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2019年8月12日 

戦後2年目にしてわたしは父の故郷である岩手県の雫石に生まれたのですが、子供時代から高校を卒業するまでのほとんどを青森県の弘前(ひろさき)で過ごしました。

時々、その弘前での18年の日々を思い出すのですが、最初に浮かんでくるのは、「我が家は一貫して貧乏だったなぁ」と同時に「けれど、なんて当たり前な、のどかな時代だったろう」という思いです。

この頃の思い出話は、興味のある方はこちらで読んでいただくとしまして、

かつては8月にも自宅では日本語を教えていた時期があり、時節柄、二人組みの生徒さんに「お盆」の話をしようとしたら、生徒の一人が、

「せんせい、その言葉、知っています。トレイ(tray)でしょ?」と言います。

「お、よく知っていますね、その言葉。」と、まずは褒めておき(笑)「今日話すのは、そのお盆ではなくて、祖先の霊を祀る日本の行事のお盆です。」(もっとも語源は先祖の霊に食物を供えるのに使った「トレイ、お盆」から来るとの説もある)

外国語を学ぶには、もちろん文法も大切ですが、その国の歴史や習慣を知ることも重要だとわたしは思うので、日本語クラスでは機会があれば、日本の行事や習慣の説明を試みます。外国語を学ぶことはその国の文化を学ぶことでもあります。

さて、日本の伝統行事では、ポルトガルとは習慣が違うわけですから、説明に色々手間取ったり、意表をついた質問が出たりして、こちらがハッと気づかされることも時にはあります。自分にその行事の経験があると、説明も生き生きとして余計な失敗談に及んだりもして授業は盛り上がります。

わたしが子供の頃、お盆というと、必ずしたのが下町の祖母の家の玄関前での「迎え火、送り火」でした。灯かりを目印にご先祖さまの霊を「お帰りなさい。こちらですよ。」お迎えし、送り火は、「また来年までね」とお送りするのです。

祖母の家では、割り箸を二本ずつ縦横と交互に組み合わせた四角を高くしていき、その中で迎え火、送り火を炊いていました。

先祖の墓参りには、霊魂があの世とこの世を行き来するために「精霊馬」と呼ばれるきゅうりやナスに割り箸を四本刺して、馬、牛の形にしたものを作り持参し供えました。こんな感じです↓

obom.jpg
(画像はwikiより)

祖母の吉崎家では9人兄弟で長兄は戦死、残った8人兄弟の一番上がわたしの母でした。南部出身の父は、家族を放ったらかして地方競馬の騎手として岩手県盛岡市に住んでいましたので、母とわたしと妹の3人は祖母の家に、おじたちや従妹家族たちと同居していたのですが、14、5人の大家族でしたので、墓参りや、月見、お正月の餅つきなどの家内行事はそれは賑やかなものでした。

おじたちがやがて所帯を持ち、祖母の家もおじが判子を押した知り合いの保証人の責任として売り払わなければならなくなり、大家族はちりぢりになってしまいましたが、その後も、お盆には、それぞれが家族を連れてお墓参り、大勢が墓前で顔をあわせることになったものです。

お墓が清掃されているのや、お供え物がすでにあるのを目にしては、「誰々がもう来た」などおじたちの名をいう母の言葉をよく耳にしました。

そうして時代が過ぎ、いつの間にか、一族が揃って顔をあわせるのは、結婚式か葬式になってしまいましたが、母も含めおじやおばもやみな、ご先祖さまの仲間入りし、わたしもポルトガルに定住てしまった今は、それも無くなりました。

お盆が来るたびに、意味も分からず精霊馬を遊びながら作り、祖母や母、おじやおばたちと一族が連れ立って、墓参した子供の頃が思い出されます。

そうそう簡単に日本へ帰れない異国にいるわたしは、今年も遠い昔のお盆を思い出し、心の中で迎え火送り火をたき、今日まで無事に生きて来られたことをご先祖さまに感謝いたします。

追:2007年に30数年ぶりに先祖の墓参りをしました。 その時のエピソードは こちら→「ご先祖様、お笑いくださるな

ではみなさま、また。

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