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2009年11月25日 

rua-candido-reis1
★ポルト百景。アールデコ調の美しいバルコニーを見つけた。


誰の言葉だったか忘れたが、60が近づく頃ともなると人間どういう
わけか同窓会とやらが気になるのだそうだ。

気になるのは同窓会よりもむしろ同窓生だとわたしは思うのだが、
その同窓会へのいざないのきっかけが、数年前、母校卒業後40
数年もしてある日突然、わたしにはやってきたのである。

小学校、中学校、高校と、わたしの学校歴は西宮と大阪での中学
校時代の1年を除いては弘前だ。小学校時代は究極の内弁慶だっ
たわたしは(本当だってばw)、妹と隣近所の同年代の子供たちが
遊び仲間で、学校内の友達はあまり記憶にない。

その隣近所も、下町の祖母の家に大所帯で住んでいたのが、
時計屋をしていた叔父が、他人の保証人を引き受けたがために
とばっちりを受け、他人の借金を肩代わりする羽目になり祖母は
泣く泣く家を売却して、大家族は離散となったので、あの頃の
ガキ大将時代(わたしは大将であった^^)の仲間たちが、今は
どこでどうしているのか分からない。

中学時代の親友はいたが、中学三年生の1年間を転校して西宮、
大阪で過ごしたのと、中学時代の友とは高校も違い、結局離れ
離れになってしまった。

読書に没頭した高校時代は、もちろん人生を語り合った友人が
幾人かはいたが、それも卒業後、大阪へ出たわたしは糸の切れた
凧のように、消息を絶つようなことになってしまい、気がつけば
いつの間にかヨーロッパの西の端の国、ポルトガルに居ついて
いた。

こんな風にして、弘前の同窓生たちとは半世紀近く交信することも
なく来たのだが、ある日、何とはなしに、「Web 同窓会・ゆびとま」
(現在このサイトはどうなってるのだろか?)のアクセスし、たった
一人しか登録されていなかった、しかも記憶にない同期卒業生
名簿に、自分の足跡を残して来たところが、その一人Y君から
「君を覚えています」とメール連絡を受け、そうして同窓生の口
から口へと輪が広がり、それが機になって、卒業後、行方不明を
意味する空白になっていたわたしの住所欄は40数年ぶりに
埋められることになったのだが、さてさて、この長い前置きに
辟易しておられる方もおるでしょう。
しかし、本題はこれからなのであります(爆)

まずは、下記、2007年8月31のブログ日記を引っ張り出させて
ください。題して「人生はカラクリ」。
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ー続きはここからー

亡くなった写真家の星野道夫さんは書いた。
「人生はからくりに満ちている」と。
今日、わたしはその言葉に改めて感じ入り、ひとり胸にジンと来て
いるのだ。

いつもの習慣通り、朝メールボックスを開くと高校時代の友から一通
入っていた。彼女からは二日ばかり前にメールがあったばかりで、
まだ返事を書いていない。書き忘れたことでもあったかな?と思い
何気なく目を通したメールには、

あすなろのママ(同じく同窓生で弘前の彼女のスナックあすなろは
南校卒業生たちの集いの場となっている)にお願いされました。

あなたの中学時代の友人、森○江美子さんって覚えてますか?
昔、手紙をもらったのだけど返事が書けないまま、住所も分からず
ずーっと気になって探してるとのこと、連絡欲しいそうです。


近年メールを受け取ってこんなに驚かされたことはない。
彼女の名をこんなルートで聞かされるとは、想像だにしなかったの
である。

あの頃の彼女の呼び名を呟いてみる。
13、4のわたしたちが浮かんで来て、懐かしいほろ苦い思いが
こみ上げてくる。
音信が途絶えてあれから幾星霜過ぎただろうか。

彼女は中学時代の仲良し友達三人の一人であった。
中学2年でわたしは大阪に、彼女たちは弘前に。
帰郷して受験した高校もお互いに違い、三人仲間のもう一人は、
中卒後就職列車に乗り北陸へ。
わたしたちは離れ離れになったのだ。

やがてわたしは大阪へ、もりは東京へ。
その後、21の歳に大阪で一度再会したきりわたしたちはそれぞれ
の都会での生活に忙しく、いつの間にか音信を絶ってしまった。
もう40年近くの歳月が流れてしまったことになる。

