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2008年10月5日

ポルト旧市街の中心にあるサン・ベント駅は、かつてのサン・ベン
ト 修道院区域に1916年に建築完成された北部ローカル線の始発
駅。建築家マルケス・ダ・シルバの作品である。
圧巻なのは、なんと言っても駅構内にあるジョルジュ・コラッソの、
合計面積551m2に渡る2万枚からなるazulejo(アズレージュ)
こと青タイルの絵である。
サンベント1
駅構内は写真のように一面が20世紀初期の美しいazulejoの絵で
被われている。
azulejoの語源はアラブ語でal-zu-leycha(小さい石)から来るが、
azulはポルトガル語では青の意味。
これらの絵はポルトガル歴史にまつわる出来事で、言うなれば青
タイルでつづった歴史絵巻物である。
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ー続きはここからー

今日はサン・ベント駅構内の絵タイルにある歴史的出来事をご案
内します。描かれてある内容を知ってこそ、その絵が生き生きと
わたしたちの目に写るというものでしょう。
           
第1話:レオン国王の前でひざまずくエーガス・モニス(Egas Monis)
サンベント2

ポルトガル初代国王となるドン・アフォンソ・エンリッケス(航海王
子ではない。航海王子は「エンリッケ」)が、まだ王子の時代、
12世紀初期の出来事である。

ポルトガルは、スペイン、レオン国の領土、ポルトカーレと呼ばれ
ていた。(ポルトガルの名前はこれを起源とする)
エンリッケス王子はスペインからの独立を望み、レオン国と小競り
合いを繰り返し、ついにレオン国王がポルトカーレのギマラインス
城を包囲したときのこと。
     
エンリッケス王子のポルトカーレ軍はよく戦ったものの、いかんせ
ん、相手の大群には歯が立たない。
このままでは落城の憂き目を見ることになる。
そこで、王子の教育係であった貴族「エーガス・モニス」は城を出て
レオン国王のもとへ出向き、

 「王よ、包囲を解かれよ。わたくしめが王子をあなたの臣下として
  かしずくよう説得いたしますれば。」と言った。
 レオン王曰く、「その言葉が真実である証拠は?」
 「わたくしの名誉にかけて!」

レオン王はエーガス・モニスの真剣さに打たれ、包囲を解き兵を
引き上げた。

しかし、それから数年たってもエンリッケス往時は変わらず独立の
志を捨てず、レオン軍との戦いを続けていた。

ある朝のこと、エーガス・モニスは妻と息子たちを連れ、死刑囚の
服装をして裸足でレオン国へ旅立ち、王の前にひざまずき言っ
た。
 「王よ、エーガス・モニスは己の言質をたがえるものではありま
  せん。王との約束が果たせなかった今、我が身と妻、二人
  の息子の命を差し上げます。」

その忠信と勇気に打たれたレオン国王、
 「このような家臣を持つ王子はきっと偉大なものになるであろう」
と言い、エーガス・モニスを解放した。

それから約10年後、レオン国王はポルトカレンス領土の独立が
ローマ法王から承認され、エンリッケス王子はポルトガル初代
国王となったことを知る。

エンリッケス王は「征服者=Conquistador」と呼ばれる。

サンベント3
写真はアフォンソ・エンリッケスポルトガル初代国王。この当時既
に楯にテンプル騎士団のシンボルが入っています。
                    
さて、当時、父親ドン・エンリッケ伯はなくなっており、母親のドナ・
テレザが領土を治めていたのですが、レオン国からの独立を勝ち
取るために、エンリッケス王子は独立に反対する母親とも戦うこと
になり、勝利を収め事実上ポルトカーレ伯領主になります。

フランスで発起したテンプル騎士団の総長ユーゴ・ド・パイアンは
1120年代に初めてドナ・テレザに宛てて、イスラム教徒からの
国土奪回のためにと、テンプル騎士団を領土内に駐在させること
を依頼しています。
 
この依頼を受け、ドナ・テレザはテンプル騎士団に初めてSoure
(コインブラ近辺)の土地と城を寄贈します。
以後、ディニス6代目国王の時代まで、ポルトガルはテンプル騎士
団の多大な援助を受けながら、3世紀もの間、レコンキスタ(イスラ
ム教徒からの国土奪回運動)を展開、南下して行くわけですが、
もしも、エーガス・モニスがレオン国王に約束したように、エンリッ
ケス王子を説き伏せていたら、今日のポルトガルはなかったやも
知れませんね。

それとも、と、ふとわたしの頭をかすめるのは、エーガス・モニスは、
ポルトガル建国のために軍力を蓄える3年間という時間稼ぎを計
画し、最初から全て承知の上で王子を説得する振りをして、最後
に自らの命を捨てようとしたのか?

そして、レオン国王はそこまで読んで、
「このような家臣を持つ王子はきっと偉大なものになるであろう。」と
言い、エーガス・モニスを許したのか? 

う~ん・・・こうして教科書にあるままを少しひねくって考察して見る
と、歴史はぐんと面白みが出てきますね^^

それでは第2話をお楽しみに。     

ギマラインス
写真はポルトガル発祥地ギマラインス城。
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コメント
こんにちは!

spacesisさんの記事を拝見するたびに、「ポルトガルに行く前にこちらのブログに出会いたかった~」と思います(><)!次にポルトガルに行く時にはこちらでいろいろお勉強して行きます!
本当にいろいろな事実を知った上でみると見方が違ってきますよね。

ギマラインス、日帰りでしたが行きましたよ~。次のお話はギマラインスについてなのでしょうか??楽しみにしてます(^^)!
2008/10/06(Mon) 23:20 | URL | tulp | 【編集
>tulpさん

ポルトガル訪問、もう一度いかが!(笑)
ポルトガル南部地方は、北部と雰囲気が違い、いいですよ^^

次もサンベント駅のアズレージュ絵にある歴史話です^^
2008/10/07(Tue) 22:16 | URL | spacesis | 【編集
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