2008年10月10日

10月5日に続くポルト旧市街にあるサン・ベント駅構内のアズレー
ジュが語るポルトガルの歴史場面の紹介です。

紹介というよりも、自分のためにメモ的記事でもあります^^;
ゆえに読みにくいところがありましたら、ご勘弁を。

第2話:Arcos de Valdevez (アルコス・デ・ヴァルデヴェス)の激戦
     Torneio dos Arcos de Valdevez)
サンベント3

12世紀。先のレオン・カスティーリャ王国とポルトカーレ伯領土との
戦いは続いており、今回はポルトガル北部、ヴィアナ・デ・カステロ
地方での出来事です。

1140年、レオン国王ドンアフォンソ7世とポルトカーレ伯領土の
ドン・アフォンソ・エンリッケス(後のポルトガル初代王。)の騎士
たちがここで戦った。

「Torneio」とはトーナメントのことで、「中世の騎士の競技」を言う
のですが、この絵からその優雅な競技の様子はとても感じ取ら
れない。むしろ、トーナメントの名を借りた激戦であろう。
その証拠に、このときのアルコス・デ・ヴァルデヴェスの大地は
真っ赤な血に染まったと言われる。   
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ー続きはここからー

トーナメントの軍配はドン・アフォンソ・エンリッケスのポルトカーレに
あがり、レオン王国の騎士たちは捕虜になった。
これをきっかけに、ポルトカーレ伯領地とレオン国は捕虜の交換を
行い、休戦に入る。

このトーナメントの3年後、1143年、エンリケス王子はアフォンソ
7世からついに王の称号を認められる。

しかし、ポルトガルがローマ法王庁の承認を得て、レオン・カスティ
ーリャ王国と名実ともに対等になるには1179年まで待たなけれ
ばならなかった。

この理由は、「皇帝」を宣言したレオン・カスティーリャ国王アフォン
ソ7世はその地位からポルトガル国王を臣下にできるという優位に
あったからである。

ポルトガルでは1143年を建国年号としている。

さて、この間、テンプル騎士団の援助を得て、ポルトガルはレコンキ
スタ(イスラム教徒からの国土奪回運動)を中部、南部へと繰り広
げて行くことになります。

エンリッケス王子の母、ドナ・テレサの治めるポルトカーレ伯領時代
からテンプル騎士団は領内に招致されていたわけですが、領内に
おける初代テンプル騎士団グランド・マスター(総長)は諸説がある
のですが、Guilherma Ricarto(ギリェルメ・リカルド)修道士とされま
す。1128年ごろに没したとされますが没地は不明。

ヘンリッケス王時代のグランドマスターでもっとも名を知られるのは
6代目グランド・マスターのGualdim Pais(ガルディン・パイス)で、
彼はポルトガルで正式に埋葬された最初のテンプル騎士団総長
で、テンプル騎士団の町と呼ばれるトマールの、Santa Maria dos
Olivais教会に眠っています。

ポルトガルの建国物語でテンプル騎士団にあまり焦点が当てられ
ないのが残念に思うわたし、もしかして、今後、この分野に興味を
持ち、騎士団の生き残りを探すとか、秘宝を探すとかの、ポルトガ
ル版「レンヌ・ル・シャトウーのミステリー」の如き本でもでないかと
密かに期待しているのであります^^
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