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2017年8月15日 

先だってことなのだが、月に1、2回の割りで国際電話で話す妹から珍しくメールが入った。

弘前に住む吉崎のおばさんからめったにない電話が来てどうしたのかと思ったら、おばさん曰く「Yukoの夢を見た。何かあったんじゃないか」と。

吉崎は9人兄弟であった亡き母の旧姓でおばは既に鬼籍に入って長い母の弟の連れ合いだ。妹の話を聞いてわたしは大笑いした。だって、わたしは古希ですよ。古希になって未だおばの夢に現れ心配をかけているとは!

そのおばに最後に会ったのはいつだったかしら?もう思い出せないほど時間が経ってしまった。

「ポルトガルで元気でがんばっているから心配ないと言っておいた。それでね、来年は二人で会いに行くと約束したよ。5月のこの日から3日間、弘前のホテルの予約ももうしたからね。」この時点で来年の帰国日程は決まったのである。

この後、弘前の南高校時代の同窓生、シマに久しぶりに電話をし、来年の弘前行きを話したところ、それなら、同窓会の恒例の秋の時期をずらすことになるけれど、Sode(わたしのこと)が帰省する春にできるよう、少し働きかけてみる、と言ってくれるではないか。

集まる同窓生たちも年々減って来ている年齢になった第一期生のわたしたちだが、この年齢になると、見た目、どれが教え子でどれが先生なのか見分けがつかないであろう、恩師との再会も今から楽しみにしているのである。

来年はおばを訪ねるのもそうだが、二人のおばが本家の墓から文骨したと聞くから、訪れる人も少なくなったであろう、母方の先祖の墓参も欠かせない。

お盆に因んでかつてあげた「早春の津軽行」の墓参を掲載したい。以下。

早春の津軽行にて。

hirosaki
列車内から臨むまだ残雪に覆われた津軽の野面(のづら)。

うっすらと残雪に覆われた陽光院を訪ねた。陽光院は弘前の我が故郷にある菩提寺である。

本当のことを言ってしまうと、陽光院という菩提寺の名すらわたしは覚えていなくて、所沢の妹に教えてもらい、地図を持っての墓参であった。その妹夫婦と3年ほど前に来たのが、実に約40年ぶりのことであり、わたしはまことにご先祖様不幸な人間なのである。

8人兄弟だった母とのお盆の墓参りは、一年に一度、大勢の親戚に出会う場でもあった。
「あ、四郎っちゃ達、もう来たみたいだね。」と言った母の言葉は、幼いわたしの記憶の中で今でも生きている。

とある年齢に達すると、たいていの人間は、持つ思い出の良し悪しに関わらず、生まれ故郷が恋しくなるとは、よく耳にする言葉だ。わたしもその例に漏れず、近年は弘前での子ども時代の記憶を
たどってみることも多く、思い出の糸を手繰り寄せては、時折したためている(「思い出のオルゴール」)。

「故郷恋しや」の思いと、さすがのご先祖様不幸のわたしも、この辺でそろそろ顔を出してご挨拶しておくべきではなかろうかと、殊勝にも考えるようになったのである。

いつもは妹夫婦と車で夜間、高速道路を走って帰るのだが、この時は東北新幹線で一人帰郷し、駅に着くと同窓生のタコ君が出迎えてくれた、という嬉しいハプニングがあった。

そのタコ君が墓参に付き合ってくれた翌日、寺の近くで花を調達し、陽光院に着いた。
「お線香、もって来た?」とタコ君。
「あ、すっかり忘れてた^^;」
「うん、大丈夫。俺が用意して来たから。」
情けない話である。

タコ君とは高校時代の友人で、この3年前に、高校を卒業して以来39年ぶりの再会をしたのだった。彼についての詳しいことは後日書くとして、弘前にいた二日間、彼はわたしのために車で動いてくれたのだ。

妹の話の通り、陽光院は改築中であった。墓地の場所は、本堂の横道から入るとだいたい分かっているのだが、既に立ち入り禁止になっており、タコ君とわたしは仮本堂でお寺の人を呼び鈴で呼び出しポルトガルから先祖のお墓参りに参りました。どうやって墓地に入れますか、と訊ねた。

隣の寺院から入れるよう、話を通しているとのこと。人っ子一人いない静寂な墓地の中を、わたしたち二人は転ばないように少し腰を落とし気味に残雪を踏んで入って行った。

「前に来たときに、こんな新しい墓石は周りになかったと思う。もうちょっとこっちの方じゃなかったかしら。」と頼りないわたしの言。少し後戻りすると、「あ、こ、このあたり・・・・。もしかしてこれかも。」と立ち止まった墓地は墓石も含めて、あたりが真っ白い残雪に覆われていた。

わたしとタコ君は、素手でその雪を掻き分け始めた。
掻き分けながら、ふとわたしは可笑しさがこみ上げてきて、思わずタコ君に話しかけた。

ね、ご先祖さま、今きっとこう言っているに違いない。「ゆうこよ。お前は何十年も墓参りに姿を現さず、終に来たかと思ったら、いったい亭主でなくて誰を伴ってやって来て、墓場の雪かきをしてくれてるのやら・・・ほんにお前は^^;」

ご先祖さま、お笑いくだされ(笑)

残雪の下から現われた古い墓石に刻まれている文字を読んだ。「吉崎家」と彫られてある。間違いなく我が先祖の墓だ。線香を立てる箇所は、固い雪で覆われ素手でその雪を取り払うことはできなかった。供花のところに線香を立てた。

しばしの祈りの後、わたしは、自分が祖父の名前を知らないことに気づいた。わたしが生まれたときには既に鬼籍に入っており、会ったこともない人である。

タコ君と墓石の後ろに回り、刻まれている名前を見つけた。
「あった。え~っと・・・嘉七と書いてある。」
「そうだね。明治22年6月没とある。」とタコ君。
わたしはメモを取った。そうして、墓の前にもう一度たたずみ、この先再び訪れる日が来るであろうことを祈りながら吉崎家の祖父や叔父、叔母たちに別れを告げて帰ってきたのである。

東京へ帰り、夕食の準備で台所に立っている妹相手に、
「ねね、マリちゃん、じさまの名前知ってる?」とわたし。
「それがねぇ、わたしも知らないのよ。もう聞く人もいない。」
「知ってるわよ、わたし!今度の墓参りで見つけてきた。嘉七、明治22年6月没とあった!」
と、いい歳して多少得意げに言うわたしを、妹は一瞬「???」の面持ちで見る。

そして開口一番、「それはつじつまが合わない!」
「お母ちゃんが大正生まれなのに、じさまが明治22年没は可笑しい
じゃん!」「さすが、ゆう。(妹はわたしをこう呼ぶ)考えることがおもろ~」(爆笑)

いやはや、面目ない^^;
ご先祖さま、お笑いくだされ~~。とほほのほ^^;
嘉七さんはひじさまでござんしょね^^;

まじめな墓参の話がどうしてもこういうオチになるspacesisでございます。あぁ・・・これがなければなぁ、もう少し周囲から敬いのマナコを向けられるかも知れないのに(笑) 

                                              
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