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2018年5月23日 

思えば40年前の今ごろ、わたしは初めてポルトの地を踏んだのだった。この春、一ヶ月の日本滞在を終えて帰ってきたのだが、それと同じ時期だ。

アメリカの大学入学の夢をほっぽりだして、ツーソンをさっさと引き上げ、日本で入籍し、夫は日本での研究期間を終えて先にポルトガルに帰国していたのであった。不安と希望の入り混じった気持ちで、付き添い役で共にポルトにやってきた夫の日本人友人であるドクターD氏とポルトの空港に降り立った日のことが思い出される。

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1979年5月18日成田空港発。ドクターD氏撮影。

当時ヨーロッパへの航路はアラスカのアンカレッジ空港経由になっており、そこからパリへ。わたしとドクターD氏はパリでの8時間という長い待ち時間を利用し、思い切って空港をチェックアウトし、数時間パリの街へ出た。

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パリの街角で

そうして到着したポルト空港はさびれた地方の態をして一瞬とまどったものだ。ポルトガル語が全く話せずにとうとう来た、この先のことは皆目分からないというのがその時の気持ちだった。頼れるのは夫だけ。今でこそ、自分で車を運転し、あちらこちらで日本語を教え少し収入を得られる身分になったものの、当時は夫なくしてはおいそれと出かけるのもままではなかった。 

わたしが来た年、1979年の5月は思いのほか寒い気候だった。セーターを持って来ず、夫のを借りてしのいだものだ。下は夫の友人夫婦たちに囲まれて、Viana de Castelo(ポルトから更に北部)での恒例の祭り会場で歓迎された時の写真だが、着ているのは夫のセーターだ。
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わたしの横が同行してきた若かりし頃のドクターD氏。この仲間の中には既に鬼籍に入った人もいる。夫とわたしのハネムーンはドクターD氏も一緒で、どこへ行ってもわたし達二人は日本人カップルだと見られて苦笑したものだ。

あんな事こんな事と異なる文化背景の衝突が6年間同居した夫の母や親族達との間に多々あったが、今はそれも懐かしい。気がつけばポルトガル在住が母国で暮らした年月をとっくに越えている。

あれ?と母国とポ国の狭間に立つそんな自分を感じたりしている。

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空を見上げればこんな5月が、なんだか少し寂しげな青い空に白い雲。

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に 露みちて、
あげひばり、名のりいで、
かたつむり、枝に這ひ、
神、空に しろしめす、
すべて世は 事もなし(ロバート・ブラウニング 上田敏訳)

God's in His heaven
All's right with the world

この世のことは全て神(クリスチャンでないわたしは「大いなるもの」と訳したい)の摂理のもとにある、神のお導きのままに。希望はいずこにでも見出せるものだ、とでも言っているのか。

七十路の財力なし、大した能力なしの異国に住む女の希望とは、この先何なのか。母国とポ国の狭間に立って、おかしくも、少し揺れている在留40年目のわたしである。

本日はこれにて。
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