2018年5月25日 

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今日の一枚:Capela do Senhor da Pedra, Gaia

うぉ!危なかった!

夏時間で今はまだまだ明るい夕方7時過ぎ。
アパートの玄関ブザーが鳴ったので、てっきり日本語の生徒さんだと思い、日本語で、「どなたですか?」と聞いた。

これは、普段日本語を皆目耳にしない生徒さんたちのために、誰と分かっていても、日本語で
そう聞くことにしているのだ。「ちゃんと日本語で名前を言わないと、ドアを開けるボタンを押さないわよ^^」と言ってある(笑)

すると、期待に反して、男の声がポルトガル語で何やらわめいている・・・
「○○です」とてっきり日本語で返事が来ると思っていたのに、案に反してポルトガル語が来たもので、咄嗟に反応できない我が頭脳は、数秒@@状態ですぐには返事ができず^^;

「な、なんでしょか?」とやっとポルトガル語で。
「お宅の車の窓があいてまっせー」と、聞いた!
「う、うけぇ?(O que é?)」と、今度はポルトガル語で。(え、えぇ!の意味)
え~らいこっちゃえらいこっちゃ!
聞くなり、家のドアの鍵束をひっつかみ大慌てで階段を下り、外へ出て己の車を駐車してある
向かいのアパートの前に!

うわぁ~~、ほんまや!助手席の窓、全開っ放しやん!
誰やねん!!・・って、自分やん^^;
3時からの日本語教室が終わってから、大急ぎでハイパーマーケットまで車を飛ばし、買い物
をしてその場所に駐車したのが2時間前。

たまたまわたしの車の横に自分の車をつけた、お向かいのアパートの人が知らせてくれたのでした。
その男性、助かったと礼言うわたしに片目をつぶりながら、自分のアパートのドアを開けて入って
行きました。

ふぅ。危なかった^^;あんなことしてたら、「は~い、車中のもの、残さずお持ち帰りくだされ」と
誘惑しているようなものだ・・・・いかんいかん^^;しかし、お向かいに入っていったその男性、わたしはまったく見覚えがないのです。わたしには、自分のアパートの前、お向かいのアパートの前とズラリ並んで駐車している車、自分のを除いては、どれがご近所の誰の車かなんて分かりもしません。

へぇ、みんなよく知ってるのね、とまずは思ったのだが、待てよ・・・・やっぱり、茶髪グラサン東洋女の車が目立つのだわぃ^^;それに、毎日定時にジョアキンおじさんとこの畑や庭に来る野良ネコたちにエサを運んでるしね。ほれ、今日もまた行くがな、ってなもんで、こちらは知らなくてもご近所はご存知で。

それに、我が家へ来ていたお掃除のおばさんは、しょっちゅう向かいのカフェに行ってますから、
結構おしゃべりしていたやも知れない^^;
「ほれ、あの青い車、お慌て者のドナ・ユーコの車よ。今朝も行っ たら、鍋を焦がしてたわ。わっはっは」とかなんとか(笑)

しかし、人の口に戸は立てられず、です。
ま、このまま行っちゃうっきゃない^^

でも、夫にはこのまま言っちゃわない(笑) ちっとは自分のボケぶりを自覚せぇ、と、お小言もらいそうだから、内緒内緒、シィ~~・・・・・

え?毎日曜日には夫、向かいのカフェで新聞読むのが習慣だから、どこからかすぐ耳に入るんじゃないのかって? し、知らん^^;
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2018年5月23日 

思えば40年前の今ごろ、わたしは初めてポルトの地を踏んだのだった。この春、一ヶ月の日本滞在を終えて帰ってきたのだが、それと同じ時期だ。

アメリカの大学入学の夢をほっぽりだして、ツーソンをさっさと引き上げ、日本で入籍し、夫は日本での研究期間を終えて先にポルトガルに帰国していたのであった。不安と希望の入り混じった気持ちで、付き添い役で共にポルトにやってきた夫の日本人友人であるドクターD氏とポルトの空港に降り立った日のことが思い出される。

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1979年5月18日成田空港発。ドクターD氏撮影。

当時ヨーロッパへの航路はアラスカのアンカレッジ空港経由になっており、そこからパリへ。わたしとドクターD氏はパリでの8時間という長い待ち時間を利用し、思い切って空港をチェックアウトし、数時間パリの街へ出た。

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パリの街角で

そうして到着したポルト空港はさびれた地方の態をして一瞬とまどったものだ。ポルトガル語が全く話せずにとうとう来た、この先のことは皆目分からないというのがその時の気持ちだった。頼れるのは夫だけ。今でこそ、自分で車を運転し、あちらこちらで日本語を教え少し収入を得られる身分になったものの、当時は夫なくしてはおいそれと出かけるのもままではなかった。 

わたしが来た年、1979年の5月は思いのほか寒い気候だった。セーターを持って来ず、夫のを借りてしのいだものだ。下は夫の友人夫婦たちに囲まれて、Viana de Castelo(ポルトから更に北部)での恒例の祭り会場で歓迎された時の写真だが、着ているのは夫のセーターだ。
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わたしの横が同行してきた若かりし頃のドクターD氏。この仲間の中には既に鬼籍に入った人もいる。夫とわたしのハネムーンはドクターD氏も一緒で、どこへ行ってもわたし達二人は日本人カップルだと見られて苦笑したものだ。

