2007年4月15日:早春の津軽行(1)

残雪の津軽の野面

★2007年3月中旬。
列車内から臨むまだ残雪に覆われた津軽の野面(のづら)。


うっすらと残雪に覆われた陽光院を訪ねた。
陽光院は弘前の我が故郷にある菩提寺である。

本当のことを言ってしまうと、陽光院という菩提寺の名すらわたし
は覚えていなくて、所沢の妹に教えてもらい、地図を持っての墓参
であった。
その妹夫婦と3年ほど前に来たのが、実に約40年ぶりのことであり、
わたしはまことにご先祖様不幸の人間なのである。

8人兄弟だった母とのお盆の墓参りは、一年に一度、大勢の親戚に
出会う場でもあった。
「あ、四郎っちゃ達、もう来たみたいだね。」と言った母の言葉は、
幼いわたしの記憶の中で今でも生きている。
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ー続きはここからー

わたしは、かれこれ30年近いポルトガルでの生活になのだが、日本
で暮らした年月と異国で暮らした年月が間もなく同じになろうと
している。

とある年齢に達すると、たいていの人間は、持つ思い出の良し悪し
に関わらず、生まれ故郷が恋しくなるとは、よく耳にする言葉だ。
わたしもその例に漏れず、近年は弘前での子ども時代の記憶を
たどってみることがあり、思い出の糸を手繰り寄せては、ホームぺ
ージに時折したためている(「思い出のオルゴール」)。
「故郷恋しや」の思いと、さすがのご先祖様不幸のわたしも、この
辺でそろそろ顔を出してご挨拶しておくべき時期ではなかろうかと、
殊勝にも考えるようになったのである。

寺の近くで花を調達し、陽光院に着いた。
「お線香、もって来た?」とタコ君。
「あ、すっかり忘れてたわ。」
「うん、大丈夫。俺が用意して来たから。」
情けない話である。

タコ君とはわたしの高校時代の友人で、3年前に、高校を卒業して
以来39年ぶりに再会したのだった。
彼についての詳しいことは後日書くとして、弘前にいた二日間、
彼はわたしのために車で動いてくれたのだ。

妹の話の通り、陽光院は改築中であった。
墓地の場所は、本堂の横道から入るとだいたい分かっているのだが、
既に立ち入り禁止になっており、タコ君とわたしは仮本堂でお寺の
人を呼び鈴で呼び出しポルトガルから先祖のお墓参りに参りました。
どうやって墓地に入れますか、と訊ねた。

隣の寺院から入れるよう、話を通しているとのこと。
人っ子一人いない静寂な墓地の中を、わたしたち二人は転ばない
ように少し腰を落とし気味に残雪を踏んで入って行った。

「前に来たときに、こんな新しい墓石は周りになかったと思う。
もうちょっとこっちの方じゃなかったかしら。」と頼りないわたし
の言。少し後戻りすると、「あ、こ、このあたり・・・・。もしか
してこれかも。」と立ち止まった墓地は墓石も含めて、あたりが
真っ白い残雪に覆われていた。

わたしとタコ君は、素手でその雪を掻き分け始めた。
掻き分けながら、ふとわたしは可笑しさがこみ上げてきて、思わず
タコ君に話しかけた。

ね、ご先祖さま、今きっとこう言っているに違いない。
 「ゆうこよ。お前は何十年も墓参りに姿を現さず、終に来たかと
思ったら、いったい亭主でなくて誰を伴ってやって来て、墓場の
雪かきをしてくれてるのやら・・・ほんにお前は~^^;」

ご先祖さま、お笑いくだされ(笑)

現われた古い墓石に刻まれている文字を読んだ。
「吉崎家」と彫られてある。間違いなく我が先祖の墓だ。
線香を立てる箇所は、固い雪で覆われ素手でその雪を取り払うこと
はできなかった。
供花のところに線香を立てた。

