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2019年8月1日 

毎年8月1日から一週間続く、我が故郷弘前のねぶた祭りが今年も始まった。

ねぶた1
弘前プロモーションから。

初日から6日間、ねぶたは夜に町を練り歩くのだが、七日目の最終日は「なのかび」と言い、朝からねぶた囃子が聞こえ、日中の練り歩き、そして、岩木川原で今年のねぶたに火を放ち、炎で清めて川に流すのである。

ねぶた2
弘前プロモーションから。

ねぶたは「ねぷた」とも呼ばれるらしいのだが、幼い頃からわたしは「ねぶた」と呼んで来た。「ねぶた、ねぷた」は津軽人の標記しがたい独特な発音からであろう、わたしは定義はない思っている。

今日は、既に綴ったねぶたに関連する記事を数箇所書き換えて再度載せてみたい。以下。


遠い昔の自分と出遭う

手元にわたしがこれまで一度も目にしたことのない幼い頃の写真がある。

2007年3月に東京のW大学から九州の公立大学に転校し、山口県の下関に移動した娘に会いに、一ヶ月ほど日本に滞在した時のことである。

ポルトに帰る前の10日間ほどを所沢の妹宅で過ごしたのだが、お茶を飲みながらのある日のこと、妹が「こんな写真を小倉のおじさんのところで見つけてもらって来た。」と、数枚の白黒写真を持ち出して来た。

小倉のおじというのは、3年ほど前に亡くなった、9人兄弟だった母の末の妹でわたしたちの叔母にあたる人の連れ合いである。本サイトエッセイ「思い出のオルゴール」の「急行日本海」でも登場しており、当時は大阪に転勤で住んでいたのだが、わたしはこのおじたちと多感な中学時代の最後の1年を弘前から転校して過ごしたのだ。
      
写真を見たわたしは思わず感嘆の声をあげた。祖母を始め、我が母、父、叔母の、今は亡き人たちの懐かしい顔が数枚の写真の中でにこやかに微笑んでいる。写真の背景も、わたしの記憶に残っており、妹と二人、時間のたつのも忘れて、ひとしきり昔話に花を咲かせたのだった。

あばちゃ

わが祖母と祖母の9人の子どものうちの娘3人。右端がわが母である。左端に写っている男の子は、当時祖母の家に同居していた従弟のひとり。祖母の家はわたしたちも含む13人の大家族だった。
  
そして、妹が「もう一枚!」と取り出してきたB3くらいのサイズの大きな写真がこれである。

memory1hirosaki.jpg

これには、うわぁ~と、それこそ歓声をあげずにおられなかった!今では日本の三大祭のひとつに数えられる、遠い昔の町内ねぶた祭りの一夜の写真なのだ。右のプラカードには「上新児童福祉協会」(上新=上新町)と書かれ、左には「三国志 張飛奮戦○上新町」とある。○の字は読めない・・・

「この中にわたしたちがいるのよ。見つけられる?」と我が妹。

50数年も前の自分を探して、しばらく写真に見入るわたし。妹は言う、「わたしはすぐに分かった。」
わたしたちの幼い頃に関する二歳下の妹の記憶は素晴らしく、「あの時、こうだったああだった」との話を聞かされては、よく驚かされるのである。思うに、無鉄砲なわたしと違い、妹は子どものころからよく周囲を観察することができたのであろう。

大勢のなかで、なぜだか一人だけ小首をかしげている女の子に出会った。
「こ、これじゃない?」と自信なさそうに指差す小さな顔。
「うん。それがゆうだ。で、わたしはこれ。」

hirosaki

小首をかしげているのが60数年前のわたし、下が妹。

背景は真っ黒でよく分からないが、左端にやぐらのようなものと幕が見えるところから、ねぶたの置き場から出た場所だとうかがえる。はしっこにちょこっと当時の自転車も見える。

ねぶた祭りは毎年あったのに、一枚だけがこうして残っているのは、恐らくこの年がわが祖母タマさんが町内のねぶた祭り世話係だったのだろう。一晩上町を練り歩いてねぶたを引っ張って帰ってくると、祖母が家でわたしたち子供のためや大人のために握り飯や菓子、飲み水などを用意して待っていたのを覚えている。

夏休みの8月1日から6日間、日が暮れ始めるとねぶた囃子が聞こえてき、わたしたちは、鼻にスーッと水白粉で白い線を引き、半纏を着て鉢巻しめ、中にろうそくの火をともされたこの巨大なねぶたを「ヤーヤドー!」と引いて下町から坂を上り上町へ出、弘前の夜の町を練り歩くのである。疲れて眠くなり、足元がおぼつかなくなると、ねぶたを乗せた台車に座らせてもらえた。

数台の大きな和太鼓は、ねぶたの後ろに積まれ、笛吹きたちも加わり「歩け」のリズム、「止まって休め」のリズム、「帰路」のリズムと、ねぶたを引くものたちに合図する。帰路には「ヤーレヤレヤーレヤ、ねんぷたのもんどりこ!」(ねぶたの戻り)と、眠気を吹き飛ばして掛け声かけて帰るのだ。

「ダカダン ダカダン」と、太鼓のリズムと笛から流れる音色は、今もわたしの耳に残っている。雪国の夏の六夜の、ほとばしる津軽縄文人の熱き血潮がふつふつと湧いてくるような祭りである。

この写真には、それから数年後、内弁慶のわたしが棒っきれ振り回し、やおらガキ大将になって泣かしていた子分たちもいるはずである。半世紀以上も昔の「自分」という少女をかろうじて見つけられたわたしは、何度この写真を見直しても、あの頃の子分たちを見つけられないでいる。

小首をかしげている古い写真の少女を見ると、わたしは少し目が潤む。そして、静かに語りかけてみる。

「ハロー。あなた、随分歩いて、ここまで来たのね。」

2018年のねぶたまつり弘前プロモーションの動画を拾ってきました。



本日はこれにて。
今日は今から東京息子を空港まで出迎えに行きます。
ではみなさま、また!


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2019/08/02(Fri) 08:52 |  |  | 【編集
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