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2019年8月14日 

現在の住居のフラットからすぐ目と鼻の先にわたし達一家の旧住まいがある。既に築70年はたっているであろうと思われるボロボロの家であった。

あちこちガタが来ていて、雨季の冬には壁に結露があらわれ、娘が赤ん坊のころは毎朝起きて一番に壁の結露を拭き取るのが日課であった。

古い建物ゆえ冬は隙間風が入り我が家を訪れる日本人客はみな寒い寒いと、ストーブの前でお尻をあぶり、そこから動くものではなかった。しかし、台所からの夕方の眺めは格別であった。

当時の我が家は借家で、「Moradia=モラディア」とポルトガルで呼ばれる3階建ての一番上。勝手口からは一階にある庭に通ずる屋根のない石段があり、その庭の後ろは、だだっ広いジョアキンおじさんの畑だ。そして畑の向こうはフットボール場がある。試合のあるときなどは、石段の踊り場に椅子を持ち出して観戦できるのである。
  
そこでの16年間、わたしは春にはジョアキンおじさんの一面黄色になる菜の花畑の世界に心和み、秋にはとうもろこし畑のザワワと言う音を楽しみ、そして真冬の夜半には、日本から持ち込んだ小型の天体望遠鏡を持ち出して月面のクレーターやかろうじてキャッチできる木星の衛生に見入ったものだ。
  
それにも増して素晴らしかったのは夕暮れ時だ。言葉を失うほどの一瞬の美を自然が目の前に描いてくれるのである。勝手口から見える向こうの林と、そのまた向こうに見える町に、大きな真っ赤な夕日が膨らみながら沈んでいくさまに、しばしわたしは夕げの支度も忘れ見入っていたものだ。

やがて群青色の空が少しずつ天空の端から暗くなり、天上に明るい星がポツリポツリと灯ってくる景色は、もはや、わたしの稚拙な文章力ではとても表現しきれない。それを見る特等席は、実は勝手口よりもその隣にあった息子の部屋の窓からなのである。

どんな写真でもどんな絵画でも見ることのできない、空間をキャンバスにした素晴らしい絵の一瞬であった。幾度もそうやって、わたしは夕暮れ時の贈り物を天からいただいていたのである。

わたしには、忘れ得ぬもうひとつの夕日がある。

高校3年の夏休み前のこと、先立つものがないのは分かっていても進学を諦めきれず、担任が持ってくる就職の話に乗ろうとしないわたしの様子を見かねた英語の教師がなんとか取り付けてくれた話に、朝日新聞奨学生夏季体験があった。英語はわたしの得意学科だった。

その制度の何と言っても魅力的だったのは、大学入学金を貸与してくれることである。4年間新聞専売店に住み込みし、朝夕刊を配達しながら大学に通うことができる。その間は少額ではあるが、月々給与も出、朝食夕食もついているのだ。女子の奨学生体験は初めてだったと記憶している。

高校3年の夏、往復の旅費も支給され、初めてわたしは上京した。当時はゼロ地帯(海抜ゼロメートル)と言われた東京の江東区のの新聞専売店だった。

その専売店にはすでに夜間大学生、また中学卒業後、住み込んで働いている者など、男子が数名いた。二階の一つ部屋に男子はみな雑魚寝である。隣にあるもう一部屋は、まかないを切り回していた溌剌な25,6歳の、おそらく専売店の親戚であろうと思われる女性がひとり、専用していた。そこに一緒に寝起きすることになったのである。

新聞専売店の朝は早い。4時起きである。何枚ものちらしを新聞の間に挟みこむのも仕事のうちだ。そうしてそれが終わったあと、配達に出る。夏の早朝の仕事は、むしろ快かった。

なにしろ初体験のしかも女子である、部数はかなり少なくしてくれたはずだ。いったい何部ほど担いだのか、今ではもう覚えていない。狭い路地奥の家に配達する際には、毎回イヌに吠えられ、つまづきそうになって走り抜け、両脇の塀に腕を打っては何度擦り傷をこしらえたことであろう。それでも、大学に行けるという大きな可能性の前に、くじけるものではなかった。
 
