2007年5月29日

手元にわたしがこれまで一度も目にしたことのない幼い頃の写真が
ある。

今年、2007年3月に東京のW大学から九州の公立大学に転校し、
山口県の下関に移動した娘に会いに、一ヶ月ほど日本に滞在した時
のことである。
ポルトに帰る前の10日間ほどを所沢の妹宅で過ごしたのだが、
お茶を飲みながらのある日のこと、妹が「こんな写真を小倉の叔父
さんのところで見つけた。それでもらって来た。」
と、数枚の白黒写真を持ち出して来た。

小倉の叔父というのは、3年ほど前に亡くなった、9人兄弟だった
母の末の妹でわたしたちの叔母にあたる人の連れ合いである。
本サイトエッセイ「思い出のオルゴール」の「急行日本海」でも
登場しており、当時は大阪に転勤で住んでいたのだが、わたしは
この叔父たちと多感な中学時代の最後の1年を弘前から転校して
過ごしたのだ。
      
写真を見たわたしは思わず感嘆の声をあげた。
祖母を始め、我が母、父、叔母の、今は亡き人たちの懐かしい顔が
写真の中でにこやかに微笑んでいる。
写真の背景も、わたしの記憶に残っており、妹と二人、時間のたつ
のも忘れて、昔話に花を咲かせたのだった。
      
そして、妹が「もう一枚!」と取り出してきたB3くらいのサイズの
大きな写真がこれである。

ねぶた祭り2

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ー続きはここからー

これには、うわぁ~と、それこそ歓声をあげずにおらりょうか!
       
今では日本の三大祭のひとつに数えられる、遠い昔の町内ねぶた祭
りの一夜の写真なのだ。
右のプラカードには「上新児童福祉協会」(上新=上新町)と書か
れ、左には
「三国志 張飛奮戦○上新町」とある。○の字は読めない・・・

「この中にわたしたちがいるのよ。見つけられる?」と我が妹。
50数年も前の自分を探して、しばらく写真に見入るわたし。
妹は言う、「わたしはすぐに分かった。」

大勢のなかで、なぜだか一人だけ小首をかしげている女の子に
出会った。
「こ、これじゃない?」と自信なさそうに指差す小さな顔。
「うん。それがゆうだ。で、わたしはこれ。」

背景は真っ黒でよく分からないが、左端にやぐらのようなものと
幕が見えるところから、ねぶたの置き場から出た場所だとうか
がえる。
はしっこにちょこっと当時の自転車も見える。

ねぶた祭りは毎年あったのに、一枚だけがこうして残っている
のは、恐らくこの年がわが祖母タマさんが町内のねぶた祭り
世話係だったのだろう。
一晩上町を練り歩いてねぶたを引っ張って帰ってくると、祖母が
家で菓子や飲み水などを用意して待っていたのを覚えている。

夏休みの8月1日から6日間、日が暮れ始めるとねぶた囃子が
聞こえてき、わたしたちは、鼻にスーッと水白粉で白い線を引き、
半纏を着て鉢巻しめ、中にろうそくの火をともされたこの巨大な
ねぶたを「ヤーヤドー!」と引いて下町から坂を上り上町へ出、
弘前の夜の町を練り歩くのである。
疲れて眠くなり、足元がおぼつかなくなると、ねぶたを乗せた
台車に座らせてもらえた。

ふたつの大きな和太鼓は、ねぶたの後ろに積まれ、笛吹きたちも
加わり「歩け」のリズム、「止まって休め」のリズム、「帰路」
のリズムと、ねぶたを引くものたちに合図する。
帰路には「ヤーレヤレヤーレヤ、ねんぷたのもんどりこ!」
(ねぶたの戻り)と、眠気を吹き飛ばして掛け声かけて帰るのだ。

「ダカダン ダカダン ダカダカダカダン」と、太鼓のリズムと
笛から流れる音色は、今もわたしの耳に残っている。
雪国の夏の六夜の、ほとばしる津軽縄文人の熱き血潮がふつふつと
湧いてくるような祭りである。

