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2007年4月21日

東京では桜の開花のニュースも聞かれる3月も半ば過ぎだというの
に、上野から東北新幹線で弘前駅に着いて見ると霙(みぞれ)が
降っていた。

これでは、幼い頃に住んでいた下町、かつての祖母の家があった
周辺を歩いて訪ねるのは愚か、その日の予定の墓参もままならぬ。
タクシーを拾ってホテルにチェックインし、懐かしい数人の同窓生
たちとの夕食時刻まで、ホテル内で時間をつぶすしかあるまい。
夕暮れにはまだ数時間あった。

最後にこの駅に降り立ったのはいったいいつのことであったろう。
すでに列車を降りた客の姿もなくなったプラットフォームの階段を
登り、そんなことを思いながらゆっくりと出口へ向かった。

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ー続きはここからー

と、前方から「そで。」と呼ぶ声がし、その声の主がいる方向に目
を向けると、出口の向こうに思いがけなくタコ君の顔を発見した。

「そで」とはわたしの苗字の漢字の一字で、わたしは高校時代の
友人たちからはそう呼ばれていた。
「タコ君!どうしてまたここに!」
聞くと今日のわたしの到着は知らされていたので、所沢の妹宅に
電話をしたらわたしは既に家を出た後で、恐らくこれくらいの時間
に到着するであろうと、弘前駅まで出迎えに来てみたのだそうだ。
タコ君を弘前時代から妹も知っている。

こみあげる懐かしさを胸いっぱいに、それでも言葉は「お久しぶり」
とさりげなく。
タコ君の車はわたしたちを乗せ、ひとしきり降る霙の中、弘前の町
に入って行った。
商店街の土手町を通り抜け、やがて桔梗野へ入り、小学校がある
あたりをタコ君はゆっくり通り抜ける。

小学校のすぐ横には、高校時代にかつてわたしたち家族が住んだ
埴生の宿があったのだ。
すぐ側に昔の工場の廃屋があって、その家は小さな台所と狭い二間
の、工員たちの宿舎のひとつであった。今はその影もなく、辺り
一帯は新しい住宅街と化していた。

小学校の校庭に思い出がある。
どんなに懸命に力を振り絞って走っても足の遅いわたしは体育祭が
嫌いだった。ある年、一念発起。
妹に手伝ってもらい、体育祭に向けて、すぐ横にあるこの小学校の
校庭で毎夜走る練習をしたのだ。その年は一等とまでは行かなかっ
たが、わたしは生まれて初めて走ることで2等をもらったのである。
あの頃の妹とわたしの姿がチラリと見えた錯覚に陥りそうな、霙の
降りしきる校庭であった。

タコ君はやがて我らが母校「弘前南高校」へと車を向けた。

思い出の写真から
思い出

一年に一度、都会から帰郷する叔母は、古いしきたりの多い町に
お土産と都会の匂いを運んで来、当時のわたしの憧れであった。
この頃のわたしはどの写真にもどこか少しひねくれた感じが
見える^^;

(そうです、このエピソードのある中学生の頃^^

★「埴生の宿」のエピソードはこちら→ 「口笛吹けば」

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