しばしの祈りの後、わたしは、自分が祖父の名前を知らないことに
気づいた。
わたしが生まれたときには既に鬼籍に入っており、会ったことも
ない人である。
タコ君と墓石の後ろに回り、刻まれている名前を見つけた。
「あった。え~っと・・・嘉七と書いてある。」
「そうだね。明治22年6月没とある。」とタコ君。
わたしはメモを取った。
そうして、墓の前にもう一度たたずみ、この先再び訪れる日が来る
であろうことを祈りながら吉崎家の祖父や叔父、叔母たちに別れを
告げて帰ってきたのである。

東京へ帰り、夕食の準備で台所に立っている妹相手に、
「ねね、マリちゃん、じさまの名前知ってる?」とわたし。
「それがねぇ、わたしも知らないのよ。もう聞く人もいない。」
「知ってるわよ、わたし!今度の墓参りで見つけてきた。嘉七、
明治22年6月没とあった!」
と、いい歳して多少得意げに言うわたしを、妹は一瞬「???」の
面持ちで見る。

そして開口一番、「それはつじつまが合わない!」
「お母ちゃんが大正生まれなのに、じさまが明治22年没は可笑しい
じゃん!」
「さすが、ゆう。(妹はわたしをこう呼ぶ)考えることがおもろ~」(爆笑)

いやはや、面目ない^^;
ご先祖さま、お笑いくだされ~~。
とほほのほ^^;
嘉七さんはひじさまで、ござんしょね^^;

まじめな墓参の話がどうしてもこういうオチになるspacesisでござ
います。
あぁ・・・これがなければなぁ、もう少し周囲から敬いのマナコを
向けられるかも知れないのに(笑)

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コメント
なるほど、お祖父さんが明治22年没なら大正生まれのお母さんは存在しないことになっちゃうね・・・。

あの時は霙が降っていて、けっこう寒かったから思考回路も相当鈍ってはいたけどね、袖と私のドジな「やじきた道中」を見ていたご先祖様は、お墓の中で笑い転げていたことでしょうね(赤面)。

でも、乗った船ならではないけれど、袖のご亭主の名代として墓参した私としましては、時期を見て再度お墓に参り墓碑銘・年号等を確認して参ります。

へば、まだ。
2007/04/16(Mon) 00:20 | URL | タコ | 【編集
SFだw
きっとタイムトラベラーだったんだよ
お祖父さんはw
2007/04/16(Mon) 01:36 | URL | ぎたれれ | 【編集
>タコ君!

実物登場いただき、ありがとうございます!

東京へ帰ったあとのこういうオチは知らな
かったでしょ?(笑)
もしかして、わたしのこのような勘違いから
起こる
ドジぶりは、案外昔は知られていないかも^^
ドジの後始末を、またまたしてもらうことに
なりそうですが、堂々とおでかけください。
亭主の名代の朱印状、送ります~(爆)

今日はこちらへの書き込み、ありがとう^^

>ぎたれれ君

うはははは。それもまた面白い!
実はふっと頭をかすったことがあったのです・・・

明治22年没だったら、産んだ9人の子どもは
いったいどこから?
@@タマおばあ~ちゃ~ん!と(爆)

いやいや、当時の常識からしても、数字的にも
そういうことはありえません(笑)

2007/04/16(Mon) 15:47 | URL | spacesis | 【編集
手を凍えさせながら「あったー」っと
おじい様のお名前を探している様子
目に浮かぶようでした。
また間違っちゃったんだね。(笑)
でも、ご先祖様も喜んでらっしゃいますよね。
はるばるポルトから笑まで運んできてくれたし。ふふ。
TOPの写真、素敵です。
ところで かんちがいさんがおばあちゃんに
なるそうで・・・。(@@)
先を越されましたねー。spacesis姉さん!


2007/04/16(Mon) 16:28 | URL | syomin1 | 【編集
え、ええーーーー!

ちょっと待ってよ!。見てこよう!
2007/04/16(Mon) 17:48 | URL | spacesis | 【編集
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