2010年8月28日

今日は今年の春に訪れてきたグラナダのロルカの生家について綴りました。

どこの国でも 死はひとつの終わり
死が来て幕はとざされる
だがスペインではちがう
スペインでは幕がひらかれるのだ 
(ガルシア・ロルカ)
ロルカ1

残酷な時代はいつでもどこにでもあります。
グラナダ生まれの詩人劇作家ロルカが生きたのはスペインのそういう時代で
した。ロルカが自分の早期の死を予期していたかどうかは分かりませんが、
彼の多くの詩には死を追悼するのが多いように思われます。
ロルカは死によってこそその名を永遠に人々の胸に刻んだのかも知れません。

わたしはロルカの研究者ではなく、青春時代の一時期に彼の短い一生に
興味を持って本を読み漁っただけなので、あれやこれやと持論を展開できる
術は持ちません。しかし、詩人の銃殺という残酷な粛清の事実には今も若い
時同様に大きな恐怖と悲しみを覚えます。

そして、自由に言論ができる今の時代に生きる自分の幸運を噛み締めます。

ロルカ2      
ロルカが8歳まで住んでいたという記念館。通りにはオレンジの木。              

ロルカ3
生家の中庭。内部の撮影は禁止だった。   

現在記念館になっているロルカの生家フエンテ・ヴァケーロス(Fuente Va-
queros)はグラナダから30キロほどだろうか、小さな村だが、ロルカの生家
がどこにも案内の標識が見られなかったのは意外でした。

初夏の暑い日ざしを浴びながら、ひなびたグラナダの小さな村フエンテ・ヴァ
ケーロスでロルカ生家を探しながら、村の雰囲気に田舎の持つ独特の閉鎖性を
感じて、わたしは少なからず自分がそれを嫌って都会へ飛び出した19の頃を
思い出していました。

ロルカはグラナダでより、生誕地のフエンテ・ヴァケーロスより、むしろ海外
で誉れを受けているのでしょう。そんなことをふと感じました。
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ー続きはここからー
          
ロルカ4
かろうじて見つけた「Poeta Garcia Lorca=詩人ガルシア・ロルカ」と書か
れて壁にはめ込まれたアズレージュ(青タイル)の上方には、グラナダの
シンボル「ざくろ」が見られます。 

グラナダとはスペイン語で「ざくろ」の意味。レコンキスタ時代、ざくろの
ように堅牢でなかなか陥落しなかったイスラム教徒の街、ついにそれを破り、
アルハンブラ宮殿という実を奪ったことを意味して、グラナダのシンボルの
ざくろは割れているのだそうです。

ロルカ5
記念館の裏側にあるちょっと変わったカフェ。
ロルカ記念館のベルを鳴らしたところ20分ほど待ってくれと言われ、その間、
このカフェで時間をつぶしました。

スペインではどこでも言えるのですが、こちらがスペイン語を理解しようと
しまいと、スペイン語で喋るのである。ロルカ記念館の案内人もそうでした。
見学人はわたしたち夫婦だけです。
                

 詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898-1936)
       
ロルカ6
     
1936年8月19日、スペイン内乱中、フランコ軍ファランヘ党によって
グラナダ郊外のビズナル(Viznar)にて銃殺されました。
ロルカは詩人で劇作家でもあった。「血の婚礼」「イエルマ」などの上演で
名声を得ます。アメリカ、キューバ、アルゼンチンなどを訪問しています。
詩人のジャン・コクトーやダリとも交友がありました。
     
ロルカは思想的にはリベラリストでしたが政治的には大きな活動はなかったと
されます。彼の暗殺はファランヘ党が同性愛者を忌み嫌うことに因むどの説も
ありますが、明らかではありません。
      
記念館内部は撮影禁止なので、パンフレットの画像を載せます。
ロルカ7

多種の才能を持ったロルカは作曲もしており、館内見学中は彼の作曲した音楽
が流されました。透明感がある寂しげな音楽でした。
生家は昔にしては大きな家だったとのことだが、リビング、応接間、寝室など
の小さな数部屋があります。二階ではロルカや彼の上演された作品の写真、
手紙が展示されて資料館になっています。

フランコ政権時代ロルカの本は発禁され、彼の死去により独裁政権が終わり、
やっとロルカについて自由に論じることができるようになりました。
それまでは、ロルカについてはスペイン国内でよりフランス、イギリスなど
欧州でよく知られ論じられていました。

現在グラナダ市内にはロルカの名前を冠したロルカ公園とロルカ博物館があり
ます。
  
なお、ロルカが銃殺されたとされるグラナダ近郊は現在「ロルカ記念公園」
になっていますが、ロルカと同じ時に銃殺された5人の遺族から、遺骨発掘
の要望が出され、2009年10月から公園内の数箇所の発掘作業が行われ
ていました。ただし、ロルカの遺族は、メディアの見世物になることを恐れ、
「このまま静かに眠らせて欲しい」と反対したようです。

2009年12月、公園内では遺骨らしきものは一切発掘されなかったとの
結論が出されました。それでは彼らはいったいどこに埋められたのか?
 
ロルカの死後76年、詩人の死は再び歴史の謎に中に舞い戻ったのでした。

こちらにもロルカの記事あります→「スペインの光と影ガルシア・ロルカ」
コメント
ますます・・・
グラナダに興味がわいてきました。

すさまじい時代を生きてきたんですね。
spacesisさん同様、私も言論の自由な時代に生きれること幸せに思います。

ざくろの話も興味深い。
背景を知るとタイルアートも違う目で見ることができますよね。

遺骨の謎の「その後」はないのでしょうか。
気になりますね~。
2010/08/28(Sat) 10:35 | URL | ピパーナ | 【編集
>ピパーナさん

いつもコメントありがとうございます。

遺骨は数箇所掘ったものの、人のものと思われるものは
何一つ出てこなかったそうですよ。それがつい去年のことです。

ロルカの遺族は発掘を望んでいないことから恐らく彼の遺骨は
永遠に出てくることはないのかな・・・
詩人の死にはなんだかそれが似合っているような気がしない
こともないですね。
2010/08/29(Sun) 07:43 | URL | spacesis | 【編集
そうですか・・・
やはり遺骨らしきものは見つからず、だったんですねぇ・・・

ロルカらしき最期、いや、死して彼らしいと言ったところでしょうか。
2010/09/01(Wed) 10:59 | URL | ピパーナ | 【編集
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