2007年5月5日

今日はこの物語に度々登場する我が息子ジョン・ボーイの、あれか
ら10数年後の姿を紹介したいと思います。
以下は、2006年4月の我が日記からの抜粋になります。


ヤマアラシのような頭ぼうぼうの息子が夕べ、夕食後車でリスボン
へ帰って行った。

いつもの事ながら、ちっとも服装や自分の外見に配慮しない(笑)
「もちょっとカッコつけようよ^^;」と言うと、返ってくる言葉
が決まって「外見で人が分かるの?!」だw
こいつ、まだまだ子供だな^^とつくづく思う。

彼が一人で高速を飛ばして3時間ちょっと、ポルトへ向かってくる
時もリスボンへ帰って行く時も、わたしは不安になる。
なのに、金払ってないから、と言って繋がらない携帯(笑)、途中
から電話をかけてくることもない。
アパートに着いてから「着いた」とかかるのだ。
携帯の意味をなさないではないか^^;

帰ってくるたびに、へんちくりんな将来のアイデアを披露しては、
わたしたちを@@な感じで呆れさせる。
妹のモイケル娘がいないもので、からかう相手に事欠いて、ネコた
ちを追っかけまわし、ベッドの下に潜り込んだのを引っ張り出そう
と自分も潜り込む。
こういうところは子供の頃とちっとも変わっていないので、成長の
ない奴め!と時々わたしは可笑しくなってしまう。
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ー続きはここからー

息子が赤ん坊の頃、わたしは思ったものだ。
内も外もない、どこでも同じような振る舞いをする裏表のない子に
なって欲しいな、と^^
そして、その通りに育った。
天真爛漫、天衣無縫、元気溌剌、人見知りもせず、誰にでも相手を
してもらえた。

初めての帰国は、息子が2歳の時で、うっかり目を話した隙に、さ
らわれでもしたら大変だ、それに、大きな荷物を持って手をつない
で行くのも大変なこと、ダッコはなおさら自分の腕の力では無理!
と判断し、ポルトガルで買い物用の大きな袋にニ車輪のついたのを
買いこみ、その袋のに息子を放り込んで、池袋のど真ん中、仕事が
終わって帰路につく勤め人でいっぱいの街中をガラガラと引っ張
って歩き、「アハハハハ」との周囲の笑いを背に受けながら、
電車の駅へと急いだものだ。

息子が4歳の頃、帰国してアサヒ・ビアハウス時代の先輩であり友
人でもある、大阪、堺の宝木嬢宅に数ヶ月滞在して、いよいよポル
トガルに帰る段になった、成田空港でのことだ。
「ボクね、ポルトガルのパパのとこへ帰るんだよ!」と
大きな声で、日本人外国人かまわず、行き交う人々をとっ捕まえて
は、目を輝かして言っていた。わたしは少し恥ずかしかった^^;

知り合いの結婚式では、記念写真を撮る際、他の子供達はみな、
きちんと並んでおすまししているのに、突然、息子がダーッとどこ
かへ走り出そうとした。
それを後ろからひっ捕まえようとした瞬間、カメラのシャッターが
切られ、できあがって来た写真には、左手を地面につき、走り去ろ
うとする息子のシャツの端っぱを右手でひっ捕まえているわたしが
写っていた。(←この写真はこちら

人見知りしないがゆえに、見知らぬ人に付いて行き、「曽根崎警察
始末記」を書く羽目にもなった。
グループで送り迎えをしていたBritish School時代には、玄関に
着いたので外へ迎えに出ると、息子、学校指定の革靴を片方しか
履いていなかった。
問いただしたら、もう片方を忘れて来たというのだ。
自分の足につけてるものを忘れてくるバカがどこにいる!と思いな
がら、あきれ果てて叱ることもできなかった。

息子がそこそこに大きくなった頃、わたしはシマッタ!と思った。
表裏のないのはいいのだが、家の中でも外でも同じなのはいいのだが・・・・
それだと、ちょっと困ることもあるのだと言うことに、考え及ばなかったのだ^^;

表裏のない人間を、美しく捉えてくれたらいいのだが、そういう人
ばかりの世の中ではない。
大人社会で人と人とが付き合っていく上で、あまり表裏がないのも、
問題になるのである。

