2006年4月6日(木曜日)
asahibeerhouse

今日は少し、路線をはずしまして^^

炉端焼きの居酒屋に、わたしは限りない愛着がある。
そこには数々の懐かしい思い出があるからだ。

特に、大阪は京橋地下街の炉端、京阪沿線宮之阪駅前の炉端ではわたしは
常連の部類に入っていたと思う。

流れる音楽が演歌で、それが難と言えば難だったのだが、しかし、炉端に
ジャズやらシャンソンを望むのは、中華料理店でフランス料理を注文する
ようなものだろう。
泣き節の演歌はあまり好きではないが、それが炉端にぴったしなのには、
どうにも仕方がない。

外国人の友人ができると、わたしはよく炉端に案内したものである。
当然夫も時々わたしに引っ張られて行ったことになる。

京橋炉端に、当時ポルトガルからきたばかりの、新しい留学生だったマイ
ア氏を、夫(当時は恋人)と二人で案内したときのことである。
マイア氏、頑としてナイフとフォークで食べると言ってきかない^^;
炉端のお兄さんが、同じ地下街にある隣の洋食レストランまで走って行き、
「こんな頑固なお客初めてだっせ・・」と
ナイフとフォークを借りてきたことがあった。

わたしが勤めていた会社の東京本社には、ハーバード出のボブがいた。
本社とはしょっちゅう電話連絡をとるのだが、初めて彼と話した時は、
ん?と少し思ったものの、その電話の相手がアメリカ人だったとは聞か
されるまで気づかなかった。
それくらい、彼の日本語はあまりクセがなく日本人に近い発音で当時はひた
すら感心したものだ。

その彼が週末を利用して大阪へ来たときもアサヒ・ビアハウスと炉端に案内
した。日本語はコーネル大学在学中に学んだと言い、かなり流暢に、そして
語彙力もあったボブとは、炉端で飲みながら食べながら、その日、大いに
あれやこれやと議論したのである。(もちろん日本語でですw)

日本びいきのその彼、自分の名前、ロバート・グロンディンを日本名で
炉端 愚論人=ろばた・ぐろんじん」
とつけて、印鑑まで作ってしまった。
そそ、ついでにバラしてしまえば、アサヒ・ビアハウスに彼を案内した時は、
ホール中ポルカを踊って跳ね回り、わたしは引きずりまわされ、見ていた
常連達もボブのステップにはすっかり目を回したのだったw

当時は「文化住宅」と呼ばれた、駅から徒歩10分ほどの二間、トイレバス、
台所付きの小さな我がアパートは京阪宮之阪にあり、駅を出るとすぐ横に見
える炉端。ここには、我が親友、「かつらぎ山房」の主「みちべぇと」よく行った。
みちべぇはもちろん女性です^^ わたしが働いたオフィスの後輩なのだが、
当時同じ駅のすぐ側に両親姉妹と住んでいるのを偶然知って以来、自分が
グンと上だという年の差も忘れて意気投合。以来30年以上のつきあいになる。

ポルトガルに来た当時、アサヒ・ビアハウスがただただ恋しかったが、同
時にまた今のように手に入らなかった日本食への思いも深く、炉端を恋う
思いも募るばかりだった。
挙句が、「ジュアン・ボーイが大人になったらいつか炉端へ行き、酒を酌み
交わしながら人生論をぶってみたい」と、それが夢になったのである。

わたしの若い頃は、しつこい酔客や端迷惑な酔客もいたにはいたが、お酒の
場とは、人生論を戦わせる場でもあったような気がする。 
会社の愚痴、上司の愚痴あり。しかし、人生の夢を語る場でもあった。 
お酒の加減よい力を借りて、本音をさらりと口滑らすことが、ああいう場で
はなんだかできたような気がするのだ。それでわたしは炉端が好きだったの
だと思う。

あれからもう30年、炉端焼は今ではかつてにように、そこここにあるもので
はないようだ。今の若い人たちは、いや、若い人達に限らず、現代人たちは、
どういう形で人と人生を語り合うのだろうかと、ちょっと興味を持つ。

