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2019年5月17日

先週日曜日、今週の火曜日とわたしにしては珍しい友人との昼食会が続きました。
日曜日は、2、3ヶ月に一度の4人組の定例会です。同じ職場のOB会、いや、I氏とわたしは退職しましたが、あとの二人はまだ補習校の現役ですから、気のあった仲間と言った方がぴったりくるでしょう。

わたしが補習校を退いたのは2009年3月以来ですから、この食事会も10年になります。話題もそれぞれの子どもたちの日本語教育、補習校教育だったのが、今では老い先どうなるか、どうするかが、専ら話題の中心です。

火曜日は、その4人仲間よりも更に長い付き合いになるポルトガル人の友人、エディットさんと、海辺の日本レストランでの昼食でした。 わたしに仕事があるため、同年齢の彼女とは、なかなか会う機会がなく、今回は1年ぶりに顔を合わせました。わたしがポルトに来て初めてできた、心を許せる友人の一人です。

30年も前にご主人を亡くしていますが、昔話に花を咲かせて、美味しい日本食をいただいてきたのですが、この二つの食事会の昔話のせいか、昨夜は生まれ故郷の夢を見ました。

今日はその夢に絡んだ過去記事をあげてみます。2011年に書いたものを書き換えています。以下。

思い出のバスに乗って: ふしみ・かなめ君

作家向田邦子氏のエッセイに「眠る盃」というのがある。
「荒城の月」の「春高楼の花の宴 めぐる杯 かげさして」の「めぐる杯」を少女時代からずっと長い間「眠る盃」だと思っていたというのである。

よくありがちな話で、おっちょこちょいなら人にひけをとらないであろうわたしだ、同じような体験を持っており、これを読んだときにはなんだかすごく向田邦子という作家が身近に感じられ、以来ファンになったのである。

かごめとかもめを同じ鳥だと思い、「かごめーの水兵さん、ならんーだ水兵さん」と歌っていたし、かごめが鳥などではなく、竹で編んだかごの網目だと知ったのはずっと大人になってからだ。

また、愛唱歌「朧月夜」にある、「菜の花畑に入日うすれ、見渡すやまのは~」と、これは大好きな歌のひとつなのだが、おっとっと、補習校の朝の歌に選択し子供たちに教えるまで、「見渡す山野は(Yamano wa)」と歌っていた。

「見渡す山の端」だと歌詞を文字で見て知り、冷や汗をかいたことがある。以来、ソコツな自分だからこそしていたかも知れないその間違いを、他人もしているに違いないと勝手に思い、しばらくの間は聞かれもしないのに会う人ごとに解説をしたものであった。子供たちにも「ここは、こういう意味でこう歌うんですよ」と、さも知ったように話したわたしではあった。

おなじみの歌、

夕やけ小やけのあかとんぼ、
おわれてみたのは いつの日か

漢字で歌詞を書くと「負われて見たのは」となるのだが、大人になってもずっと「追われて見たのは」と歌っていた。よく意味を考えると、「追われてみたのは」ではおかしいと気づくはずなのだが、子供のころの刷り込みは疑ってみようとも思わない。「洗脳」というのはこういう怖いことだとこの時改めて思った。

さて、どうしてこんな話かというと、2、3日前のこと、いつもの通り、日本に住む我がモイケル娘、「ただいま~」とスカイプにあがってくるなり言うには、「おっかさん、まりちゃんが要(かなめ)君に会ったって!」

まりちゃんとは我が妹のことで、モイケル娘にすればおばにあたるのだが妹には「まりちゃん」で承知してもらっており、そのおばとも娘は時折ネットチャットしている。

「かなめ君て、ふしみ・かなめくん?」と聞くとそうだと言う。

思い出の坂道を一気に駆け上るシグナル「ふしみかなめ君」なのだ。こう書くと初恋の人とでもたいがい思われるんだろうが、そうではない。

わたしの子供時代、弘前の下町だった新町(あらまち)に母とわたし、妹の3人は祖母に同居していた。未婚だった母の兄弟もおり総勢13人が祖母の一つ屋根の下に住んでいた。その隣家の床屋さんの一人息子君で、ことチャンバラでは近所で右に出るものがないくらいピカイチのガキ大将だったわたしに、毎度やられては泣いて家に帰っていたかなめ君なのだ。

