2009年10月12日

この春3月に、21年間携わってきたポルト補習授業校を退いた。

補習校8
今年三月の退任式スピーチで。
補習校は、海外に子連れで赴任した経験のある人は分かるだろう
が、そうでない人には耳慣れない言葉かも知れないので、少説明
しようと思う。

正確には補習授業校と言うのだが、家族ぐるみで赴任している企
業の駐在派遣社員などが、子供たちの日本語力の低下や帰任
後の進学などを危惧して設立されたものが多い。
が、近年では、国際結婚や永住家庭の子供の入学が増えてい
るのが現状である。

2007年には世界53カ国195校あり、それらの規模としては
生徒数が10人から1000人以上と様々で、週に一度、たいていは
土曜日に現地の施設や学校を借用、運営されているが、全世界
の約65%が生徒数50人に満たない小規模校だと言われる。

講師は現地採用で、授業は土曜日の朝、3時間半から4時間、
国語算数(数学)を中心に、文科省の定める1年間のカリキュ
ラムを、年間150時間ほどで2科目全てを終えるようになっている。

補習校の経営母体は現地の日本企業商工会や日本人会で、
日本政府の援助対象となるものとならないものがあり、その
運営方法も様々。

補習校入学資格は、原則として日本国籍を有することだが、
なかには、国籍があっても授業についていける日本語能力
を請われる場合もある。

大部分の小規模校は義務教育の小中学部のみだが、ポルト
補習校のように、小さいながらも幼稚園部、高校部を設置
するところもある。

授業形式は学年を併合し、いわゆる寺子屋式の「複式授業」
をとることが多い。
この点は、経済上の問題、講師不足など補習校によって個々
理由がある。
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ー続きはここからー

と、わたしが補習校について知っていることを書いてみま
したが、補習校運営は規模の大小に拘わらず、生徒、講師、
保護者の多大な努力とエネルギーが請われます。

1987年の創立以来、ポルト補習校に講師として携わってきた
のですが、自分たちの設備は皆無、借用校の小さな2教室で、
全校生10人、4クラス、二人の講師で出発した学校でした。

hoshuko

わたしも当時まで教壇に立った経験がなく、親御さんたちも海外
生活が初めてという、暗中模索の中で突き進んできた補習校で
したが、当時は講師、保護者との連携がよく、「みんなで補習校
を作り上げていくのだ」との意識が強かったと思います。

わたしの場合は、長男がちょうど就学年齢にあったことで、講師、
保護者の二足のわらじを履くことになりましたが、その点もなん
となくうまい具合に運びました。
補習校2

ま、退職するまでの21年間、まったく何事も起こらなかったと言え
ば、そこはそれ、小さくとも日本人社会ですので、些事はそれなり
にありましたが、今は跡形もなく、いいことばかりが思い出される
のです。

補習校1

今日、突然こんなことを話すのは、今回の9月の帰国でポルト
補習校開講当時の、言うなれば1、2期生の親御さんたちと再会を
祝して来た事を書いて見たいからです。

あの頃ポルトに駐在してわたしが比較的親しく行き来したみなさん、
日本へ帰国して15年くらいになるでしょうか。
その間、音信も途絶え、時々風の噂で「○○君がどうした」とか、
「○○さんはどこそこへ再び転勤」とかの話は耳に入っても、直接
コンタクトをとることは稀でした。

ポルトに補習校ができる少し前から駐在していたTさん一家とは
双方の子供たちの年齢も近かったことから、家族ぐるみでお付き
合いしていたのですが、彼らの帰国後は音信不通になり、5年
ほど前から、わたしは探し始めたのです。

そして3年前にやっと、人づてにTさんの電話番号を手に入れる
ことができ、「きっとびっくりするだろうな^^」とワクワクしながら、
即、ご自宅に国際電話を入れました。

「もしもし・・・」と受話器の向こうから懐かしいT夫人の声です。
「まぁ、yuko先生!」とわたしの電話に驚く彼女の声。
「ご無沙汰してます。随分探しましたよ。お元気?」とわたし。

すると、少しの沈黙後に帰って来た返答が、
「本当に奇遇なことです。実は今日は主人の通夜なのです」

持っていた受話器を落としそうになった瞬間でした。

うそ!だって、あんなに元気溌剌としたご主人だったではないで
すか!
「ここ数年、実はガンを患っていて、それが急に悪化し・・・」との
お話。
聴くも辛く話すも辛く、その日は、わたしが担任だった息子
さんのT君と電話で短く話し、またの機会に電話、ということで
受話器を置きました。
補習校6