みんなまともに面と向かって顔つき合わせて、人生論を戦わせるのだろうか。
しらふで語ることも勿論大切なことではあるが、人の人生って理屈だけでは
語れない部分があるのじゃないかと、わたしは一人思ったりしてるのである。
すると、やはり、ちょっとお酒なんかあったら、語らいやすいなぁ、なんて^^

若い時にこそ、老若男女一緒くたになって、こういうことを「ぶってみる」
のは、自己啓発にもなり、人生の勉強にもなると思うのだが・・・

それとも、人はもう人生論をぶつことなどしなくなったのだろうか。

★今日の写真:かつての梅田アサヒ・ビアハウス。こんな楽しいお酒の飲み方もある^^
★よかったらランキングクリックお願いします^^

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
コメント
炉端は・・・
20代の頃、中野にある居酒屋に仲間とよく行った。
そこは炉端を囲んで、料理を大きなへらで渡してくれた。
酒は、いまいちなので、食い物には執着した。
そこの、ほっけの焼き魚や、子供の顔ぐらいある
ご飯粒が見えないほど海苔を巻いたにぎりめしを
ほおばるのが、至福の一時でした。もちろん
最終電車に間に合わないときには、誰かのアパートで
雑魚寝をしましたが、色恋は無かったな!
酔っぱらった、女友人から一升瓶を目の前に置かれて
「飲め!」と強要されたのには目をシロクロでした。
それほど飲めもしないのに、ほとんど毎晩
仲間と夜明けまで遊んでいましたね。もちろん激論付きでね!
そして、その親しい仲間の3組が結婚しました。
2006/04/07(Fri) 10:35 | URL | 白髪の元気印!? | 【編集
白髪の御仁、よもや、わたしの知っているお方ではあるまいか?
名前の初めがTとか(笑)
お人違いだったらごめんなすって^^

大きなへら、というか木のしゃもじみたいなので
「はい、いっちょうあがりー!」と威勢のいい声で
こちらの客席に渡してくれましたね^^

食べて飲むことができるのですから、悪酔いも
しないし^^
「仲間と夜明けまで」^^
わたしもそれが青春やったわぁ(笑)

白髪のお方、またどうぞいらしてください^^




2006/04/07(Fri) 21:39 | URL | spacesis>白髪の元気印殿 | 【編集
近頃は炉端が本当に少なくなりました。  
変わって立ち飲屋が増えているようです。 
「みちべぇさん」とはそう言う友達だったのですね。 又、仕切り直しで5月に行く予定を立てています。
さて、私のブログ”花見”で書いた花見の宴では長老とその友人、私が大体同年齢で、芸術家が2-30台、山家が4-50台と年齢が分散し、それでも和気藹々楽しめました。
ところで、大阪の一心寺ですがここでは葬式後に遺灰を持ち込むと、10年分の灰を集めて仏さんを作り、遺族はその仏さんに向かって手を合わせます。
私もやがてはそうして欲しいと思うようになりました。 このやり方は江戸時代の終り頃から始まったそうです。
近頃、このやり方に皆さん関心が有るようです。 
子孫というか子供達が昔のように墓参りや手入れをしなくなったのでしょう。
2006/04/08(Sat) 15:03 | URL | shima | 【編集
あらら・・・
立ち飲みやでは、女性はちょっとやりにくいですね^^;
かつらぎ山房は新緑の5月もきっと美しいことでしょう。
わたしも来年訪れるのを楽しみにしているのです。

ご先祖さまの墓参りをしようと思い始めたのは近年の
ことですね。なぜか不思議と気持ちが落ち着く気が
します。弘前、一関などはちょっと遠いのですが、
帰国時にはできるだけ、墓参をしようとこころがけています。
元気な今のうちですもんね!

2006/04/10(Mon) 09:00 | URL | spacesis>shimaさん | 【編集
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村