2009年2月2日

バレンタインデーの2月にちなんで、わたしとしては珍しくロマンス
のお話をひとつ^^

南米コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの
小説に「コレラの時代の愛」がある。
19世紀から20世紀のコロンビアを舞台に、ひとりの女性を51年
9ヶ月と4日待ち続け、ついに思いを遂げる男の熱愛を描いた物語
2007年に映画化もされている。
このような愛情は狂気にも近いような気がしたりするのだが、ポルト
ガルの王家にも狂気の類のロマンスがある。
「ペドロとイネスの悲恋」として小学校のポルトガル歴史の本でも必
ず記述され、またポルトガル民族の歌ファドにも歌われる。
      
今回はイラストと突っ込み入りでペドロ王子とイネスの悲恋物語を
ご紹介。

ペドロとイネス

ポルト北部のギマラインスから興ったアフォンソ王子率いる、レオン
・カスティーリャ(現在のスペイン上部)からのポルトカレンス独立運
動を経て、王子がポルトガルを建国し、初代王アフォンソ一世となっ
たのは12世紀のことです。

下の地図は、スペインと共にポルトガル初代王も活躍した、レコンキ
スタ運動(註:8世紀初期にイベリア半島に侵入し占領していたイス
ラム教徒からキリスト教徒による国土奪回運動のこと。この頃にテン
プル騎士団がポルトガルに入った。)の時代のもの。
ペドロとイネス地図
赤丸で囲まれたのがポルトガル。12世紀のレコンキスタ運動が進
められるまでは、図のようにイベリア半島の下半分はMouros(イス
ラム教徒)が占領していました。

これから話すペドロ王子の時代にはイスラム教徒からの領土奪回
も終わっており、半島の下半分は赤線を境界に、ポルトガル、スペ
インとなっていました。

ポルトガル建国から2世紀後の14世紀も半ば、7代目の王アフォン
ソ4世の時代。

独立国とは言え、地図から分かるようにレオン・カスティーリャ王国
に隣接するポルトガルは、友好政策に心をくだかなければなりませ
んでした。
そこでアフォンソ4世の取り計らいで、王位後継者である息子のペ
ドロ王子にカスティーリャからコンスタンス姫を迎えることになります。

ところがペドロ王子、あらんことか、コンスタンス姫にお付きで来た
女官のイネスに心を奪われてしまい、政略結婚の相手である正妻
コンスタンスを見返りません。(よくあるお話^^;
ペドロとイネス2
イネス・デ・カストロ。金髪で澄んだ目をし、白鳥のように優雅な首を
持っていたとイネスの美しさは後世に言い伝えられている。

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ー続きはここからー

父王アフォンソ4世は、公務をないがしろにしてイネスにおぼれるペ
ドロを憂慮、王子にイネスとの関係を切るように申し伝えますが、
「はい」とそれを聞き入れるペドロではありません。
二人の不倫はやがて人々の口に上るようになり、父王はイネスを
遠く離れたcastelo de Alburuqueruqueに送りますが、この距離も
二人を遠ざけることはできませんでした。

この翌年、一子(後のフェルナンド国王)を生んですぐコンスタンスは、
23歳の若さで亡くなります。(世継ぎを残して死ぬとは、Good Job
コンスタンス。でも傷ましいです

自由になったペドロは早速イネスを自分の下に呼び戻し一緒に暮ら
し始め、これは大きなスキャンダルとなり、父王とペドロ王子の間を
裂くことになります。
ペドロとイネスは3人の子供をもうけます(一人は死亡)。
                 
ペドロとイネス3
愛の巣でペドロとイネス。

父王はペドロに再婚を何度か進めますが(イネスとではない)、その
都度、「妻を亡くした悲しみがまだ消えず、再婚などは今考えられ
ない」と断ります。 (・・・うそやん。こういう見え透いた嘘を平気で
言うかぁ~w


この頃には、カスティーリャ王国内に紛争が起こり、イネスの元には
その兄や同派の人たちが集まるようになり、やがてペドロ王子にも
思想的な影響を与えていきます。

イネスとつながるカスティリャ王国の内紛に巻き込まれるのを慮り、
また、コンスタンスが残した正統な世継ぎであるフェルナンド小王
子の暗殺が予測され、イネスの子供たちとの間に起こるであろう
家督争いも憂慮され、宮廷では、国政の争いごとのタネになりつつ
あるイネスに不審不信不満の目を向けるようになり、父王の早急な
対策がとられます。(次期世継ぎがこれでは当然こうなりますね

国安泰のために側近の意見を聞き入れ、アフォンソ王はついにイネ
ス処刑の命をくだすため、ペドロが狩りに行っている間を見計らい、
当時二人が住いにしていたコインブラのサンタクララ小宮殿へ、3人
の処刑実行者を伴います。
ペドロとイネス1
絵はアフォンソ王を前に、この子供たちのためにどうぞ自分を殺さ
ないでくれと哀願するイネス。(一瞬気持ちが揺らぐか、国王!

イネスの涙ながらの哀願に国王は3人の処刑実行者に
「後はそちたちに任せる」
と言い、その場を立ち去るのですが、イネスはここで首を切られ処刑
されます。

伝説では、この時のイネスの流した涙が、コインブラを流れるモン
デーゴを溢れさせキンタ・ダス・ラグリマス=Quinta das Lagrimas
(Quinta=荘園 Lagrimas=涙)の「愛の泉=Fonte dos Amors」が
でき、そこの赤い藻はイネスから流れた血でできたと言われます。

さて、物語はイネスのこの死でペドロ王子も諦めがつき、終わりかと
思うと、実はそうではないのです。
この後日談がまたすごいのであります。

Pt.2、http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-702.html
続きます。
コメント
前にポルトガルに行った時、
コインブラにも行ったので
イネスの悲恋の物語はガイドブックで少しだけ読みました!(肝心の泉は休みで閉まっていたのでみられませんでしたが・・・・イネスの石棺も見てきたんですよ(^^)

ほとんど忘れてしまったお話の続きも知りたいし、spacesisさんの突っ込みも面白いく(笑)・・続き楽しみにしていまーす!!




2009/02/04(Wed) 23:45 | URL | tulp | 【編集
>tulpさん

おお!アルコバッサへ行ったのですね^^
わたしも昨夏、やっと行ってきました。
書き加えるのを忘れていましたが、よく調べると
史実としてはイネスが死んだ場所はキンタ・ダ・ラグリマでは
なく、サンタクララ小宮殿だそうですよ。

次回は棺説明のご案内です。或いはもうご存知かもしれませんが^^

いつもコメントありがとうございます。
励みになります。
2009/02/06(Fri) 18:35 | URL | spacesis | 【編集
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