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2009年4月30日

今日は3月シントラの帰路、訪ねた「ナザレ」を二日に分けてご案内。

1980年頃にわたしが訪れたナザレは、寂れた小さな漁村の印象
だけが残っている。
独裁政治を布いてきたサラザール首相が事故がもとで執務が難し
くなり引退したが、ポルトガルの民衆が自由を得るには、1974年
4月25日の無血革命まで、更に6年、待たなければならなかった。

わたしがナザレを訪れたのは、革命後6年経ったころだが、ポルト
ガル全体がまだ夜明けの眠りをむさぼってでもいるかのように、
どこへ行っても活気が感じられずに、ナザレのような小さな漁村で
あれば尚更であった。
         
しかし、この時に、ポルトやリスボンなどでは見なかった干し魚を
ナザレで見つけて、わたしは感動したものだ。

あれから30年経った今年の3月に、もう一度寄ってみた。
色あせた写真のような記憶とはうって変わった穏やかなナザレの
海、そして、こぎれいになった町全体の変貌に、わたしはつくづくと
時間の流れを肌に感じた。

ナザレの人
               ナザレのひと   
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ー続きはここからー

今回ナザレに寄ったひとつの理由には、鯵の干物の入手もあった。
ひとつの箱に残り40枚ほど入っていた鯵の干したのを「全部ちょう
だい。」と言うと、こんな数を買う人は少ないのであろう、おばあさん、
喜んで「これも持っていきな!」とおまけで別の魚の乾物も入れて、
更に鯵も他の箱から手づかみで余分に袋に入れてくれた。
   
〆て合計5ユーロ(600円ほど)。安い。
我が家の冷凍室で保存しているが、この干し魚、もう少し工夫して、
柔らかくしてくれたら美味しいのにな^^と思いつつ、もっぱら昼ご飯
にさっと焼いて食べている。
ナザレ1
浜辺一帯は「SECAGEM DE PEIXE」(PEIXE=魚)と呼ばれる魚の干し場。 
ナザレ2
写真のように、海辺に広げられた網板の上に並べて乾燥している。
こちらには「スルメ」もあった!
ナザレ3

少しくぐもった日だったが、海は穏やか。
ナザレ4
浜辺に沿ったモザイク模様のある散歩道。
ナザレ5
ナザレの町は「プライア地区(海岸)」「スィティオ地区(ケーブルで上る
高台地区。右写真高台中央にケーブル線が見える)、「ペデルネイラ
地区(旧漁村。プライア地区から港に向かう途中の地区。)の三つの
エリアに分かれる。

19世紀頃までアルジェリア、フランス、イギリス、オランダなどの海賊に
襲われ続けたナザレの住民にとりぺデルネイラ地域とスィティオ地域は、
住民の襲撃に備えた安全地域であった。
ナザレ7
↑世間話に余念がないナザレの人たち。
ナザレ8
そのままインテリアに使える漁の網。
ナザレ10
↑ナザレの白い路地。行ってきた証拠に(笑)↓
ナザレ11

明日に続きます。
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コメント
ナザレ!
一度めのポルトガル旅行で行きました~。
ちょうど観光の時期が過ぎたころだったので、静かな海の景色を楽しむことができました(^^)食べ物もおいしかったですし(笑)
魚の干物、私も見て、「あ、ここにも干物があるんだ~」とうれしくなりました。

今日のこちらのお写真を拝見して
ナザレを思い出して、また行きたくなってしまいました!!
2009/05/01(Fri) 17:57 | URL | tulp | 【編集
>tulpさん

きっと、tulpさんたち、またポルトガルに旅行に来る
ことになる気がします^^

ところで、そちらの自動車突進テロ、ひどいですね。
ポルトガルのニュースで数度放映されました。
王室の警備、手抜かりだったのかしら?あまりにも
簡単に突進できたのに疑問を持ちました。

本当に物騒な世の中になったものです。


2009/05/02(Sat) 19:20 | URL | spacesis | 【編集
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