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2018年1月16日 

子供の頃から観てきた映画は数知れず。
わたしの小学生時代は今のようにテレビなどほとんどない時代でした。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりもした)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。

そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等。

これらの物語はどれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に、覚えているのですから。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるような気がします。根が単純なせいか、映画などは観ている途中から観客としての立場を忘れて思わず引き込まれ、主人公にめり込んでいることが度々あります。

観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活のちょっとした起爆剤になるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れているでしょう。でも想像力を持つ私達人間は、それを駆使して模擬体験できます。更に、賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。孔子の論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とありますが、「60歳で他人の意見が分かる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはできない」という意味合いも含むのではないかと思います。

異文化社会に身を置く場合、私たちは、特に若い時は往々にして自分が体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、批判しがちです。わたしにも若い時、迂闊にもそういうことをしてしまった後悔があります。

日本の教育が一番いい、と錯誤したこと、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想、これらは勿論、まったく違うわけではないのですが、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でする、などの同国人に実際は出会って来ました。

するとですね、ここで言えるのは、日本人だから、ポルトガル人だからの問題ではないと言うことです。日本人であるわたしも、同じ国の人から、「ポルトガルに長い間住んでる人だからねぇ」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、海外に長い間住んでいてもむしろとても昔の良き日本人かたぎをもつ人も結構いるのです。

このように海外在住が長い人と言うのハ実は、「異国に住んでいる」からではなくて、「単一の文化を離れて体得してその考え方、行動の仕方に辿り着いた人」だと、今思っています。つまり個性と言えるのではないか。

国柄は人柄に似ているのでしょうか。国も人も個人的に好き嫌いはあるでしょうが、それの批判にとらわれるか、個性ととらえて理解しようとするかで、随分私達の接し方にも生き方にも違いが出て来ると思います。

このように物事をとらえる想像力は、読書や映画の鑑賞から、そして異文化体験からも十分に養うことができるでしょう。

名古屋に住む知人の杉さんというテレビ局関係だった人がいますが、若い頃、彼は卒論のために淀川長治さんや小森和子さんにインタビューで何度かお会いしたことがあるのだそうで、「映画をもって人生を生き抜く術」をお二人から教わったとおっしゃいます。

読書も映画も、そして海外生活も、「想像力を駆して自分の身をそこに置いてみる」。これは不満から出る、ああだこうだとの批判以上に、わたしたちに素敵な生き方のコツを示してくれると思います。

今日も雨のポルト、日本語教室は1レッスンのみの日、真っ青な空が恋しいなぁと思いながら、家の中でこんなことを考えていたのでした。
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