FC2ブログ
2018年6月7日 

2300年ほど前の中国戦国時代、盧生(ろせい)と言う青年が、人生の迷いを晴らしたいがため、楚の国、羊蹄山の聖者に会わんと遥か旅をして、趙(ちょう)の国の都、邯鄲(かんたん)に宿を求める。 宿のおかみが出してくれた枕で昼寝をするうちに、盧生は出世し、その内、冤罪で投獄され、疑いが晴れ、やがて栄華を極め、楚の帝となる。子にも恵まれ、50年を過ごし、ついに年老いて死を迎える夢を見る。

覚めてみると、寝る前に仕掛けられた宿の粟粥が、まだやっと炊きあがろうとしているところだった。盧生は、人生は束の間の夢だと悟り、故郷へ帰っていく。

これは中国の故事のひとつで、「邯鄲の枕」とも呼ばれ、日本では能の演目のひとつとされる。故事では宿のおかみが、仙人になっている。ちなみに「邯鄲」は小さいコオロギをも意味し、中国では「天鈴」と呼ぶと言う。

この話を知ったのは数年前の、とある本でだが、読後わたしはこの歌を思い浮かべたのだった。

Row, row, row your boat,
Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.

英語を習い始めに、誰もが耳にする子供の歌だが、これがメタファー(隠喩)だと気付いたのは大人になってからだ。 Boatはわたしたちの人生を指し、 Streamはわたしたちが逆らうことのできない時間の流れである。最後の「Life is but a dream」は他説もあるが、わたしは「人生は束の間の夢のように短いものなのだ」と思っている。

上述の盧生が、人生は束の間だと悟り帰郷したのをなるほどと頷けるたは、わたしも60半ばの齢を既に越していたからであろう。盧生のように人生を悟り、故郷へ戻ると言うのは、若い者には似合うまい。人生に迷いあり、夢あってこそ若さだと。故事に異を唱えるつもりは決してないが、若いうちに人生を悟ってしまうのは面白くないような気がする。

と、こんな長い前書きと故事まで引き出してしまったが、わたしは時折、記憶を辿って昭和の子供時代をブログに綴ったりしている。、それは今日まで前へ前へとなりふり構わず生きて来たから、あちこちに置き忘れて来たものを、今になって懐かしく思い出し、記憶の糸を探って手に取って眺めてみたい気持ちがある。

この春日本へ帰国した際、3年ぶりに妹夫婦と車で東北自動車道路を走って弘前へ帰郷してきた。行きが9時間、帰路が12時間の旅だっ^^; 義弟も弘前出身である。故郷を後にして半世紀が経とうとするが、その間、わたしが訪れたのは数えるほどで、それもここ、数年のことである。ある年まで36年近くも故郷にまともに足を踏み入れることがなかったのだった。

9人兄弟だった母の兄弟もみな鬼籍に入り、いとこたちとの交流も途絶えてしまっていたのだが、今回はその途絶えてしまっていた弘前の親戚を訪れるための帰郷でもあった。

昨年の夏のことだが、月に1、2回の割りで国際電話で話す妹から珍しくメールが入った。

弘前に住む吉崎のおばさんからめったにない電話が来てどうしたのかと思ったら、おばさん曰く「Yukoの夢を見た。何かあったんじゃないか」と。

吉崎は9人兄弟であった亡き母の旧姓でおばは既に鬼籍に入って長い母の弟の連れ合いだ。妹の話を聞いてわたしは大笑いした。だって、わたしは古希ですよ。古希になって未だおばの夢に現れ心配をかけているとは!

そのおばに最後に会ったのはいつだったか、もう思い出せないほど歳月が経ってしまった。

「ポルトガルで元気でがんばっているから心配ないと言っておいた。それでね、来年は二人で会いに行くと約束したよ。5月のこの日から3日間、弘前のホテルの予約ももうしたからね。」 こうして今年の帰国日程は決まったのであった。

さて、3泊4日の帰郷だったが、着いたその日の午後、ホテルの部屋に荷物を置き、顔を洗ってすぐ吉崎家へ向かった。千城おじも(おじの名前で「ちしろ」と読む)生きていたなら、きっと喜んでくれたであろう。わたしは、おじ、おばたちからすれば、たくさんいる甥姪の中で一番年長にあたり、若い頃から女だというのにフラフラ落ち着かず、千城おじにもよく心配をかけたのであった。

「おじさん、ただいま」と、懐かしいおじの家の前にて心の中で挨拶する。

入ると、すっかり少し足元がおぼつかないおばが、双子の息子、そして娘の3人の子どもたちと共にわたしたちを迎えてくれた。従妹たちにまともに会ったのは、恐らくわたしは今回が初めてであろう。おばの顔は覚えているものの、従妹たちの顔はほとんど記憶にないのである。
しかし、千城おじの面影をしっかり宿している従妹たちであった。わたしたちの訪問のために集まってくれたようで、話は尽きず。

しばらくすると、従妹の一人が「腰と足の指、大丈夫?」と聞くではないか。「え?え?なぁ~んでそんなこと、知ってるの?」と、キョトンのわたしに言う。「ブログ、読んでる」 えーーー!己の粗忽なんがチョンばれジャン!てへへへ。

ふと、千城おじが我が母校弘前南高校のPTA会長をしたことがあるとの話を昔聞いたのを、これを書きながら今思い出した。さすれば、従妹たちは我が後輩ということだ(笑) 千城おじがかつて、わたしの土産としてくれた「伊奈かっぺい」さんのライブテープと著書がきっかけで、わたしはあらためて、かっぺいさんが同窓生であること、そして、津軽弁の面白さを彼の語り口から再認識したのであった。

2005年の帰郷時には彼に会っており、その時のことは下記に記している。
津軽行・かっぺいさんと同窓生たちと校長先生

心配をかけたわたしが言うのもなんだが、家族に囲まれ大切にされているおばに会い、心温まる思いで親戚の家を後にしたわたしたちであった。

弘前の我が従妹よ、このブログを目にしていたら、おばを始め家族のみなさんによろしくお伝えのほどを! そして、本日、写真を併せてメールを送ったことを付け加えて。いつか、我がポルトの街を訪れる日を待っていますれば。

本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村