL | TOMOEDA Keiko | 【編集
TOMOED Keikoさま
おはようございます。

コメントは古いブログ記事のところでも、大丈夫ですが、どこでもよろしいですよ。

梅新のアサヒビアハウスは生ビールが茨城工場から直行でしたから、おいしかったです。以来、わたしはすっかりビール党になりました。

日本語のお仕事は6月で退職なさったとのこと。確かに仕事をもっといると時間に縛られ、旅行や帰国も行きたいときに行けないという難点がありますね。

わたしもそうですが、自分が計画することになる自宅と図書館で教えますので、少しは融通が利きます。しょっちゅうというわけにはいきませんけれど。

ご自宅で個人レッスン、もしくは少人数レッスンを開くというのはいかがですか?59歳はわたしからするとまだお若いです^^

個人レッスンは私の場合生徒さんから、ちょっと安すぎませんか?と言われたりすることもままありますが、日本語を教えることで人と交流でき、自分も新たな発見があり勉強にもなるので、これで上々、楽しんで教えています。

旅行は一箇所をじっくり見たい性分で、わたしも滞在型です。

自分の子どもの日本語教育は子どもの性格もあると思いますので、小学生くらいまでは親の努力でなんとかできても、その後は子どもの目的意識次第のような気がします。

お嬢さんたち、将来日本に住む可能性も大いにありますね。

子どもたちが側にいないのは寂しいものですが、それぞれの人生ですものね、親のわがままを言っているわけにはいきません。

そう思い、楽しみ、人と交流ができ、少し収入にもなる日本語の仕事と、好きな歴史を時折独学しています。

ホームページ運営やブログも、その延長だと思っています。

「毎日が日曜日」懐かしい本です。

2017/07/10(Mon) 18:06 | URL | spacesis | 【編集
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