2007年6月19日

金曜日の夜10時にやっと帰宅した夫がドアを開けるなり「お帰り~」
のわたしの声に、「今日、マルガリーダから携帯に電話があって、
Sが死んだ・・・」
突然の話に思わず、え!としか言葉が出なかった。

Sさんというのは夫の親しい友人で外科医である。
2007年5月23日の日記にある写真にも載っている、左から
4人目にいる。
子どもたちが、特に息子が小さいときは、よく家族ぐるみで行った
り来たりしていた。
同じところに共同で土地を買い、隣同士で住もうと話が持ち上がっ
たくらいである。
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ー続きはここからー

外科医のS氏はなかなか経済的に富んでいたのだが、当時、夫はわた
したち妻子だけではなく、同居していた母親や二人の叔母たちを頼
って、しょっちゅうやってきては飲み食いしていく(失礼。笑)田
舎からの親戚一同も養っており、我が家は同じ医者とは思えないほ
ど、台所は火の車。とてもじゃないが、土地を買って家を建てるな
どできなかった。
しかし、彼らは実行に移し、今のわたしたちの場所から車で一分、
歩いても行ける距離のところに家を建てたのだ。
夫とわたしは、S氏の三人娘の末っ子の名付け親、ゴッドファーザー、
ゴッドマザーになっている。

そのS氏は2年ほど前に腸がんの手術を受けた。
治療を受けながら、ずっと小康を保った状態で今日まで来、2週間
ほど前の日曜日にも夫が遊びに行ってきたところであった。
それが突然具合が悪くなり、入院して3日目にあっけなく逝ってしま
ったので、わたしたちは入院したことすら知らなかったのだ。

近くのカペラに安置され、土曜日はミサで、日曜日が葬儀。
小さなカペラはお別れに来た人たちが入りきらず、わたしたちも外
で儀式が終わるのを待った。
通常は、最後のお別れに顔を見ることができるのだが、恐らく遺言
でもあったのだろう、S氏の顔を拝むことはできなかった。
そして、これもカトリック教のポルトガル人にしては珍しく、S氏
は荼毘に付されることを望んだのである。

こんな後は、つい、自分のまだ続くと信じている未来に、そしてそ
の向こうにある最期に思いが行くものだ。
わたしは厚かましくも、できれば後40年ほどは生きたいと思って
いる。
子どもの頃から、興味を持ったことは色々あったが、貧しくてでき
ずじまいで来たことが多々ある。
わたしが身につけたことは独学によるものが多いので、どうしても
知識が浅いままだ。
わたしには、これをもっと深めてみたい欲求がある。

モイケル娘への送金援助はあと一年少し。(もしかすると、更に2
年先ということもなきにしもあらず。笑)
それが終わったら今度は自分を磨きたいと思っている。
更に学んで磨いて得たものを自分に生かす、世に生かすには、後20
年ほどでは不足なのだ。

こうやって考えて行くと、自分はどこまでも、いつまでも生き延び
ていけそうな気分になってくるので不思議なのだが、これが自分の
凡庸なところであろう。

S氏の棺を見送りながら、わたしはまじめにこんなことを思った。

千の風」(当HPサイト・片言隻句のページにありますもいいか
も知れないけれど、気恥ずかしがり屋のわたしには、似つかわしく
ない。
わたしの出棺のときは、「あなた、よく生きましたね。」と、みな
の拍手で送ってもらえたらいいな^^と。

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