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2019年5月21日  

かつての職場、補習校の同僚はみな、連れ合いがポルトガル人でした。その中でもわたしが最年長でポルトに住んでいるのも一番長く、1979年の5月に来ましたから、もう在住41年目に入りました。夫を連れ合いとするのが3人、妻を連れ合いとするのが2人でした。2005年の話です。

当時は「ポルトの生き字引き」なんて呼ばれたりして、喜んで良いものなのか、自分としてはなにやら「テヘへ」な思いがしていたものです。

今なら実生活面でのポルトの生き字引は、3人の子どもを育てあげ、数年前に夫に先立たれた大阪出身の友だと断言できます。役所関係の面倒な諸手続きを弁護士を雇うことなく、なんとかやり抜けた人で、エライなぁの一言に尽きます。

「大変だったけど、子どもたちの手助けもあってなんとか終わった。あんたが同じような立場になったら、いくらでもアドバイスしたる!」と言うてくれるのですが、そんな日ができれば来ないで欲しいなぁと、実は結構アカンタレなわたしは思うわけです。

こんなことを書くのは、当時と変わらず付き合いが続いているのはメンバーのうちの3人に、我が相棒のOちゃんが加わって4人組になり、先々週末に久しぶりに色々おしゃべりしてきて、みな今より15才若かった時の、ちょっと面白い話を思い出したからなのです。

それと、拙ブログは2006年から始まっていますが、その前は2004年からホームページを運営しており日記を掲載していたのが、今年の春にヤフーのホームページが全面閉鎖となったもので、メモしておきたい日記は、こちらへ載せようと思ってのことです。拙ブログは子どもたちへのメッセージでもありますゆえ、ご勘弁のほどを。

では、以下に。

flores2_1.jpg

かつては集まると、それは各々の子供や日本の子供に関する教育の話、そして今ほど簡単には耳に入らなかった日本のニュース、そして、ついでに連れ合いの家族の愚痴話(笑)、果てはポルト市のどこどこの店で日本食を見かけたとか、今度スペイン系の大きなデパートがどこそこにできる、等等の情報交換の場になっていました。

それでもやはり主だった話は、みなが子育てに必死になっていた時期でもあり、しつけや学習のことが大方でした。

それが、数年前からいつのまにか、老後はどうするかに話が及んで来た^^;みなさん、子育てが一段落したということです。
わたしはと言えば、我がモイケル娘はホームページを開設したと同時に東京の大学受験を目指して日本へ行き、息子はリスボンで、夫と当時は猫6匹の生活でした。

やっぱり、老後は日本!と言って、帰国して自分一人老人ホームに入る、というI氏。(彼はかなり真剣に考えてます)→それが今は、孫も二人でき、帰国はなし。ポルトに骨を埋めるとのこと。

持ち家を売っぱらって大阪かイタリアに住みたいというKさん(日本語通じないイタリア行ってどうするんや~~^^;)→それが今は、日本はセワシナイ。歳とったら落ち着いたポルトの方がずっといい。

子供がいないから、多分日本でしょうね、というRさん。

もしかしたら、既に家族で日本帰国を計画しているかも知れないK氏。→それが今は、日本。ポルトガル人の奥方と子どもを連れて12、3年ほど前に帰国。

こんなことをカフェでワイワイにぎやかに話し合ってるうちに、日本で一軒家を借りて、Vila Portugal(ヴィラ・ポルトガル)とかなんとか名前付けて、みんなでいっしょに住むのはどうか、なんてところに話が及びまして(笑)

「お、それいいじゃないの。」
「どのあたりにするね?」
「親友が和歌山の片田舎にアトリエと称して、古いけど物凄く広い土地屋敷を
持ってるから、その畑の一隅を借りるのはどう?春にはあそこ、桃源郷だよん」とは、わたし。
このアトリエは後日紹介。

「いいね。けど、その親友にもしものことがあったら、遺産相続なんやらでわたしら年寄り、おんだされるよ」
「あ、それもそうだ」
「証書、とっといたらどう?」(←まだ、貸せとも貸すともなってない話ダスw)

「でもね、そんなド田舎、年寄りばっかり住んで、食料買い出しはどうするのよ?」
「う~~ん、車一台いるね。しかし80過ぎての運転はちょっとこわい」
「自給自足はどう?」「うん。Iさん、農学部出だしね、そっちはお任せ」