青い夢を、憧れを語り合いわたしたちはいつも三人でつるんでいた。
歌真似もよくしたものだ。わたしの家出の片棒だって担がせた。

その友の名が、記憶の向こうから時を飛び越えて今わたしの目の
前にやってきた。
メールに記されてある電話番号のダイヤルを回す手が思わず震え
ました。
0081の047の○○○○・・・・
国際電話の向こうで呼び出し音が鳴っている。
心臓がドキドキしている。

「もしもし」と受話器の向こうからあの頃と同じ、太い声。
「森○江美子さんのお宅ですか?」と、わたし。
一瞬沈黙の後、「・・・あ!」と彼女の声。
森○は、彼女の旧姓である。「わたし、袖」
この一言で、「ぅわぁ~~~~~!」とお互い言葉にならない歓声
をあげた。

どのようにわたしに辿りついたかをかいつまんで友は説明する。

先ごろ、弘前で中学時代の同窓会があったので現在住んでいる
千葉から出かけた。
そこで集まったなかに「サンペイ」がいて(これがちっともわたし
の記憶にない^^;)彼いわく、
「あの頃、袖に世話になった。会いたいなぁ」との話になった。
その中に、同じ南高校卒業生でわたしを覚えている一人がいて、
どうやら、袖は生きているらしい。あすなろのママが知っているか
も、となりスナックへ彼女たちは足を運んだ。

行くや、
「うん。この春会ったよ。ほら、これ、袖からもらったのよ。」
こうこうしかじかあすなろのママに事情を話し、パソコンを持たな
いママは、わたしたとメールのやりとりをしている我が友にメッセ
ージを託したのだと。

人の世は不思議な縁だな、とわたしはここまでの糸を手繰り寄せ
てみる。

もしも、わたしがかつてyubitomaの南高校卒業生欄に登録しなかっ
たら、わたしを覚えていた同窓生の一人からメールをもらうことは
なかっただろう。
もしも、彼が他の同窓生たちに声をかけなかったら、わたしは京都
で高校時代のかつての親友に会うことは勿論、懐かしい同窓生達
に会うこともなかっただろう。

もしも、そのわたしのニュースが広がっていかなかったら弘前まで
わたしが出かけて36年ぶりに第一期生同窓会に顔を出すことはな
かっただろう。
もしも、あの時「明日には東京へ帰るから。」と2次会であすなろへ
皆と一緒に足を運ばなかったら、そこで新たに今メールのやりとり
をしいる友とはつながらなかったであろう。

もしも、・・・・このひとつでも欠けていたら、今日、中学時代の親友に
めぐり合うことは恐らくなかったことだろう。

かつて我が日記に書いたように、一つ一つの、今自分がすることは
それぞれが小さな点であって、それらがわたしたちの気づかないう
ちにどこかでつながり、一本の線になるのだと感じられる出来事に
わたしは今日再び遭遇したのである。

このような人生のカラクリは、頭ではなるほどと思うことがある
だろうが、ある程度の年齢に到達しないと見えて来ないであろう。

自分が残した足跡を誰かが辿り、いつかまた数十年も前の人との
再会を喜び会えることがあるかも知れないだと思うと、人の世の
不思議なカラクリに、震えを感じないわけにはいかない。

あまりの興奮に、うっかり結婚後の彼女の苗字を聞きそびれて
しまい、手紙を送るのに、翌日もう一度国際電話を入れたのであった。
ー2007年の日記引用終わりー

とまぁ、こういういきさつで、中学時代の親友と連絡がとれたのが
2年前のこと。この後、わたしたちは時々電話でお互いの近況を語って
きたのだが、この9月、わたしが帰国した折に40年ぶりに再会する
ことができた。
みなさま、40年ですよ、40年!10年ひと昔で、20年がふた昔、
そのふた昔が二回繰り返す月日の流れですぞ。

ところがですね、このわたしのすることと来たら、まったくもって情け
ない。いやもう、毎度のことではあるが、我ながら今回は(誰だい!
今回は、じゃなくて、今回も!だろ、なんて言ってるのは~)がっくり
コウベも双肩に陥没、入る穴を探す気力も失うほどの大失敗をしで
かしてきたのでありました。

約束の当日、「ああ一体、彼女はどんな風に変わってるだろうか」と
胸膨らませて、西船橋で電車を乗り継ぎ、子供たちのアパートから
かなり近いところに住んでいる彼女の家の駅へ向かった、電車を
下りた、待ち合わせ場所の改札口へゆっくり足を運んだ。