ちょっとまずかったかな?と今更思うこともあるのだが、ヤマアラ
シ頭の息子よ、カッコはまぁ、いい。
人さまをむやみに傷つけることだけは、しないでおくれ、
車の事故は起さないでおくれ、と母は願うのである。

joaoandme


後記:現在息子の日本語は口語は何とかなるものの、日本語の読み
   書きは、かなり怪しいものです^^;これについては後日、
   書いてみたいと思います。

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コメント
今更ですが!
今更言うのもなんですが、息子さんを抱いている写真の笑顔、魅力的でありますな!いやいや、今現在も素敵ですが。(汗!)子育ての考え方も、我が家と同じ。
子供が小さい頃は、近所でも注目されていました。
悪さをして、雪の降る外に放り出していると
近所のおじさんが「○○、ガンバレ!」などと
応援?していました。
最近、ご高齢の?ファンが書き込みしてくれました。
そのお友達が「ちゅうさんて何者!?」には
苦笑でした。ぼけないうちに(いや、ちゅうが!)
出版したいものです。
2007/05/06(Sun) 09:41 | URL | 空想好きの猟期的男 | 【編集
>ちゅうさん

現在も素敵ですが。(汗!)ってなんでんねん~(笑)

「お手手を出しなさい」などは、しょっちゅう、
「ご飯抜きです」もたまにやりましたね。
亭主よりもわたしの方がそういうことをしていました^^;

ファンが増えたのですね^^
ちゅうさんの薬はクスリと笑えるところが
最高です!


2007/05/08(Tue) 07:40 | URL | spacesis | 【編集
素晴らしい!!
こう言う言葉遊び、好きですね!
『ちゅうさんの薬はクスリと笑えるところが』
薬とクスリ!なるほど。S姐さんのセンスに脱帽です。
モイちゃんの話も素晴らしい。彼女の感性を大事にしておきたいですね。
ちゅうの子供の頃、母親を呼んでも呼んでも振り向いてくれなかった時
(母は他の用事で忙しく)その孤独感で突然泣き出し
母がビックリしてかけつけてくれた事、45年ぶりに思い出しました。
2007/05/08(Tue) 08:19 | URL | 空想好きの猟期的男 | 【編集
母とは好いものです。の思い出。
可愛い挿絵。ジョン君も好いとこあります。又受話器を台所迄持参してくれる旦那様。家族の皆さんに愛されるお母さんのお姿が滲み出ています。エプロンで、よく手を拭いて改めて皆さんに一言お礼ですね。さてここは母の日は5月13日ですが? 
おつしゃる通りおの頃は、私も引揚者(家族10人)で辿り着いた内地(本籍地と言うだけ)駅前の旅館でヒジキのお汁だけの昼ご飯は、今だに忘れません。親父は神戸に働きに出たので母が一人で祖父母、子供6人、高校2年迄ムシロだけの藁屋根、雑魚寝部屋。

母が”お前は腐っても鯛”植民地台湾では学習院と同じ(先生も)がいきなり近所のおつさんが肥え担ぎ(人糞)する、国語の先生迄も方言での授業を子供心にも軽蔑していた。

ガキの錯覚で、母には”俺は何でも一番だ”と大言を吐いて、高二、芦屋高校に転校する迄はお山の大将、卒業時に野球で銀行就職も出来そうでしたが、母はお前は日本一の大学校(母は大学校と呼んでた)へ行け(月謝の宛ても無いのに)と言うので ”東大は遠いし汽車賃も無いから行かんよ”一番近い月謝の安のは国立一期神戸大が3月3,4日、 二期校は3月21日から受験日?二期の大阪市大(これが上六にあった)でしたが毎日電車賃が要る、後日よく友達に”お前何で灘中、灘高へ行って東大に行かんのか、俺は家が遠かったか行かなかった”と からかったモノでした。

 ブログから私もハット思い出しました。 父が亡くなって諸事済ませて、母と二人だけで別府の温泉に遊んだ時。
急に私に向かって”お母ちゃんに何か有ったとてお前は再三帰って来なくてもいい”一寸痴呆症も出かかって居ましたが、何を言い出すかとビックリしました。
私には後悔は有りません。この地にも二度程来て貰いました。最初は着物で来ました。

私は移民の行き当たりバッタリの教育ですが、娘達はは外人でしょうか?何事にも     Papai obrigada と微笑んで言ってくれます。 私はそれに答える”どう致しまして”が なかなか出て来ません。
親子でも他人行儀も必要でしょうか?
2007/05/08(Tue) 08:54 | URL | nakayama yoshiaki | 【編集
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