「よっしゃ。料理は好きだから、わたしがする」我が友。
「キレイ好きなRさんはお掃除係だね。うんうん」
じゃ、わたしの役割は・・・ぼけ~~としておもろいことばっかりやってるから、それでだけでも十分存在価値はある、って、なんでんねん(笑)

「でも、アンタ、年金あれへんやん」
「あ、いけない。ど、どうしよう・・・」
「ご主人の遺族年金があるから心配いらんか。仲間になんとか入れたる」
(↑入れたる、って和歌山はうちの親友がらみだで・・・w)


ここまで来てわたしはハタと気づいた。
「ちょとまてぃ!」

みんな、自分は、絶対連れ合より先に逝かないという前提で話してますわ(笑)厚かましいったらありゃしない。この一言で爆笑です。

そして全員しみじみしましたです。なんの因果でか知らないが、長い間ポルトガルに住んじゃったね、と・・・

わたしは、といいますと、老後云々の前にもう一花咲かせてみたい、なんて密かに思っていて。

何事も夢の実現にはかなりの時間がかかる人間です。しかし、夢は見続けることこそ大事だとの信念があります。見続けることがいつか実現につながると思うわたしはおめでたいでしょうかw

何の花かと言いますとね、咲いてのお楽しみですわ(笑)            2005.5月

15年経た現在をそれぞれ赤字で上記に突っ込みいれてますが、最後のわたしの花は咲いたのか?となりますと、はい、おおぶりな花ではありませんが、小さく咲きました。

創立から21年間、毎週土曜日に通った補習校講師は、引き止められもしたのですが、まだエネルギーがあるうちに、今度はポルトガルの人たちに日本語や日本文化の一部を紹介したいと思い、61歳で退職しました。

日本文化紹介はOちゃんを引っ張り込みボランティアで展示会を開いたり、影絵を上映してきました。
日本語については、わたしの目的は、お金はないけど時間はある、日本語に興味がある、という若い人を対象にしました。

そうして始めた土曜日週一の日本語教室が今年で8年目。生徒も授業料の安いのが魅力的なのでしょう、Oちゃんのクラス、わたしの2クラスと小さいながらも教室を借りて開けるまでになりました。

いえね、本当を言いますと、教室料、コピー代、税金等を引けば大した実入りはないので、趣味みたいになってしまいますが、教えるのが楽しいという気持ちはホンマです。これがあるから続けていられるのです。これがわたしの15年後の現在です。

下記、興味あらば補習校最後の日のブログをどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-722.html(さらば、補習校)

お時間あらば、ランキングクリックしていただけると嬉しいです。

それでは、また!
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コメント
日本文化を多くの人に知ってもらうこと~
 日本語教室などの活動はほとんどボランテイアですね。それを続けていらっしゃる、本当に頭が下がります。

ポルトガルの人々は旅人である私共にもいつも優しく接して下さいます。それはポルトガルに住む日本人の方々皆さんが日本人代表としてリスぺクトされているからだと思うのです。

 連れ合いより長生きすると思い込んでいるところはこちらも同じで可笑しくなって、、、

 たぶんそうなるだろうとは思います。そうなって欲しいと思います。手のかかる子供を残すような気持で、独りになったら多分生きていけないだろうと思うからです。

 ポルトガルで最期を迎えるとき、宗教的な問題はどうなるのだろうと考えてしまいます。日本でも今は宗教的なものを排除している葬儀を見かけることがありますが
・・素朴な疑問です。
2019/05/22(Wed) 07:36 | URL | ムイントボン | 【編集
ムイントボンさん
こんにちは!いつもコメントをありがとうございます。

わたしはこちらに来てから母国恋しさに帰国するごとに細々といろんなものを持ち込みました。

今は関税がかけられ、なかなか難しそうです。ラッキーでしたね。

左のカテゴリ欄で「ボランティア活動」をクリックしていただけると、素人の日本文化展示会等がご覧になれますので、興味がありましたら、どうぞv-290

ポルトでの老い先の話ついでに、お墓のことを書きに綴ってあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1175.html
(ポルトでお墓の話)

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1288.html

こちらはお墓がらみの一番新しい記事、といっても2016年になりますがv-407
2019/05/23(Thu) 02:42 | URL | spacesis | 【編集
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