この写真から数年後には、内弁慶がガキ大将になったわたしの子分
たちも何人かこの中にいるはずである。
半世紀以上も昔の少女をかろうじて見つけられたわたしは、何度
この写真を見直しても、あの頃の子分たちを見つけられないでいる。

小首をかしげているこの少女を見ると、わたしは少し目が潤む。
そして、静かに語りかけて見る。

「ハロー。あなた、随分歩いてここまで来たのね。」
ねぶた祭り
★小首をかしげているのが50数年前のわたし、下が妹。


コメント
はじめまして。
ドイツに住んでますちゃーちと申します。
spacesisさんのブログはほんとにときどきですが読ませていただいていました。

この記事を読んで最後の「ハロー。あなた、随分歩いてここまで来たのね。」で、不覚にも涙が流れてきてしまいました。
spacesisさんのことはほとんど存じ上げていないのに、その来し方、海外生活で今とは比べ物にならない苦労をされてきただろうことをいろいろ考えてしまって…
そして私もあと20年もしてからこんな風に思いがけなく昔の自分に出会ったときにどんな風に感じるのかな~、そのとき胸を張って頑張ってきたよって言える自分でありたいなと思いました。
なんだかうまく言えないのですが…

ねぶた祭りの思い出はとても素敵ですね。
一度ナマで見てみたいものです。

2007/05/30(Wed) 19:01 | URL | ちゃーち | 【編集
ちゃーちさん、初めまして^^

そちらのサイト、ちょっと拝見しました。
ドイツに十年住んでいらっしゃるのですね?
わたしの子育ては一段落したような感じですが
ちゃーちさんは現在進行形、今が一番楽しい
時でしょうか^^

ほんとにね、ポルトガルに来てから気がついたら
あっという間の30年近く^^
近頃やっと、自分の残してきた足跡を振り返れる
ようになりましたよ^^

ちゃーちさんも異国で10年、きっとこれまでに
色々あったことでしょう。
また、これからも多くの経験をなさることと
思います。
言葉や文化の違いもさることながら、諸々の
思いがあって、異国に住むというのは、傍から
見えるほどお気楽なものではないですね^^
ずっと後になったいつの日にか、「色々あったけど、
これはこれで我が人生、よかったのだ」と思われるように
なることを祈っております。

どうぞ、ちゃーちさんもドイツでがんばってくださいね。
読んでくださりありがとうございました。
2007/05/31(Thu) 01:09 | URL | spacesis | 【編集
日本人お母さん 頑張って!

洋館、中華料理、日本人女性、の生活は男性の憧れとモテ囃されたモノ。
サンパウロでも何とか日本女性の姿を残そうと花嫁教育?な学園もあり流行ってました。

移民史も百年、色々な出来事も泡沫の世の夢。        PCのボタン一つで世界が結ばれるご時世。

オナゴ ダテラ に 良くやってます、タイシタもんだ。

優しい外人亭主のヨサはご本人のみぞ知るでしょう。

世界に羽ばたく、日系子孫育成だ、頑張れ!頑張れ!
 
2007/05/31(Thu) 05:39 | URL | nakayoshi | 【編集
>nakayoshiさん

「世界に羽ばたく日系子孫育成」、これ、今の
週末の我が職場がそれになりつつあります。

今年でこの仕事も21年目になりますが、
わたしを始め(^^;)同僚は古き良き時代の
日本を知っている年配者数人ですから、
知らず知らずのうちに、ここに通う日系の
子どもたちは、多少なりともその影響を受ける
でしょうね。

もうそろそろ退き時かな、と思っている昨今、
う~ん、もうちょっと頑張ってみよっか!(笑)

と、すぐおだてにのせられるわたしです^^;

そそ、nakayoshiさん、亭主はコーヒーを入れて
くれたり、薬を飲むときには、水とその薬を
ベッドまで持ってきてくれたりはしますけど、
朝ごはんまではしないわよ~~(爆)







2007/05/31(Thu) 18:24 | URL | spacesis | 【編集
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