2018年06月01日 (金)
2018年5月31日
ポルトを代表する伝統料理はと言えば、まずあげられるのが「Tripas(トゥリッパス)」、そして「Francezinha(フランセズィーニャ)」でしょう。
トゥリッパスについては、次回にでも紹介するとして、フランセズィーニャを再掲載します。
息子も大好きで、リスボンに住んでいた時はポルトに帰ってくると、必ずフランスズィーニャを食べに
行っていました。フランセズィーニャの本場はポルト。

レストランYUKOのフランセズィーニャ
食パンの間には、ハム、ソーセージ、肉、チーズが挟まれており、その上にたっぷりのとろけたチーズがかけられています。中身はこういう具合い↓

おいしいものをありったけ詰め込んだようなボリュームたっぷりの、言うなれば、特性サンドイッチです。
好きな人はこの上に更に目玉焼きを載せ、フライド・ポテトをつけます。ビール、ワインには最高!カロリーも最高のワッハッハ!フランスズィーニャのお値段の程は、7ユーロ(\1000ほど)。
本日は、フランセズィーニャについて、自分のメモとして記事を上げておきたいと思います。以下。
ポルトガルなのなぜ「フランセ」とつくのか、どなたも不思議に思うのではないでしょうか。そこで、今ではポルト料理を象徴し、世界でも十指に入るサンドイッチのひとつに数えられるフランセズィーニャのストーリーを紹介します。
元祖フランセズィーニャがメニューに載ったのは1952年、ポルトのRua do Bonjardim(ボンジャルディン通り)に開店したA Regaleira(ア・レガレイラ)レストランです。
ある年のこと、A Regaleiraレストランの店主は、フランスに立ち寄りホテルで一人のバーマンに出会います。今でもそうですが、よりよい生活を求めてポルトガルからフランスへと出稼ぎに出るポルトガル人はとても多く、彼もその一人でした。
このバーマンを見込み、店主はポルトの自分のレストランに誘います。Daniel Davide Silvaというこのバーマンがフランセズィーニャを作った人なのです。
Danielはレガレイラ・レストランで働き始め、フランスの「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」というサンドイッチにインスピレーションを得て、肉とポルトガルのハム、ソーセージをパンに挟み、独得のピリ辛ソースを発案し、店のメニューとして出します。

「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」Wikiより
さて、この名称ですが、Daniel Davide Silva氏、なかなかの女好きだったそうで、フランスではバスに乗っては、小奇麗でシックな服装のフランス女性を観察するのが好きだったとのこと。このソースを思いついたときに「フランス女性はエキサイティングである」との意味で「Francesinha(フランス女性)」とつけたと言われます。

レストランYUKOのピリ辛ソース。好きなだけフランセズィーニャにかけて食べられます。
ピリ辛ソースをポルトガル語ではmolho picante(モーリュ・ピカンテ、molhoはソース、picanteはピリ辛)と言うのですが、picanteはそのまま「刺激的」と言う意味につながりますね。
フランセズィーニャはソースがポイントで、レストラン・レガレイラのソースのレシピは門外不出、金庫の中に保管されてあるとのこと。
わたしがポルトに嫁いできたのは1979年ですが、フランセズィーニャはレストラン・レガレイラで既に出されていたものの、名前すら耳にすることはありませんでした。フランセズィーニャを耳にしたのは、息子の口からでした。
ボリュームたっぷりのピリ辛フランスズィーニャは若い人に人気があり、一軒のレストランから口コミで広まったDaniel Davide Silvaのサンドイッチは、今ではポルト郷土料理「Tripas料理(トリッパス)」に継いで、ポルトを象徴する一品になりました。
ポルトガル国内の大きな都市ではメニューに見るでしょうが、食べるなら、やはり本場のポルト、それもできれば、フランスズィーニャが美味しいと評判の店をお勧めします。レストラン・ア・レガレイラは当然のこと、レストランYUKOもそのひとつです。
フランセズィーニャの歴史についてあげましたが、レストラン「ア・レガレイラ」はこれがメニューに載る以前、1934年にダウンタウンで開店されており、85年の歴史をもつ店です。