妹はガキ大将のわたしにしょっちゅうくっついて共に遊んでいたあの頃、わたしも妹も、なぜだか今に至っても色あせることのない「ふしみかなめ君」の名前なのである。

それを我がモイケル娘がなにゆえ知っているかと言うと、そういう昔話をこのおっかさんから繰り返し聞かされていたのであった。

まりちゃんこと、我が妹が言うには、ついこの間、ダンナと一緒に弘前へ帰ってきた。(義弟も弘前出身である)そのついでに今は祖母の家もなくなってしまったが、新町に寄った所がひょいと床屋から出てきたのが、なんとその要君だったそうだ。

共に遊んで、いや、要君にしたらしょっちゅう泣かされた遊びなわけだが、要君に会わなくなってゆうに半世紀にはなろうから、わたしなど彼の顔はまったく覚えていないというのに、我が妹、よくぞ分かったものとすっかり感心した。

ふしみ理髪店とでも看板があったのだろう、わたしたちと同じ年恰好の床屋の主人と見て、要君とわかり話しかけたのだそうだ。

さて、ここからわたしの「眠る盃」なのである。

ふしみかなめ君とは切り離せない連鎖する津軽言葉がわたしたち二人にある。彼がうわ~~んと泣いて家に走り去る姿を見ては二人して「ガニアベガニアベ」と喜んでいたのであった。

この語源も知らずに我らは使っていたのだが調べて見ると、蟹を食べるのに塩加減がちょうどいいことを津軽では「いいあんべ、ガニあんべ=いい塩梅あんばい)カニ塩梅(蟹あんばい)」と言うのだそうで、わたしたちはその言葉をどこかで聞き、勘違いして「泣かせてやった、へ~んだ」くらいの意味で使って
いたと思われる。

泣いて帰ったかなめ君のご両親からは一度も苦情が来なかったことを思えば、子供同士のこととてそれも遊びの枠と大目に見ていたのであろうか、あの頃の世の中はのんびりしたものであった。

故郷の夢を見た時は、いつも幼い頃の思い出が生き生きと甦り、無性にあの頃が愛しくなる。

思い出のバスに乗って 黄色い帽子の子が走ってくる
人差し指の向こうの坂道

あれから60余年、人生の色々なバスに乗り継いで、わたしはこんな遠いところまで来てしまった


今日も読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、また!

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コメント
自分の幼いころの思い出も~
エッセイを読ませていただきながら、私も幼い頃を思い出していました。
ふしみ かなめ君のおなまえもしかと覚えました。

あれから60余年、人生の色々なバスに乗り継いで、わたしはこんな遠いところまで来てしまった。

 spacesisさんの人生が短い文章の中に凝縮されているような気がしました。

2019/05/18(Sat) 15:31 | URL | ムイントボン | 【編集
ムイントボンさん
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。

本日、そちらにコメントをしましたが、ちょっと方法が違うもので、果たして届いているでしょうか・・・

ご確認くださいね^^
2019/05/19(Sun) 06:16 | URL | spacesis | 【編集
ありがとうございます。
わざわざお越しいただき、何とも軽い~深みのない(苦笑)わがブログにコメントまでいただき、感謝いたします。

 はい、spacesisさんのおすすめレストランはチェックしてあります。 ポルト滞在中には 是非行ってみたいと思っています。まだ時間がありますのでspacesisさんの過去の記事を完全読破を目指しています。  こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。拝。
2019/05/19(Sun) 06:40 | URL | ムイントボン | 【編集
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