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2017年12月17日 

拙ブログに長年お付き合いくださっている方は既にご存知であろうが、わたしは大阪のアサヒビアハウスで歌姫バイトとして遅咲きの青春を謳歌したのでした。1990年代後半、27、8才ころからです。

日中は堂島のオフィスでタイピストとして働き、渡米の夢を見ていたときに舞い込んできた歌姫バイトスカウトは渡りに船の話でした。週に3、4日、夕方6時半から9時までのビアハウスでのバイトは、一般人、著名人合わせた多くの常連たちと、ビアハウス仲間だと思わせる愉快な雰囲気のハウスでした。

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1990年代黄金時代の梅新アサヒビアハウス

わたしにとってあの時代は今でも色褪せない珠玉の思い出です。そんな素晴らしい青春を過ごせた自分を本当に幸運だったと思っています。

仲間内では27、8才のわたしが若年でしたから皆さんに随分可愛がっていただきました。なにしろ、皆さん愉快な中年のおじさん、おばさんたちで、ビアハウスの外でも色々お付き合いがあったようです。

ポルトガルに嫁ぎ、かれこれ40年以上もの星霜を重ねたことになるのですが、ビアハウスの愉快な仲間たちも相応に歳を重ね、人づてに耳に入る人を指折れば、仲間の多くは鬼籍に入りました。

その人のもう一エピソードを書かずばなるまいと思いつつ、未だに筆が進まないままでいるアサヒの名物男、元朝日放送のコジマ氏についても、お仲間から訃報を知らされたのは何年前でしょうか。 店長の塩さん、アサヒビール専務の高松さん、今年に入ってからは、元ベルリンオリンピックゴールデンメダリスト葉室先生の奥様がいらっしゃいます。わたしは、そのような場合、直ぐにはブログに書けない性分です。

去る11月にはわたしも七十路に入り自分でもヒャッと少し驚いているのですが、そうしてみると当時の常連さんたちはわたしより一、二回り年上ですから、あぁ、あの人も、と悲しいことではあるが、これも自然の摂理であると受け取れっています。

若いときは命は永遠に続くとでも思っていたのが、遅かれ早かれいずれ自分の旅立つ日が来るというのを、まだ漠然とではありますが、時に思ったりするようになったのはこの頃です。

さて、前置きが長くなりましたが、しばらく前に、とあるブロガーさんが「小館さんがお亡くなりになられたのです」と、拙ブログのコメント欄にメッセージを残されました。小館さんと同大学の方だったようで、その方もブログで思い出を綴っておられます。

小館氏とは大したお付き合いはありませんでしたが、ビアハウスではよくお目にかかっております。本日は拙ブログ「あの頃、ビアハウス」で取り上げた小館氏のエピソードを再掲することで、遅まきながら鎮魂の祈りとさせていただきたいと思います。

 「あの頃、ビアハウス:プロジェクトX」

「JSTV」といって、海外で日本のテレビ番組の一部が見られるシステムがあります。普及し始めた頃、それを受信するためにはパラボラアンテナ設置では足らず、特殊なアンテナを取り付け、さらにカードを差し込む機械を購入しなければなりませんでした。その上、受信料が当時月々35ユーロほど。それはポ国の物価からすると、かなりな値段になるのでありました。

見たい気持ちは山々なれど、パソコンを使い始めたおかげで、今ではネット上で新聞は読めるし、ポルトガルに住んでいながら、あまりに日本一辺倒というのでは、現在の自分を見失いがちになることも考えて、我が家ではそのTSTVを導入していません。

そんなわたしのために、ポルト市に滞在していて親しくなった、とある日本企業の友人がわたしの好きなNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」を録画して送ってくれ、月遅れになるのですがわたしはそれを楽しみに見ていました。

さて、とある夕べ、娘と二人、日本から届けられたそのビデオテープを見ておりました。中島みゆきのヒット曲「地上の星」でオープニングです。

今回送ってもらったビデオ最初のエピソードは、瀬戸大橋を建設するために奮闘した男たちの話でした。 「いい話だね。もうひとエピソード、見ようか。」などと言いもって、少し遅い時間ではありましたが、続けて次のエピソードへとテープを進めました。わたしも娘も、見始めると止まらなくなってしまうのです。

二つ目のエピソードは、1970年に大阪で開催された「万博会場」に入場する、その数5千万人と予測された入場客の警備の指揮をとった男の物語。

「おお!この頃わたしは20歳もそこそこでね」などと言いながら、始まる画面を見ていたら・・・出てきたその男の人の顔を見るなり、「あれーー!こ、こ、小だてさんや!」。実名出しちゃいましたけど、いいですよね、テレビにも出てましたし。素っ頓狂な声をあげたので一緒に見ていた娘がびっくりです。
      
そうです、アサヒ・ビアハウス時代の常連客のひとり、その人でした。いやぁ、驚きました。 そう言われて見れば、番組のなかでも紹介していたように、確かにアサヒでも時々「村長さん」て呼ばれていましたっけ。元々は新潟県警のお人だったのですね、知りませんでしたが、今思えば東北なまりがしっかとありました。

アサヒ・ビア・ハウスはお酒を提供する場所にしては、珍しく「その道の人」と思し召す客が入って来ませんでした。その手の人がうっかりビアハウスに入って来ても、場違いなことにすぐ気づき、そそくさと出ていくのでした。

歌姫としてバイトし始めるときに、店長の塩さんが「店に変な客は来ないから安心していい」と保証してくれましたが、まさにその通りでした。そのはずです。アサヒビアハウス梅田には、曾○崎署関係者が毎日のように入れ替わり立ち代わり来ていたのですから。
     
ビデオを見終わってから早速に歌姫時代のアルバムを持ち出してきては、娘に「ホレ、見てごらん。これ、わたしと一緒に写っている人、さっきテレビに出てた人でしょ?」と、自慢たらしく話したのでありました。

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小館氏。アサヒで歌われたのは多分この時が最初で最後だったように思います。送別会の席でした。

世の中せまい!明日はあちこち、ポルトの友達たちに電話してやろっと。「プロジェクトXに出てた人、知ってるひとだった!」なんてね。

プロジェクトX番組のエピローグ「ヘッドライト・テールライト」を心で歌いながら、そう思いながらホクホク顔で床に就いた夕べでありました。



小館さん、どうぞ安らかに。あちらではビアハウス時代のお仲間もきっと「ささ、Ein Prosit(ドイツ語で乾杯)とまいりましょ! 」と、お迎えしていることでしょう。

ビアハウス時代に興味がある方は、こちらからどうぞ  →♪ あの頃、ビアハウス

また、ギャラリーはこちらです ♪「旧アサヒビアハウス、レトロギャラリー

古いホームページに置いたままになっていたのに気づきましたが、いずれ、こちらに移動させるつもりです。

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コメント
こんにちは!
詳しいお話しを拝見させて頂きました。
有難うございました。
2017/12/25(Mon) 19:42 | URL | 相子 | 【編集
相子さま
読んでいただき、ありがとうございます。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。
日増しに寒さが厳しくなります折、ご自愛くださいませ。
2017/12/26(Tue) 07:03 | URL | spacesis | 【編集
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2017/12/26(Tue) 19:24 |  |  | 【編集
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