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2018年4月23日 

あらよと言う間に帰国してもう一週間、4分の1が過ぎました。
もったいないなと思うものの最初の一週間は休養だと自分に言い聞かせ、都心
には出ず、妹夫婦とおしゃべりしたり近場をまわったりします。

楽しみは妹の手料理「おふくろの味」であります。そうなんです、妹なのにお
ふくろの味、故郷津軽の味がふんだんに出されます。

亡くなった母は60歳頃から長いこと妹家族と同居していましたから、旬の筍や
わらび、ふきのとうなど、その他たくさんの昔ながらの味を妹に伝え残して
行ったようです。

エッセイにも綴ったことがありますが、母は山菜採りの名人でした。これに
ついては後記に再掲載します。

妹のつくった「おふくろの味」を肴に、実は毎晩「我らが人生に再会に乾杯」
とビール、日本酒で祝杯をあげておる義弟姉妹です。言ってみれば毎日が花金
となりまする^^日本滞在はわたしにとり一ヵ月の休暇ということです。

夫が来られないのが少し残念ですが、4匹もねこがおってはなかなかそれもで
きません。だれの猫かと言えば、もともとはわたしが拾い集めてしまったので
あって^^;それを黙って引き受けてくれる夫には感謝しなければなりません。

夫よ、いつもありがとう、と面と向かって言うべきを、それが照れくさいもの
でここでこっそり(笑)

では、下記再掲載のエッセイです。

「海の幸、山の幸」

大正14年生まれだった母は9人兄弟であった。

その長兄は太平洋戦争で若くして死んだと聞くから、戦後生まれのわたしは
その叔父を知らない。
母を筆頭に8人兄弟となり、7人がわたしの叔父叔母になる。
わたしと妹は、このうち二人を除いた5人の叔父叔母と一緒に、祖母が構える
弘前下町の大所帯で幼い頃を共に暮らした。

母のすぐ下の叔父は当時すでに結婚していて独立、そして、女姉妹で
一番若い叔母が東京に出ていて結婚も間もなかったころであろう。

昭和も20年代の頃、日本の地方は貧しく母は食い扶持稼ぎに、なにかとその
日の小さな仕事を見つけては家を空けることが多く、留守を守る祖母が母代わ
りでもあった。わたしは祖母の初孫にあたるのだ。

その祖母は、秋になると山菜採りに山に入るのであった。
弘前の町からバスで昔なら2時間も走ったのであろうか、岩木山の麓の嶽
(だけ)へ温泉に浸かりがてら、キノコ、筍、ワラビなどの山菜を求めて
入山する。

祖母が採る山菜は毎秋ごっそりとあり、それらは塩漬けにされ長期保存食料
となり、時折食卓に載る。中でも断然おいしかったのは、細い竹の子を入れ
たワカメの味噌汁であった。

後年この祖母の慣わしを引き継いだのが母と母のすぐ下の弟だ。
母も叔父もその季節になると、山へ入って行った。そしてどっさり採った
山菜をカゴや袋に入れては抱えて帰って来る。

だが、面白いことに二人が一緒に同じ場所へ行くことは決してない。
それぞれ自分だけが知っている秘密の場所を持っているのでだ。

これは釣り人が他には打ち明かさない「穴場」と同じである。
叔父は釣り人でもあったので、山菜採りがない週末などは、家人を
連れて早朝に川へ車で乗り付ける。

その叔父は、やがて採った山菜を知り合いの工場に頼み込んで瓶詰め缶詰に
するに至った。わたしが帰国する度に、弘前から缶詰の細長い竹の子やワラ
ビなどが宅急便で届けられるのである。

さて、母は60を過ぎてからの晩年を所沢にある妹夫婦の家族と共に暮らし
たのだが、そこでも近隣の林や森に入って山菜探しが始まり、いつの間にか
しっかりと自分の秘密の場所を見出して、秋になるとキノコやワラビを採って
きては所沢のご近所に配るようになった。

毎年それを楽しみにするご近所も出てきたものだ。所沢に移ってからも、
70半ばまで脚が元気なうちは、弘前の田舎へ帰り毎年のように山での山菜
採りは続いていた。

母より若い山菜ライバルの叔父が先に身まかった時、言ったものである。
「とうとうわたしに秘密の場所を明かさないで、あの世へ持って行った。」と。
そういう母も生前の叔父に自分の持ち場を明かすことはなかったようだ。

母が亡くなった今、祖母からの、いや、恐らくはそれ以前のご先祖様の代
からの山菜の見つ方、見分け方、そして秘密の場所の秘伝は母の代で途絶
えてしまったことになる。

都会に出たわたしは、母や叔父が採ってきては、味噌汁や煮物にしたかの
細長いしなやかな竹の子を一度も見かけることはなかった。

母も叔父も隠し通し、あの世まで持っていってしまった二人の宝の秘密の
場所はいったいどこだったのか、と考えると、なんだか可笑しさがこみ
上げて来る。

そして、そんな可笑しさを胸に留めながら、わたしはいつも、倉本聡の
ドラマ「北の国から」最終回のワンシーンを思い浮かべる。
生きるのに不器用な主人公、黒板五郎が二人の子供に遺言をしたためる
場面である。
「金など欲しいと思うな。自然に食わせてもらえ。」

海の幸山の幸を自ら捨て去り自然の恩恵を受けて生きることを葬って
来たわたし達現代人には到底書けない、素朴でありながら、しかし、
ずしんとを重みのある遺言だ。

祖母も母も叔父も、海の幸山の幸を知る人であった。

本日もありがとうございました。
慣れないパソコンを使用していますので、遅筆、誤字脱字があると思います。
また、接続の関係上、画像も載せられないのでFBでつながっている方以外は
写真をお見せできないのが残念です。
が、ポルトに帰るまでご勘弁くださいませ。
.
では、みなさま、また!
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コメント
筍の季節ですね、
おはようございます!

細いタケノコの事知っています。
幼少時代東北で過ごした夫や、秋田出身の義母からも、その美味しさは度々聞いていました。
妹さんが伝授したお母さまの味、それは、それは、どんなご馳走にも及ばない味わいがあるでしょうね。

わたしは、母の煮物、漬物、伝授されないままで、時おり懐かしく思いおこしています。
不思議なことに味の記憶はそのまま、まだ脳内に残っているんです。




2018/04/24(Tue) 09:48 | URL | ぷいぷい | 【編集
ぷいぷいさん
レス、遅れてごめんなさい!

このところ続けざまに外出でした。
細いたけのこを知っている人は都会では少ないようですね。

妹の「おふくろの味」は、もし子供たちの口に合うようだったら、わたしも見よう見まねで教えてポルトに帰りたいと思っています。

2018/04/27(Fri) 07:04 | URL | spacesis | 【編集
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