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2020年2月14日 

今日はよくコメントを残してくださる「やまひろ」さんのリクエストで、かれこれ10年以上も前に書いたエッセイを再掲します。
以下。

墓参もご先祖の霊の迎え火送り火も容易にできないほどの遠国に住んでしまったわたしではあるが、8月は遠く過ぎ去った夏にひとりしきり思いをよせる時期である。

10年以上も前になるが、横浜のおばがみまかったのを最後に、おじおばである我が母方の9人兄弟はみな鬼籍に入ってしまった。

父は岩手県雫石の出身だったが、どうやら若い時から家族のもてあまし者だったようで、父の存命中もその親族とはあまり行き来がなく、我が両親亡き後はそれっきりプッツリのままであるから、わたしの思い起こすお盆はいつも弘前である。

故郷を後にして長年大阪に住んだのだが、今思ってみれば誠に残念なことに盆とてわたしは大阪在住時は一度もお盆正月の帰郷をしていなかった。

田舎の土臭さ、線香の放つ古臭さに、言うなれば因習にあの頃のわたしは精一杯抗っていたのである。古い因習に囚われずに、自由な精神、生き方は、流浪の旅の中にあると本気で考え、そういうことに憧れていたものだった。

この憧れは、高校時代に読んだヘルマン・ヘッセの「知と愛(ナルチスとゴルトムント)」のゴルトムントの生き方に影響を受けていないとは言い切れない。

青春の彷徨時代を経て、やがて人並みに結婚し、二人の子育てもほぼ一通り終えのだが、この間の異国での暮らしは、それまでのわたしをゆるく大きなうねりを描くように別の人生面を学習せしめ、再び故郷に向かう心を取り戻させたような気がする。

「子を持って親の心を知る」 わたしは遅まきながらこの言葉を今噛み締め、祖母や母の心に、故郷に、思いを馳せる。

次男坊だった父がその昔、彼を獣医にしたいという地主の父親の元を出奔したのは10代だったと聞く。思春期には黙した態度で目一杯父に反抗し、弘前から大阪への家出を繰り返した14のわたしは、何のことはない、しっかりとこの父のDNAを引き継いでいるではないか。

競馬騎手だった父がその職を諦めるべき年齢になり、盛岡から弘前に来て親子四人がともに暮らし始めたのだが、両親の仲良い姿があまり記憶にないのであった。

南部生まれの競馬騎手だった父が異郷の地、津軽に生きるのは難しかったこともあろう、昭和30年代も半ば、その日食うのにも苦労する貧しい家庭はいくらでもあり、父が無職がちだったわたしの家族もそのひとつであった。

その日食べるために、母はできうる限りのことはなんでもし、父はよく酔っては暴れていたものだ。

帰国したある都市、横浜のおじに叔母の遺品の整理を頼まれた妹が、それらの中から出てきた言って持ち出してきた、わたしたちが見たこともない古い数枚の写真の中にこんな一枚があった。

父と母

弘前の新町を背景に、父と母の、恐らく40代前半の写真であろう。なんにしても、「乗る」のが好きな人であった。このバイクで、あんな時代に父はモトクロスまがいのことをしては周囲の眉をひそめさせていたのであろう。

写真を撮ってあげるとおだてられて、「いごすじゃ。」(いいわよ、遠慮しとくわ、の意味)としり込みする母を無理やり乗っけでもしたのだろうか?仲良く写っているではないか。

この写真一枚を見るにつけ、もしもわたしがあの頃、もう少し素直で優しいい心根をもった少女だったら、もう少し気の利く少女だったら、わたしたち家族の肖像は、もう少し違っていただろうかとふと思うことがある。

子どもに責任はないと言うけれど、そうは思うが、そして無理なことではあるが、あの頃に今の心根を持つわたしを置いてみたいと、家族4人が「あっはっは」と心から笑ってみたいとの見果てぬ夢を見る。

失って長い時間がたたないと見えてこないものが人生にはある。

(2007年のエッセイを書き直しています。)
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コメント
『très bien!』
このスナップ写真一枚に、『パパとママ』のしあわせな刹那が最高に表現されている、アカデミー賞受賞級(^。^)、いやピューリッサー賞級かな(^。^)
2020/02/15(Sat) 06:38 | URL | やまひろ | 【編集
なんと美しい!お二人の青春時代!
 映画俳優のようなご両親。
カッコいい!今でいえばお洒落な二人ですね。お母さまのファッション素敵!
 子供には分からない夫婦のきずなというものがあったのでしょう。分からなくて仕方がないです。子供だもの。
 
 私の思い出になりますが、母が亡くなっていざ出棺という時に父が母にキスをしたのです。子供だった私は「なんてことを。人前で。恥ずかしい」と思ったものです。
生前中は喧嘩が多く、というか父が母をいじめていると私は思っていたので、「今更キスなんて」と思ったものでした。
 今思うにまだ彼らは40代の若い夫婦だったのですね。
 旅立ってほどなく父は再婚して新しい母が来ましたが・・・苦笑。やっぱり父は変らず、若い義母を怒鳴りつけてました。
2020/02/15(Sat) 08:30 | URL | ムイントボン | 【編集
やまひろさん
そう言っていただけると、なんだかとても気持ちが軽くなります。
夫婦にしか分からないことがありますもんね。うちの親父、こんなバイクに乗っては母に苦労をかけてたんでしょうなぁ(笑)
2020/02/16(Sun) 20:45 | URL | spacesis | 【編集
ムイントボンさん
え~~、映画俳優のようだなんて、ほめすぎですよ(笑)
母、前垂れにゲタですやん(爆)父は後年、自動車の修理を自宅でしてましたが、好きだったんでしょうね、車いじり。

お母さま出棺の時のエピソード、じんと来ますね。昔の男は口下手だったと思います。最後の精いっぱいのお父様の愛情表現だったのでしょう。

人それぞれに人生の苦みがあるものですね。
2020/02/16(Sun) 20:51 | URL | spacesis | 【編集
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