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2018年10月30日 

去る7月に夏休みに入って以来、ポルトガル語レッスンをまだ開始していませんでした。

帯状疱疹と不眠症では学習に集中できず、ディアス先生に一応お断りを入れてはあったものの、果たしてこの生徒を再び受け入れてくれるかと連絡をしてみたら、「いらっしゃい」とのご返事。

やっと、今日から始めるのですが、昨日、予習をしようと開いたページは「Rua das Flores(花通り)」について書かれてありました。現在のサンタ・カタリナ通りができる以前の昔、この通りはポルトの街の繁華街で今でも老舗が並んでおり、お気に入りのポルトガル手芸品店「Memorias」もあるので、わたしはしょっちゅう歩いてきました。

読むうちに、うわ、これだったのか!と、長年謎だったシンボルの謎が解けたのであります↓

rua-flores_simblo1.jpg

これは花通りにある現在修復中の古い屋敷、Casa dos Maias(マイア一族の家)の表壁に見られるシンボルです。(ブログ後記で案内しています)

わたしが来た当時の今から40年前から既に荒れ放題に放ったらかしされてきたのですが、屋敷は18世紀に改築され、改築にはトスカーナの建築家ニコラウ・ナゾニが関したと言われます。つまり、この屋敷はもっと昔の16世紀始めから、このシンボルとともにあったのです。

この屋敷の正面に見られるBrasão(ブラザォン=紋章)については調べて分かっているのですが、それにしても、はて?これは何のシンボルであろうか?と長年謎でした。

さて、16世紀始めにドン・マヌエル一世によって「花通り」は開通され、一帯にはサン・ドミンゴス教会、修道院が建築されました。当時のポルトの司祭は、Alpedrinha(ポルトガル中部地方の町)司祭の甥のペドロ・コスタでした。

このAlpedrinha司祭がアレキサンドリアの聖カタリナの家族と血族関係があると言われることから、ポルトの司祭は、紋章として「聖カタリナの車輪」のシンボルを使い始めました。以来、司祭にの属する建物には、この車輪のシンボルがつけられるようになったとのこと。

「車輪」は聖カタリナが拷問を受けた彼女のシンボルであり、ポルトガル語では「Roda de Navalha」と言います。

長い間「マイア一族の家」と呼ばれてきたこの屋敷は、16世紀にMartins Ferrazなる貴族の邸宅であったことから、Ferraz 家はポルトの司祭と血縁関係があるのでしょう。屋敷がマイア一族の手に渡った18世紀後も、こうして「聖カタリナの車輪」のシンボルは残ったということになります。

さすれば他の司祭の建物にもこのシンボルが見られることが考えられます。 一度、散策しながら探してみようかと思っています。

現在、「Casa dos Maias」は改築中。ホテルになるのだそうですよ。是非とも、由緒ある二つの紋章は残して欲しいものです。

 「カーザ・ドス・マイアス」 
 「サン・ドミンゴス広場の面白い文具屋さん


本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。



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