2009年4月25日

ポルトガルの「4月25日」については、すでに何度か触れています
が、わたし自身への戒めとして、今年も紹介させてください。

今年はポルトガルの無血革命(カーネーション革命とも言う)35周
年にあたります。
下記の記事は2007年のこの日にホームページで書いたものです。

ー抵抗の歌人・ゼカ・アフォンソー
4月25日1
希望はいいものだ。
多分なによりもいいものだ。
そして、いいものは決して死なない。


スティーブン・キングが、その本「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:
ショーシャンクの空の下)の中で、残虐な刑務所長をしてやり、脱獄
不可能なショーシャンクをついに脱出し、後に仮釈放になった相棒
レッドに宛てた、二人の秘密の場所に埋められていた手紙に書かれ
た主人公アンディー・デュフレーンに言わしめた言葉だ。

わたしは時々、この「希望」を自由に言い換えてみる。
そして、真の自由は、わたしたちが思ったり想像したりするよりずっ
と質素で牧歌的で土に根ざしたものではないかと思うことがある。
自由を渇望したことがなければ、その真髄に触れることはできない
であろう。

そういうことを改めて考えさせられる日が、年に二度ある。
ひとつは、戦後生まれの私は経験してはいないけれども、その不自
由さが書物や人の話から想像できる8月15日の終戦記念日。
もうひとつはポルトガルの4月25日の革命記念日だ。
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ー続きはここからー

別名を「カーネーション革命」とするこの無血革命の記念日は、制定
されてから33年になる。
ポルトガルが独裁政権から自由を奪回してからまだたった33年とい
うことである。

昨夏、日本からやってきた大学生の甥を旧コインブラ大学に案内した
とき、昔のままの姿を残す、大学周辺の細い路地に並ぶ下宿屋を散
策した。その折に見つけた一軒の下宿屋の外壁に、人の顔の青タイ
ル絵がはめ込まれているのを見つけた。 「Zeca Afonsoがコインブ
ラの大学生時代にここに下宿していた」と書かれてある。
カーネーション革命に彼の名は欠かせない。

正式名はJose Manuel Cerqueira Afonso dos Santosだが、Zeca
Afonso(ゼカ・アフォンソ)若しくは単にZecaとして知られる。

幼い頃から健康に恵まれず、裁判官として当時のポルトガル領アフ
リカ・モサンビークに赴任した親兄弟と離れて、本土の親戚の家で
育った。

学生時代にコインブラ・ファドを歌い、地方の人々の暮らしや伝統に
まつわる音楽を自作した。
やがて、Alcobaçaの高校でフランス語と歴史の教師を勤めながら
(この職もやがて追われる)、社会問題を取り上げた作品を多く自
作して歌い、この頃からサラザール独裁政権に対する反ファシスト
地下運動のシンボルとなって行く。

Zecaの歌は放送禁止となり、コンサートの多くは政治警察によって
キャンセルされ、投獄される。
その名前も検閲にひっかかるようになり、そのため「Esoj Osnofa」
というアナグラムを使ったり、レコーディングをフランスやロンドンでし
たりする。
この間、コミュニストへ入党に招待されているが、断っている。

1974年3月29日、満席のリスボンのコリゼウ劇場で催された、
Jose Afonsoを始めその他多くのミュージシャン共演コンサート最終
幕で、彼の歌、 「Glandra ,Vila Morena」(you tube)が全員で高らか
に歌われた。

この時会場には密かに準備されていた4月革命のMFA(国軍運動)
のメンバーが聴衆に混じっており、革命の「カウンターサイン」として
この「Grandla 」の歌を選んだと言われる。
  註:Grândla =グランドラは南部アレンテージュ地方にある小さな
    町の名前。Zeca Afonsoはローカル色豊かで素朴なこの歌で
    グランドラの人々の同胞愛を歌っている。

1974年4月24日午後10時55分、革命開始の合図として最初に
Paulo de Carvalhoの歌、「E depois do adeus」(そして、さようならの
後で)がラジオで流され、革命は静かに始まった。
約1時間後の翌4月25日真夜中00:20、ラジオルネッサンスで流
された「Grândla 」は、「全て順調。行動に移れ」の二度目の合図で、
これを聴いて左翼の若手将校たちが先頭になり無血革命の出撃が
始まったのである。
4月25日3

4月25日朝、クーデターを知った民衆は続々と町へ繰り出し、リスボ
ンのアベニーダ・ドゥ・リベルダーデ(自由通り=息子のアパートがあ
ることころ)は民衆と革命軍で埋め尽くされ、兵士たちの銃にはこの
自由の勝利を祝って、民衆が投げたカーネーションの花が挿し込ま
れていた。
以来、ポルトガルではカーネーションは自由のシンボルとなった。
4月25日2
写真は我が家にある子どもたちの歴史教科書からの一枚。
兵士の銃にはカーネーションが挿されている。

ゼカは1983年、かつて追われた教師の職を再認定され復帰する。
この年にはその功労をねぎらう行賞が与えられたが辞退している。
1987年2月23日Setubalにて病没。3万人が葬列をなし、棺は
遺言通りなんのシンボルも持たない真っ赤な旗に覆われた。

Zeca Afonsoの歌は今もポルトガルのみならずヨーロッパでも聴か
れる。 享年58、どんな党への所属なく勲章なく、ポルトガルの自由
を夢見、歌を武器に闘った歌人である。(2007.4.25記)

4
写真はMatosinhos、革命35周年を記念して赤いカーネーションで
彩られた海辺の広場。数日前から広場の周囲はぐるりとこんな飾り
で囲まれていました。

今日も長いブログ記事、お付き合いいただきありがとうございます。

昨年のこの日に寄せたエッセイはこちら
旧コインブラ大学下宿街にあるZeca Afonsoの写真はこちら
4月25日関連の別エッセイはこち
コインブラ・ファドについてはこちら

コメント
相変わらず~!?
面倒くさい、またうさんげな書き込みがありますね。ちゅうのところもたまにあります。メールにも最近は、迷惑メールが90%。
それにしても、ブログの更新が早い事。お子達の動向を微笑ましく読んでいたら、あっという間に次々と更新。頑張ってますな!
”銃口にカーネーション”は、昔何かで見た事があり、感激したのを覚えています。
先日、昔の仲間達と会いました。平均すると55歳ぐらいの集いでした。昔からの悪友曰く『バカとハゲが、集まると楽しいね!』と言う名言を。男の半数が、まるで坊さんの集りの様だったので。と、とりとめの無い話でした。あっ!それと映画「スラムドッグエミリオネア』を観た。圧巻!だす。
2009/04/26(Sun) 10:34 | URL | 同窓会ちゅう!? | 【編集
>ちゅうさん

ほんと、最近増えましたね。なんとかできないのかしら・・・

ちゅうさんこそ、せっせと食べ物アップに励んでて
悔しい思いでみておりまっせ(笑)
それにしても「バカとハゲ」のお集まり、楽しそうね^^
飲みすぎてそれこそ、バカとハゲが裸にならないよう、
お気をつけあそばせ~(爆)

その映画、チェックしてみます^^
2009/04/26(Sun) 21:14 | URL | spacesis | 【編集
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