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2018年9月25日

今日はわたしが呼ぶところの「東京息子」の誕生日なもので、息子に関する過去記事もめて、ちょっと親バカもどきの記事になります。

東京息子

日本とポルトガル、遠く離れていてもメッセンジャーやスカイプのあるご時世、息子とは時々LINEを通じて「元気?」「うん。そっちは?」「問題なし。仕事はちゃんとできてる?」「うん、」「なにか必要なものはない?」「Nothing special」と短いメッセージのやりとりをしています。が、三つ子の魂百まで。子供のころからの息子の性格からして、きっと大笑いされるような話が山ほどあるに違いない。

今日は日本に行った頃の彼のそのいくつかを紹介します。
週に何度か近くのジムに通っている息子、力いっぱい、筋トレをしていたら、係員が顔を青くして飛んで来、「お客さま、もう少しヤサシクしてください」と言われたのだそうだ。筋トレ用具を壊さんばかりに思い切りガンガンやっていたのだろう。まったくいい年をして加減と言うことを知らないヤツではあると思いながら、その様子を想像したわたし、ジムには悪いが可笑しくて笑い転げていたら、そんなのがいくらでもあると言うのだ・・・・・

年末に福引がすぐ近くの商店街であった。
例のガラガラポンを一回まわすのだが、あれを衆人の目前で力いっぱい何回も回して、とうとうガラガラポン本体の丸い部分が壊れんばかりに外れて玉いっぱい外へ飛び出してしまったって・・・・
息子いわく、「おれ、知らなかったんだ、一回しか回さないってこと。てへへ^^;」

そこに居合わせた日本人たちのあっけに取られた顔を思い浮かべると、「お前というヤツは~」と言いながら、これが笑わずにおらりょうか(爆)日本の皆様、息子がご迷惑をかけておりますが、どうぞ長い目でみてやってくださいませ~。

周囲の人達からは「ジュアン君て原始人みたいだね」と言われると言う。げ、原始人^^;「粗にして野」か・・・

するとチャットに加わっていた横からモイケル娘、「おっかさん、うちでも外でも変わらない、表裏のない人間に育って欲しいと願って育てたんでしょ?その通りじゃん、はははは」

そ、それはそうだけど、
息子が赤ん坊の頃、わたしは思ったものだ。内も外もない、どこでも同じような振る舞いをする裏表のない子になって欲しいな、と。天真爛漫、天衣無縫、元気溌剌、人見知りもせず、誰にでも相手をしてもらえたものだが、今にして見れば微妙に違うんだよね^^;

今更意見を言っても始まるまい、息子よ、城山三郎氏ではないが、「祖にして野」しかし、「卑」にはなるなや。

johnboy1.jpg

ポルトでは、「ジョン・ボーイ」「ジョンジョン」とか、時には、当時人気のあったアメリカのTVドラマ「ダラス」のちょっと悪い主人公J.R(ジェイ・アー)と同じ頭文字から、「J.R.]とも呼ばれた息子は、全く人見知りのしない性格から、親戚一同、また外で出会う見知らぬ人達からも可愛がられたものだ。

5歳のクリスマスに、アメリカに住む我が友人からスーパーマンの赤いマントをもらい、すぐさまそれをまとって家の階段を降り玄関口で両手を広げ、
「up up in the sk~y!・・・あれ、ママ。このマント飛ばないよ@@」としでかしたのには驚かされた。
それよりなにより、二階のベランダから飛び出そうとしなくてよかったとわたしは冷や汗をかいたものである。

また、子供たちが小学校3年生くらいまでは、ベッドタイムストーリーと称して寝付く前のひと時、ずっと日本語と英語の本を読んであげたものだ。

とある冬の日に息子に読んで聞かしたのは、ノルウェーの探検家で、イギリスのスコット大佐と競い、人類初の南極点到達を果たしたアムンゼンの子供時代の話であった。

北欧では寒さを防ぐために二重窓になっていると言う。少年アムンゼンは、体を鍛えるために冬の最中、その窓を開けて上半身裸で寝たというような話だった。黙って聞いていた息子、その日は「おやすみ^^」といつものように明かりを消してわたしは彼の部屋を出た。

しばらくすると、息子の部屋から灯りがもれている。 ん?眠れないのかな?と思い、ドアを開けて見ると、あらら~~~!息子!上半身裸でベッドに座り、なんと、部屋の窓を開けっ放しにしているではないの!アムンゼンの話がききすぎた~!!
息子を説得してやっと寝入った後で、夫とわたしは腹を抱えてひとしきり笑ったのであった。

下の画像は2009年7月にネット発売された、息子の一曲が入っているCDカバー。Full Propulsionが活動名だ。

JR_cd.jpg

歴史は繰り返す、息子とわたしの同体験


リスボン大学でITコースを修学した息子だが、せっかくのそれを一生の仕事にしたくないと言い出し、英国ケンブリッジ大学認定のCELTA(Certificate in English Language Teaching to Adults=英語を母国語としない英語教師の教員資格) を取得した。

IT関係の仕事は時間の制限がなく、精神的にも肉体的にも厳しいと現場の人の話を耳にしていたし、実際健康を害している人も知っていたので、息子がそう言った時に、コースを修了したのにもったいないと思ったものの、敢えて反対はしなかった。

結局、そのCELTAを利用して息子は最初、東京の語学学校のBで仕事を得て働いていたのだが、日本へ渡るとき、何はおいても趣味のトランス音楽作曲に必要なものだけは、パソコンの箱を分解して、衝動で壊れるといけないからと、バッグに詰め込み、後生大事に、自らの背中に背負い込んで行ったものである。

語学学校の仕事にも少しずつ慣れ始めたころから、そろそろと音楽活動をし始め、これまで数回依頼されてパーティー会場などで演奏していた。が、残念なことに飲み食いは只だが、ギャラもただ(笑)

ある時、都内の、とある会場で自作のトランス・ミュージックをひっさげて演奏していたところ、その会場へやって来たのが、「うげ!ボ、ボスだ!」

職場語学学校Bのアメリカ人ボスが姿を現したのだそうだ(笑)

「で、あんた、どうしたの?」
「最初は咄嗟に隠れようと思ったんだけど隠れるところがなかった」

当たり前ではないか。頼まれた演奏を途中でほったらかして、ボスが来たからと消えるわけにもいくまい。仕方ないから観念して、自分からボスのところまで出向き、
「ハロー・ボース^^」(笑)大都会の東京で、そんな風にして職場のボスに遭遇するとは、世の中誠に狭い。

「おっかさんにも昔、バイトのビアハウスで似たようなことがあったのだよ」と、息子のこの話を聞いて思い出した遥か昔のできごとを語り、親子で同じような歴史を繰り返してるとは、と二人で笑いこけていたのであった。

その話とは、「あの頃ビアハウス」にある。興味がある方はどぞ。
 「グッドチーフ・バッドチーフ1
 「グッドチーフ・バッドチーフ2

あげたらきりがない思い出話だが、息子の性格を端的に表していた一枚の写真がある。

JR.jpg

日本の社会は息子のような性格の人間には、少し息苦しく感じられるであろうとわたしは思っている。大学の講義がない春、夏にポルトに帰ってくるのは、天真爛漫、天衣無縫の本来の自分そのままを受け入れる私たち親や友人たちがいるからであろう。ここで鋭気を養って再び日本へ向かうのである。

海外へ出る多くが、いずれ故国に帰るノスタルジアを抱えるポルトガル人の血を、がっちり息子に見るのである。
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