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2018年8月25日

本日は写真が多いです。

Almeida Portugal

ポルトから車で2時間ほど、ポルトガルの内陸ベイラ・インテリオール(Beira Interios)地方の国境に近い村です。
上図ポルトとサラマンカを結ぶ中間にあるアルメイダは13世紀の終わりにディニス王によって築かれた城壁で、17世紀18世紀と補強され、現在の見られる集落全体が12の星の形の城壁に囲まれる形になりました。

Almeida Portugal
パンフレットより。

スペインとほぼ接するアルメイダの歴史は城砦の歴史とも言えるでしょう。19世紀の自由主義派(ドン・ペドロ4世、ブラジルではドン・ペドロ1世と称されるが、彼を中心としたリベラリスト派)と王政派(Miguelistas=ミゲリスタスとも呼ばれるドン・ミゲルを支える絶対王政派)のポルトガルの内戦もこの小さな村でくり広げられました。

しかし、アルメイダが名を知られるのは、19世紀初期のナポレオン軍侵入における激戦によります。拙ブログでは何度か取り上げてきた三回にわたるナポレオン軍侵入はGuerra Penisular(半島戦争)と呼ばれますが、それについては後記にて過去記事を案内しています。

18世紀後半、ポルトガルは進歩的な知識人のフランスびいきと伝統を重んじる保守派の二つのイデオロギーが対立し、国論は二分していました。

最初のは、1807年、フランスのジュノー将軍率いるフランススペイン連合軍がポルトガルに侵入し、リスボンに入城。当時の王室、ドナ・マリア一世と後継者ドン・ジュアン王子は15隻もの海洋船に貴族や軍隊、大商人らおよそ1万人のポルトガル人を引き連れてブラジルへと逃れました。(トホホ^^;)

しかし、やがてスペイン、ポルトガルの各地でナポレオン軍に対する民衆蜂起が起こり、支援するイギリス軍と合流したポルトガルはフランス軍をリスボンから追い払います。

二回目の侵入はイベリア半島北部を経てポルトに入りましたが、この時はポルトガルイギリス連合軍が撃退します。
Almeida Portugal

しつこくも三回目がフランス軍単独の侵入で、アルメイダでの激戦後、砦を突破し、ブサコで辛くも勝利したものの防衛が固くついにリスボンには入れず撤退し、1814年に半島戦争は終了するわけですが、ある意味では、フランス、スペインとポルトガル、イギリスの戦いでもあったと言えます。

下の写真はアルメイダ城壁入り口をくぐった石橋からの撮影。
Almeida Portugal

石橋を渡ると左側にTurismo(観光案内所)がある。そこから村へと続く。

Almeida Portugal

Portugal Almeida

村にはミリタリー博物館があり、ナポレオン軍侵入時の様子がうかがえる。

Almeida Portugal

Portugal Almeida

毎年8月の最後の週にCerco de Almeida(アルメイダ包囲)を再現する行事が行われる。
Portugal Almeida

12星状の砦全貌は上空からでないと見ることができない。下はその一角。
almeida7.jpg

Praça Alto(プラッサ・アルト=村で一番高い丘)には、この戦いでポルトガル軍を指揮し命を落としたイギリス軍人John Beresfordの石碑。享年21歳。落涙。
Portugal Almeida

石碑の側には白い葉の樹(名前不明)が風に吹かれて鳴っていた。
Portugal Almeida

城壁内の村を歩くこと約2時間、激戦があったアルメイダ村は日が暮れようとしていた。
Portugal Almeida

半島戦争については下記で綴っています。興味あらばクリックしてどぞ。

・「ボア・ヴィスタ:ナポレオン侵入戦争の記念碑

・「リベイラの鎮魂碑

・「王家の離宮ブサコ宮殿
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