2008年1月18日

暫らく前にわたしがブログ参加しているポータルサイトのコメント欄で
こんな質問がありました。
      
 「先日、某高校の入試問題を解く機会がありました。その中に、
エンリケ航海王子が地球儀の前に立って、どこかを指さしている像の
写真がありました。
問題はこの像が指さしている方向にある場所はどこか?と言う問題で、

    ブラジル
    フィリピン
    メキシコ
    南アフリカ

が選択肢になっていました。
いろいろ調べると、この像は、ポルト市内の、ボルト宮内にある像らしい
ことがわかりました。」


と言うもので、正確にはポルト旧市街にあるボルサ宮( Bolca=cの下に
ニョロ記号が付く)のまん前の小さなエンリケ航海王子広場にある
立像のことです。
横のボルサ宮殿があまりにも有名で、ほとんどの人がこの立像には
あまり感心を示さないようです。

ボルサ宮2
↑ボルサ宮殿。アルハンブラ宮殿を模したと言われる「アラブの間」は
見ものである。(筆者はここでの晩餐会に出席したことがある。)    
           
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ー続きはここからー

下は宮殿が面する広場にあるこの立像がエンリケ航海王子の像。
ボルサ宮1

写真はもう少し大きくしたもの。
エンリケ王子1

           
       
もっと拡大して見ましょう。
エンリケ王子2
 
地球儀を足元に置き、若きエンリケ航海王子がとある方向を示して
います。

王子が指差している先はいったいどこなのか、少しポルトガルの歴史
に触れることになります。

エンリケ王子は14世紀にアヴィス王朝を開いたドン・ジュアン1世王
の3番目の親王でポルトで生まれました。
       
1415年に父王や兄弟たちと共に、ポルトガル最初の海外領土と
なる北アフリカ入り口のセウタを占領します。
この時のエンリケ王子は20歳か21歳の若さです。
やがて、かつてフランスのフィリップ4世端麗王の弾圧を免れて、ポル
ガルに基地を置いていたテンプル騎士団を前身とするキリスト騎士団
の総長、グランドマスターになり、騎団の掟通り生涯を独身ですごし
ます。

このテンプル騎士団は、5世紀に渡るイスラム教徒が支配していた
イベリア半島の奪回運動(レコンキスタ)やカスティーリャ王国(現
スペインの一部)からのポルトガル独立戦争に戦力面でも大いに寄与
しています。
  
キリスト騎士団を率いるエンリケ王子は、ポルトガルの黄金時代と言
われる大航海時代を築くわけですが、テンプル騎士団から継承した
莫大な財産は海の向こうの新世界進出に遺憾なく活用されたことで
しょう。

さて、ポルトガルはなぜアフリカ大陸沿岸をめざしたのか?
ひとつには、制覇したいと望む地中海の制海権はすでにイスラムや
イタリアなどの手中にあり、カスティリャ王国やアラゴン王国(後のス
ペイン王国)も進出を計っており、ポルトガルは入り込む余地がなか
ったことがあります。

当時は天動説をとっていたキリスト教世界ですが、それでもポルトガ
ル人は地球が球体であることを知っており、アフリカ沿岸を下っていけ
ば、アジアに到達できるであろうと言う漠然とした考えを持っていま
した。また長いイスラム教徒の支配が続いたイベリア半島には、イス
ラム教徒を通じて数学、天文学、建築学などの進んだ科学知識も普
及していました。
       
エンリケ王子は、航海術や造船、地理学など、様々な分野の学者を
東西から招き、現在サグレスと呼ばれる地に「航海大学」のような
海洋学研究所を作ったと言われます。  

エンリケ王子は、未知の世界に航海するに及んで、いったいどのよう
な推測を立ていたのか?夢を描いていたのか?
       
次回に続きます。
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