が、店を含む建物が所有者により売られたため、立ち退かなければならず、本日5月31日をもって85年の歴史に終止符を打つことになりました。
行こう行こうと思いながら、ついに行かずじまいになりましたが、フランセズィーニャファンも多いレストランのことです、いずれ、別の場所でオープンすることが望まれています。
この建物が売られたのは、恐らくポルトの観光ブームで地価が上昇したことが原因ではないかと、わたしは推測しています。

ア・レガレイラのフランセズィーニャ。ネットのニュースサイトより。
古い街並みの良さが魅力のポルトですが、観光ブームにより、ホテル、カフェ、レストランの増設がさかんな現在、古いものが姿を消していくのは、街の魅力を失うことにつながらないかとの心配が老婆心でありますように、古きものを維持しながら街が発展する方策を是非探って欲しいと望んでいます。
本日はこれにて。
ランキングクリックをしていただけると嬉しいです。
ポルトを代表する伝統料理はと言えば、まずあげられるのが「Tripas(トゥリッパス)」、そして「Francezinha(フランセズィーニャ)」でしょう。
トゥリッパスについては、次回にでも紹介するとして、フランセズィーニャを再掲載します。
息子も大好きで、リスボンに住んでいた時はポルトに帰ってくると、必ずフランスズィーニャを食べに
行っていました。フランセズィーニャの本場はポルト。

レストランYUKOのフランセズィーニャ
食パンの間には、ハム、ソーセージ、肉、チーズが挟まれており、その上にたっぷりのとろけたチーズがかけられています。中身はこういう具合い↓

おいしいものをありったけ詰め込んだようなボリュームたっぷりの、言うなれば、特性サンドイッチです。
好きな人はこの上に更に目玉焼きを載せ、フライド・ポテトをつけます。ビール、ワインには最高!カロリーも最高のワッハッハ!フランスズィーニャのお値段の程は、7ユーロ(\1000ほど)。
本日は、フランセズィーニャについて、自分のメモとして記事を上げておきたいと思います。以下。
ポルトガルなのなぜ「フランセ」とつくのか、どなたも不思議に思うのではないでしょうか。そこで、今ではポルト料理を象徴し、世界でも十指に入るサンドイッチのひとつに数えられるフランセズィーニャのストーリーを紹介します。
元祖フランセズィーニャがメニューに載ったのは1952年、ポルトのRua do Bonjardim(ボンジャルディン通り)に開店したA Regaleira(ア・レガレイラ)レストランです。
ある年のこと、A Regaleiraレストランの店主は、フランスに立ち寄りホテルで一人のバーマンに出会います。今でもそうですが、よりよい生活を求めてポルトガルからフランスへと出稼ぎに出るポルトガル人はとても多く、彼もその一人でした。
このバーマンを見込み、店主はポルトの自分のレストランに誘います。Daniel Davide Silvaというこのバーマンがフランセズィーニャを作った人なのです。
Danielはレガレイラ・レストランで働き始め、フランスの「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」というサンドイッチにインスピレーションを得て、肉とポルトガルのハム、ソーセージをパンに挟み、独得のピリ辛ソースを発案し、店のメニューとして出します。

「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」Wikiより
さて、この名称ですが、Daniel Davide Silva氏、なかなかの女好きだったそうで、フランスではバスに乗っては、小奇麗でシックな服装のフランス女性を観察するのが好きだったとのこと。このソースを思いついたときに「フランス女性はエキサイティングである」との意味で「Francesinha(フランス女性)」とつけたと言われます。