しかし、仕事の内容は配達だけではなかったのである。集金、これはなんとかなる。拡張、つまり勧誘です、これが、わたしにはどうにもできなかったのでした。
  
「こちらさんが新聞を取ってくれることによって、わたしは大学に行くことができます。どうかお願いします」という「苦学生」を売り物にするのだが、の売りがわたしはできなかったのであります。

確かに苦学生と呼ばれることになるのだろうけれども、それを売り物にすることは、わたしの中の小さなプライドが立ちはだかり、その売りをすることを許さなかったのである。

頑として、勧誘先の玄関に入ろうとしないわたしを見て、中卒後そこで働いていてわたしの指導員をしていたHは、自分が入って行き一件注文を取って来た。
「ほら、とってきた。とらないとお前の成績はあがらないぞ。成績があがらないと、金だってちゃんともらえないのだ。お前がとったことにするから、いいな。」

助け船をだしてもらいながら、情けなさとやりきれない思いとで、自分自身がつぶれてしまいそうな午後だった。

その日の夕刊配達時は、江東区の空を真っ赤に染める夕焼けであった。おかしなもので、それまで気にもならなかったのに、、その日は自分と行き交う同年代の若者達がとても眩しく目に映り、肩に担ぐ新聞はズシリと重くのしかかり、不意にこみ上げてくるやり場のない哀しみをわたしは噛み砕くことができなかった。

赤銅色の、焼き尽くせない孤独を湛えた江東区の夕日。わたしは進学を断念したのだった。

yuyake
これはポルトの夕日です。
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コメント
ポルトの夕日…よろしおまんな(^。^)
1964年から1965年、あたりは、わても牛乳配達してました、大学入試のその日の朝も、配達してから、お受験でした(^。^)
人を愛してひとはこころひらき…🎶…すきま風…杉良太郎…ポルトの夕日が三丁目の夕日みたいでわても、思い出しますな〜あの頃を(^。^)
2019/08/15(Thu) 09:41 | URL | やまひろ | 【編集
やまひろさん
牛乳配達も朝早く、しかも重いので大変だったでしょうね。

あの瓶に入った真っ白な牛乳、わたしは大人になってから駅の売店でよく飲んだものでした。夏は冷たいの、冬はちょっと温かいの。懐かしいです。

西武線池袋駅出口の売店にもあったもので、帰国時は楽しみでよく飲みましたが、数年前に行って見たら売店はなくなっていて、がっかりしましたね。

うちの台所ベランダからは日没が見られるので、しょっちゅう写真を撮っています。
思い出の中に夕日が見えるのは、日暮れまで遊び呆けた子どもの頃があるからかな?


2019/08/15(Thu) 19:27 | URL | spacesis | 【編集
本当に頑張り屋さんだったのですね。
>大学に行けるという大きな可能性の前に、くじけるものではなかった。

 男子ばかりの専売店に女子が初めての奨学生に。その心意気に胸が詰まってしまいました。優子ちゃんを抱きしめてあげたい。ドアをたたいて勧誘するなんてことまだ子供の優子ちゃんができなくたって当たり前。そんな口八丁な女の子なんているはずもない。

 夕日にかけて語られるポルトの生活と青春の頃。その文章のうまさにほれぼれ。まるで一編のドラマを観たかのようです。

 多くの経験が今のspacesisさんを作っているのですね。彩豊かな人生。素敵な方です!
2019/08/16(Fri) 06:53 | URL | ムイントボン | 【編集
ムイントボンさん
あの時は頑張れませんでした・・・v-408

今でもお世辞が言えないので、セールス系の仕事はダメです。

嘘に近い言い訳もしどろもどろになり、ネコが寝ぼう、ですからね(笑)息子がわたしと似ており、目を見ると嘘をついて誤魔化そうとしてるのかどうか、すぐ分かります。


2019/08/17(Sat) 00:45 | URL | spacesis | 【編集
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