改札口には・・・・誰もいない・・・・ひとっこ一人いない・・・・
ふむ、ちょっと遅れてくるな?と合点し、ドキドキしながら改札口の
内側でしばらく待った。
が・・あれ?現れんぞ^^;

そこでケータイを持ってないわたし、赤電話でまずは彼女のケータイ
へダイヤルを回すが、応答なし。次には自宅へ電話をしたが、ウンも
スンもない。 おい!と少し胸騒ぎがした。
もしかしたら、電話番号を間違って控えたのかもしれない。

そこで、会社で仕事をしているモイケル娘のケータイへ確認の電話を
入れたのだが、こっちもウンもスンもない。何度電話しても出ない!
(後で娘が帰宅して分かったことだが、この日に限ってモイケル娘、
ケータイを家に忘れていったんだと~!出るわけがございんせんわ
い)

何度も何度も我が友モリのケータイに電話を入れ、やっと出た彼女に
「今、あなたの家の駅にいる」と言うと、
「え、駅ってどのえきぃ~?」
「だから、ほら、○○○駅よ」
「あ、あぁた・・・」
@@@@@@!!!

待ち合わせ場所はそこじゃなくて
船橋駅じゃとーーー!


頭で鐘が鳴ります、ギンゴンゴ~~ン。
もう慌てました!足がもつれるほどに走って来た道を電車で逆戻り!
あぁあぁあぁ、これだもんなぁ、わたしって^^;これが40年ぶりの
再会に起こることか~。

ようやく我が友に40年ぶりに再会したのは約束の時間を過ぎること
一時間とは、なんちゅう情けなさ。

行き交う人の多い船橋駅で、それでもわたしたちはすぐにお互いを
見つけることができた。
わたしの中の彼女のイメージは、「背の高い大柄のモリ」だった
のが、その記憶を訂正しなければならなかったのでした。

「あなたがアメリカへ渡ったと風の噂を聞き、カリフォルニアへ旅行に
行った時もこの広いアメリカのどこかに、あなたがいるんだと思った
ものよ。ホントにずっと探してた。こうして再び会えたなんて夢みた
いだ」
声も話し方の癖も中学時代の名残があり、わたしたちはお互いの
過ぎ越しを交歓しながら40年という時空をまるで取り戻しでもする
かのように、ひたすらおしゃべりしたのでした。

モリとわたし

あれから40年も経ってしまったのが嘘のように、あの頃の親友同士
時代に戻れたわたしたちでした。
もう行方がわからない、なんてことはないよね。
こうして、お互いが無事今日まで生きてこれたことに、そして再び
会えたことに、心から感謝して。

うん、人生は凄いカラクリに満ちているなぁ。

で、実はもうひとつ、今回の帰国を前に、我が青春の残像を目の
前にするような出来事に遭遇したのでした。
それは、また次の機会に^^

今日は普段にも増しての長い記事、最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
みなさんにも、こんな素晴らしい人生のカラクリが分かるような出来
事が訪れますように^^

ついでに、我が子供時代の「究極の内弁慶ぶり」の記事は
こちら、「思い出のバスに乗って」へどぞ。

よかったらこちらもどぞ^^。
こちら、「梅の木のある家」にてどぞ。
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コメント
「内弁慶!?」だったなんて・・・?
信じられません。
でも、そそっかしいのは
昔のまんまかな!?
かんちがい姐様、ちゅうのブログに
言い訳の書き込みしてます。

親友との再会、良かったね!
電話する行が感動的でした。
最近は、意味もなく手が震えます。
年のせい?でも、筆やはさみを持つと
ふるえは止まります。
2009/11/26(Thu) 14:25 | URL | いろいろに行動ちゅう! | 【編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009/11/26(Thu) 18:00 |  |  | 【編集
>ちゅうさん

高校に入るまでは全くそうでしたw
内気な人間でも、なにかひとつ自信をもっていいようなものが
自分にもあるのかも?と気づいたときに積極性が
養われると思います。わたしの例がそれ^^
人間て、大きく変われるものです^^

ところで、ちゅうさん、手の振るえって大丈夫?
テ、テニスのしすぎじゃないよね?
それこそ年甲斐もなく^^;
適度な運動はいいけれど、激しいのは毒でありますぞ。
2009/11/27(Fri) 17:55 | URL | spacesis | 【編集
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