レストランYUKOのピリ辛ソース。好きなだけフランセズィーニャにかけて食べられます。
ピリ辛ソースをポルトガル語ではmolho picante(モーリュ・ピカンテ、molhoはソース、picanteはピリ辛)と言うのですが、picanteはそのまま「刺激的」と言う意味につながりますね。
フランセズィーニャはソースがポイントで、レストラン・レガレイラのソースのレシピは門外不出、金庫の中に保管されてあるとのこと。
わたしがポルトに嫁いできたのは1979年ですが、フランセズィーニャはレストラン・レガレイラで既に出されていたものの、名前すら耳にすることはありませんでした。フランセズィーニャを耳にしたのは、息子の口からでした。
ボリュームたっぷりのピリ辛フランスズィーニャは若い人に人気があり、一軒のレストランから口コミで広まったDaniel Davide Silvaのサンドイッチは、今ではポルト郷土料理「Tripas料理(トリッパス)」に継いで、ポルトを象徴する一品になりました。
ポルトガル国内の大きな都市ではメニューに見るでしょうが、食べるなら、やはり本場のポルト、それもできれば、フランスズィーニャが美味しいと評判の店をお勧めします。レストラン・ア・レガレイラは当然のこと、レストランYUKOもそのひとつです。
フランセズィーニャの歴史についてあげましたが、レストラン「ア・レガレイラ」はこれがメニューに載る以前、1934年にダウンタウンで開店されており、85年の歴史をもつ店です。

が、店を含む建物が所有者により売られたため、立ち退かなければならず、本日5月31日をもって85年の歴史に終止符を打つことになりました。
行こう行こうと思いながら、ついに行かずじまいになりましたが、フランセズィーニャファンも多いレストランのことです、いずれ、別の場所でオープンすることが望まれています。
この建物が売られたのは、恐らくポルトの観光ブームで地価が上昇したことが原因ではないかと、わたしは推測しています。

ア・レガレイラのフランセズィーニャ。ネットのニュースサイトより。
古い街並みの良さが魅力のポルトですが、観光ブームにより、ホテル、カフェ、レストランの増設がさかんな現在、古いものが姿を消していくのは、街の魅力を失うことにつながらないかとの心配が老婆心でありますように、古きものを維持しながら街が発展する方策を是非探って欲しいと望んでいます。
本日はこれにて。
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フランセズィーニャの歴史やお店についての記事、ありがとうございます。
息子さん同様、私も大好きです。まだ食べ始めてから日は浅いので自分のお気に入りの店はありません。今度レストランYUKOに足を運びたいと思います。
ポルトは4,5年前にいた人からも今とは全く違ったと聞きます。新しいものが出来るという事は古いものが変わったり無くなったりと悲しい面も多いですよね。最後の「古きものを維持しながら街が発展する方策を是非探って欲しいと望んでいます。」には強く共感します。そしてそれに向かって実現したいと考えております。
息子さん同様、私も大好きです。まだ食べ始めてから日は浅いので自分のお気に入りの店はありません。今度レストランYUKOに足を運びたいと思います。
ポルトは4,5年前にいた人からも今とは全く違ったと聞きます。新しいものが出来るという事は古いものが変わったり無くなったりと悲しい面も多いですよね。最後の「古きものを維持しながら街が発展する方策を是非探って欲しいと望んでいます。」には強く共感します。そしてそれに向かって実現したいと考えております。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2018/06/05(Tue) 11:10 | | | 【編集】
知る人ぞ知る、と言うのが葡萄牙、ポルトだったのですが、口コミでどこか懐かしい人柄、気取らない風景等が人気を呼び、ツーリストが訪れだしたのがちょうど4、5年前ですね。
近頃はどこを歩いても人が多く、密かなる穴場を歩いています
ところで、メールをお送りしました。ご確認くださいね。
近頃はどこを歩いても人が多く、密かなる穴場を歩いています

ところで、メールをお送りしました。ご確認くださいね。
2018/06/07(Thu) 15:46 | URL | spacesis | 【編集】
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