お酒の好きだったT氏、わたしも当時は40になるかならないかで
結構お酒もいける口、家族で一緒に食事をしては、T氏と教育論を
闘わしたものです。

あぁ、わたしがもう少し早く探し当てていたら・・・好きなポルトガル
のワインをせめてお送りすることができたのに、懐かしいポルトの
思い出話をせめて電話ででもすることができたのに、と悔やまれて
仕方がなかったのでした。

せめてご仏前にと、懐かしいポルトの味「Vinho Verde」をお送りし、
わたしの次回の帰国には是非会いましょうとあいなったのでした。

T氏のお通夜の席に連絡がとれるとは、ただ奇遇と言ってしまって
いいのか。T氏がこの世とのお別れ間際に、もしかして思い出深い
ポルトを思い起こし、わたしはそれに呼ばれたのかも知れない、と
ふとそんなことを思ってしまった出来事でした。

T氏ご一家と親しくしていた方たちにもなんとかお報せしたいと思
い、時々メールのやりとりをしていた静岡のSさんに連絡、彼女か
ら他の方たちにT氏の訃報を流していただきました。

そうして今回、わたしの2年半ぶりの帰国を機に、銀座の東武ホテ
ル内のレストランで、わたしも含めて4人の「ポルト補習校同窓会」
(勝手にわたしが名づけてるw)が開けたのでした。

補習校OB会

Tさんは千葉から、上述のSさんとMさんお二人は静岡からわざ
わざ出て来てくれました。(静岡のお二人とは前回の帰国時にも
会っている)

今は成長したそれぞれの子供たちの話(もう皆、20代、そして30
代の入り口です^^、)今の生活の話、懐かしいポルトの話と、ポル
トガル式の数時間に渡るゆっくりとした食事はあっという間でした。

こんな風にして、わたしが帰国することで、ポルト時代を共有した
人たちが集まり、古い時代を懐かしむ時が来たのは、嬉しいこと
です。

hoshuko4

今日は三人との再会で、「振り返れば補習校がある」等とついつ
い補習校話1話として写真とともに(モザイクをかけてはいるが)
綴りましたが、これがシリーズとなるかどうかは不明です。

突発的に懐かしい思い一杯で、また書き出さないとも限りません
が、現在も進行中の学校のことです、思い出話も程ほどに、と
言うことになりましょうか。

願わくは、思い出深い我がポルト補習校に栄えあれ!

2009年3月の退任式についてはこちらまで。
コメント
歓喜の逢瀬
【黄金の国ジバング】行きは良い良い!帰りは辛い!後ろ髪は大丈夫でしたか。

往時を回顧‥少ぉ~~~し楽しく!非常~~ぅに切ないですぅ。時代は異なります、が、やっぱ!ターザンは「ワィズミュラ-」です、ね。

Escola Complementar Japonesa Porto でしたっけ?。2003年【リスボン補習校】にも、同名の「ゆうこ先生」が居られて情報誌を発行された。と言う記述を【りしゅぼあ・かふぇ】で目にしました。

11月開催は【日本文化展】でしたっけ?展示して欲しい物があったのです、が、もう間に合いませんか。間に合う様でしたらメールします。ゴンタ君の哀愁の後姿‥気になります。(御ホームページのプロフィールの年譜がチゴとります)
2009/10/15(Thu) 02:39 | URL | 非行左衛門 | 【編集
>非行左衛門殿

こんにちは。お久しぶりです。

相変わらず情報網のアンテナ、はっておりますね^^

プロフィールの年号、ほんと、間違っておりまする^^;
教えていただき、ありがとうございます。
後ほど訂正しておきます。

後ろ髪ひかれるものの、生活の根拠はやはりこちらです、
思いっきりよく帰って参りました(笑)
子供たち、炊事洗濯掃除、係がいなくなって、多少がっかり
していることでしょう。

ところで、展示して欲しい物、ありますか!
展示会は11月14日で、目下ディスプレイをどんな具合に
しようかと頭を悩ましております。

会場がギャラリーなもので、テーブル、机類の数が少なく、
展示物をいかように飾るかと、素人頭の知恵を色々めぐらしております。

ま、無い物をどのように埋め合わせて展示するかと
いうのも、実は楽しい部分ではあるのですが(笑)

非行左衛門殿、もし見においでになられる距離におられるのでしたら、
是非これを機会にお目通り願いたいものですぞ^^
2009/10/17(Sat) 07:14 | URL | spacesis | 【編集
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