2007年12月8日

今日はかつて書いた思い出エッセイです。
既に知っている方はパスしてください。では。


酒癖の悪い父のていたらくを見ては思ったものである。
「自分は飲む人になるまい。酒を飲む人を生涯の相手には絶対
選ぶまい。」と。

しかし、大概の人間は、年月を経てコロッと考えが変わったりする
ものだ。わたしもその例にもれず、二十歳ころから飲み始めたお酒の
歴史は恥ずかしいながら、ちょっと自慢できるかもしれない。

日本酒、ひれ酒から始まって、ストレートウイスキー、カクテル、アブ
サン、ブランディ、カルヴァドス、シュタインヘイガーシュナップス、
そして最後に辿りついたのが、生ビールだ。

シュタインヘイガーシュナップスはドイツの焼酎とでも言えばいいの
だろうか、男性的なお酒である。
わたしが歌姫として歌っていたアサヒ・ビアハウスで、時々味わった
のだ。これはビールの合間に飲むのであって、凍らんばかりに冷えて
氷霜で真っ白になった陶器のボトルから、ぐい飲み盃くらいの大きさの
小さなグラスに注いで一気に飲む。
胃が「クァー!」と熱くなるくらいに強い!それもそのはず、アルコール
度数は40度なのだから^^;
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ー続きはここからー
カルヴァドスはわたしにとっては思い出の酒である。
(我が日記でしつこく何度も出てくる。笑)
フランスのブランデー、りんご酒で、「Pomme d‘Eve、イヴの林檎」
と言われる。
レマルクの書いた本、「凱旋門」に度々出てくるお酒の名前だ。
「凱旋門」は、ドイツの強制収容所から脱走してフランスに不法入国、
その練達の手腕を見込まれ、闇の手術を請け負って不安な生活を
送っている医師ラヴィックと、失意に生きる端役の女優ジョアンを中心
に、第二次世界大戦中のパリを描いた物語である。

この本を読んでカルヴァドスというお酒があるのを初めて知った。
そして、一度は口にしてみたいと望んだものの、それが国内では
不可能と分かり、ある日、仕事でパリへ寄ると言う本社の上司に、
無理矢理頼み込んで、買って来てもらったのが始まりであった。
その後、海外に出る機会があるたびに、上司は土産にと、持って
きてくれたものだ。(この上司は、当時社員として初めてイギリス語学
留学のためにと、一ヶ月の休暇を申し出たわたしに、その許可が出
されるようにと、アドヴァイスをくれた人である。)

カルヴァドスは甘酸っぱい林檎の強い香りとともに、わたしには苦い
恋の味もしたお酒である。

わたしが幾つの時なのだろう。
覚えていないのだが、ターザン事件の前、小学校1、2年の頃では
ないかと思う。父は岩手の競馬場で走っていた頃で、わたしたち
母子3人は弘前の下町にある祖母の家にたくさんの叔父叔母、
その家族たちと同居して、お世辞にも裕福とは言えないまでも、
その日その日の食うことにはなんとか困らないで生きれた頃だった。

4月の終わりから5月初めにかけての、弘前の「観桜会」今で言う
「さくら祭り」のときである。
祖母はその頃、観桜会の期間だけ、公園内で蕎麦屋の屋台を出して
おり、母を含めた家の他の大人たちも、それぞれに仕事をもって外へ
出ていた。
その日は何故か、わたしの従兄弟にあたる他の子供達が家におらず、
わたしと妹だけだったのだ。

ふと水が飲みたくなったのだが、当時の田舎にはまだ水道というもの
が通ってなかった。台所の水場には長い取っ手を上下に動かして
水を汲みあげるポンプがあった。
まだ小さいわたしと妹の力では水を汲み上げることができず、わたし
たちは家の中のどこかに水はないかと、探し回ったのである。

と、「あった、あった!」机の上の高い棚の上に、瓶に入ったきれいな
水を見つけたのだ。
妹と二人、机の上に椅子まで乗せてやっと手が届き、一息にグーッと
飲み干したその水・・・・
その後のことをわたしは全く記憶していないのである。

結論を言ってしまえば、水と思って飲み干した瓶の中身は、実は
日本酒だったのだ。
外へ出て、近所の子供達を追い回し、
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」と囃し立てられ、
フラフラ千鳥足でふらついていたわたしを見つけ、自分の家に運び
込んで医者を呼んだのははす向かいの畳屋のおばあちゃんである。

わたしは「急性アルコール中毒症」で危うく命を落とすとこだったのだ。
かすかに記憶にあるのは、明るい日差しを浴びた縁側のある広い
畳の部屋で、自分が布団の上に寝かされて、冷たい手ぬぐいを額に
当ててくれている畳屋のおばあちゃんが、ぼんやり見えたことだけ
である。後はな~んにも覚えていない。

後年、時計屋をしていた人のいい叔父が、保証人として判子を
押した相手が夜逃げしてしまい、その負債のため祖母は下町の
家を売り払わなければならなくなり、わたしたち大家族は以後ちり
ぢりになったのだが、少し大きくなってから時々下町を訪れると、
わたしは決まって畳屋のおばあちゃんや近所の人たちから言われ
たものである。「あの時の酔っ払ったゆーこちゃんがねぇ~」

「自分は酒飲みにはなるまい」とは大きく出たものだ(笑)
6、7歳にして既にわたしは洗礼済みであった。
コメント
私も父をみて、

酒癖は悪くは無かったが、
だらだら晩酌し、飲んでいたので、
「こうなるまい!」と思っていましたが、

すっかり・・・(;一_一)

いや、晩酌はやら無いんですけどね。

ビールが一番好きですが、
すっかり焼酎です。
・・・・家計に優しいし(笑)


spacesisさんの思い出話は、
何度読んでも、面白いです(いや失礼)

・・・うちの子は・・・
少なくとも下戸ではないな(ー_ー)きっと。

ビールの泡を一舐め・・・・
昔の自分を見ているようです(笑)
2007/12/08(Sat) 22:46 | URL | マー | 【編集
>マーさん

下戸もそれはそれでいいのですが、昔わたしが勤務していた
オフィスの上司に下戸がいましたが、苦労してましたよ(笑)

我が妹などは、大学入学後イッキ飲みで殺されたらかなわん、と
自分の息子が高校生のころから、晩酌にすこしずつつき合わせて
お酒に慣れさせていましたよ^^;

わたしの夢は、息子と一緒に炉端で二人して人生論など
戦わして飲むことでしたが、今では炉端も消えつつあるとか^^;

昭和は遠くになりにけり。
アキ君もいつかオヤジさんのお酒の量を超えるかも
しれませんね^^マーさん、楽しみだこと^^

2007/12/10(Mon) 00:36 | URL | spacesis | 【編集
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