2009年1月12日

昨日に引き続きサンフランシスコ教会、今日は教会内部です。
(内部は撮影禁止ですのでこの部分の写真は絵葉書からです。)

サンフランシスコ教会内部
サンフランシスコ中1
内部は天上から全ての祭壇を含む木彫はTalha Dourado(ターリャ・ドウラード)と呼ばれ、金泥で被われています。

入り口右から
⑥:フランシスコ会の創設者、アッシジのフランシスコ像。
  花崗岩でできている。(画像なし)

サンフランシスコ中2
↑⑦:下段・13世紀にモロッコで殉教した5聖人。
    上段・1597年(慶長元年に長崎で殉教した長崎 26聖人の
        祭壇(後に詳細案内します)(18世紀の作品)

⑧:「悲しみの聖母マリア」(18世紀の作品)足元には横たわるキリスト像がある。(画像なし)

⑨:「受胎告知」(18世紀の作品)
  上段・聖母マリアと受胎告知する天使ガブリエル。
  下段・中央がサン・ドミンゴ、右が洗礼者ジュアン (羊を連れている)、左はサント・アンドレ。(画像なし)

印:洗礼者ジュアン(ヨハネ)の祭壇(16世紀の作品)
ポルトガル語では「サン・ジュアン」と呼ばれ、ポルト市の守護聖人です。毎年6月24日の生誕日はポルトの祝日。前夜祭23日には、ポルトきっての夜通しの夏祭りがリベイラ、Foz地区を中心に催されます。
  サン・ジュアン祭りの様子はこちらで

印:主礼拝堂。その右は当方の三賢者とポルトの金庫係であったブランダン・ペレイラ兄弟一族の礼拝堂。(18世紀)
   (画像無し)
 
印:聖アントニオの礼拝堂。(18世紀の作品)
12世紀末に生まれたサント・アントニオ(聖アントニオ)はリスボンの貴族の出です。アッシジのフランシスコ修道院に入り25歳で神父になります。その後、巡回説教師となリ多くの人を改心に導きました。

サント・アントニオにまつわる伝説
ある日、野外で説教をはじめたが、人々は修道士アントニオの話しに耳を傾けようとしない。そこでかれは海辺へ行き、海の魚を相手に説教し始めた。すると魚は水面に浮き上がって立ち始め、長い間、修道士アントニオの話を聞いたと言います。


1231年、修道士アントニオは過労のため36歳の若さで死去、その1年後に聖人に列されました。サント・アントニオはリスボンの守護聖人で、毎年6月13日は彼の死んだ日を記念し祝日になります。12日のサント・アントニオ前夜祭には、リスボンのリベルダーデ大通りで夜通しの盛大な仮装パレードが行われます。
          
サント・アントニオのシンボルは常に十字架を持ち、幼いキリストを抱いています。(像無し)

③:「慈悲深い聖母マリアの礼拝堂」(画像なし)

④:「エッサイの樹」(Arvore de Jesse)
ダビデ王の父エッサイからイエス・キリストにいたる系図を一本の樹に表したものです。横たわったダビデ王の父エッサイを根元に、ユダ王国の12人の王が枝になっています。樹の枝、一段目右には巨人ダビデ王、左にはその息子ソロモン王、トップに立つのはヤコブの子、聖ジュゼ(ヨセフ)、その両脇には聖母マリアの父ジョアキン(ヨアキン)その左は聖母マリアの母、サンタ・アナ。頂上には聖母マリアと幼いキリストです。
サンフランシスコ中3
画像があまりよくないのは悪しからず。
       
樹の下の絵は「聖母マリアの天国への旅立ち」が描かれています。このシーンは過去と肉体的な生の終わり、そして、スピリチュアルな生の始まりを象徴するのだそうです。

見逃せない!サン・フランシスコ教会のカタコンベ
  (catacumbas=地下納骨室)
サンフランシスコ中4

地下のカタコンベには18世紀から19世紀にかけての教会に関係する著名人が納められています。黒い墓碑と白壁のコントラスト、羅列する髑髏(どくろ)所々に見られるXに交差した骨はメーソンや異端のシンボルでもあり、このカタコンベはユニーク、かつミステリアス!
     
カタコンベについてもうひとつ。奥まった内部の床の一部に窓がありそこから下を覗きこむと、無数の骨が見え、少し不気味な気がしないでもありませんが、一見の価値はあり。

また、切符売り場の横には小さな博物館があり、ここでも興味のある人は気をつけて見ると面白いシンボルに出会えます。

明日はいよいよ長崎の話題です。
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