あんな事こんな事と異なる文化背景の衝突が6年間同居した夫の母や親族達との間に多々あったが、今はそれも懐かしい。気がつけばポルトガル在住が母国で暮らした年月をとっくに越えている。

あれ?と母国とポ国の狭間に立つそんな自分を感じたりしている。

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空を見上げればこんな5月が、なんだか少し寂しげな青い空に白い雲。

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に 露みちて、
あげひばり、名のりいで、
かたつむり、枝に這ひ、
神、空に しろしめす、
すべて世は 事もなし(ロバート・ブラウニング 上田敏訳)

God's in His heaven
All's right with the world

この世のことは全て神(クリスチャンでないわたしは「大いなるもの」と訳したい)の摂理のもとにある、神のお導きのままに。希望はいずこにでも見出せるものだ、とでも言っているのか。

七十路の財力なし、大した能力なしの異国に住む女の希望とは、この先何なのか。母国とポ国の狭間に立って、おかしくも、少し揺れている在留40年目のわたしである。

本日はこれにて。
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2018年5月19日 

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5月の夕月

もともとが天然ボケがちなので、ユーさん、時差ボケはあれへんのとちゃう?なぁんて言われたらガクンなのであります。ただ今、時差ボケと奮戦しながら家事、食料品買い出しをこなしております。

帰路、乗り換え地点のフランクフルト空港では、コンピューターシステムに支障があったとかで、ポルト行きのゲートが出発時間ぎりぎりで2度も変更になり、冷や汗をかきました。おまけに出発は1時間以上の遅れです。

早朝に着いて、池井戸潤の「民王」をクックッと笑いかみ締め読みながら、4時間近くも待ち時間をつぶしていた56番ゲートから28番ゲートえ移動って、ターミナルの端っこから端っこへ、みたいなものです^^;パンパンに膨れたキャリーバッグと羽田空港で買い込んだ数箱の「からしめんたいこ」と大好きな「ドラ焼き」2箱が入った袋を引きずって、急ぎ足で歩くのは結構しんどいものです。

16日のフランクフルト空港は多くのフライトのゲートを移動してくれとのアナウンスがひっきりなしで、こんなのは初めてでしたが、とにかく1時間少しの遅れで無事ポルトに帰ることができました。

日本での話はおいおい書くとしまして、滞在中、会って下さった皆さん、お付き合いしていただき楽しいひと時をありがとうございました。また、今回、お会いできなかった方たちにはごめんなさい。次回の楽しみに取っておきたいと思っております。

夕べは頑張って11時までなんとか起きていたものの、朝方4時は目が覚めてエイヤ!と起床、今日から再開する図書館の日本語クラスの準備にとりかかり、6時少し前のただ今、準備終了。窓の外は空が白み、今日一日が始まります。

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あ~あ、出勤前にまだ3時間半もあるんだがなぁ・・・あまり、ガサゴソすると夫が眠れないだろうし。

というので、とにかく無事ポルトに到着した報告でございます。
更新が滞りがちだったブログ、気合を入れてまいりますので、みなさま、宜しくお願いいたします。
では、また明日!


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2018年5月3日

今日は日本にいて、ポルトガルの話題です。

毎年この頃になると、ポルトでは真夜中開始のセレナーデコンサートを皮切りに、一週間を通して「ケイマ・ダス・フィタス(リボンを焼く祭)」が催されます。この祭りは学生たちの卒業儀式とも言われる大祭典です。

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ポルト大学の最終学年生はもちろん、全ての大学生が参加するビッグイベントです。厳かな日本の卒業式とは違い、たくさんのプログラムが組まれて大学生活を目一杯に楽しもうと言う学生中心のイヴェントなのです。

1944年から始まったポルト大学の祭典ですが、近年は市内の私立大学、近郊の大学なども加わり、この一週間でポルトは35万人もの学生色に染まると言われます。中でも「コルテージュ」と呼ばれるパレードは多くの見物人も押しよせるハイライト。

パレードでは色とりどりのリボンがたなびき、黄色は医学部、水色は理学部、赤は法学部と、各学部によって色が定められており終学年生は黒スーツ、フロックコートを身にまとい、リボンと同色のトップハットとステッキで行進します。

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後方には衣装に面白い工夫を凝らした在学生が続き、パレードの順番もトップが医学部、理学部と決まっていますが、これは学部が設置された順です。

クリスタル宮殿公園の裏道から出発し、飲んで歌って踊りながらゆっくりとクレリゴス塔通りを抜けて、市庁舎前に到着、市長から祝福を受けます。午後3時に始まるパレードが終わるのは夜です。

卒業儀式でもある祭典なのですが、実は学生の卒業試験はこの後に控えていると言うから、楽しさを先取りする大学生の底抜けな明るさがなんとも愉快ですね。
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2018年4月8日 

大阪出身の我が友は帰国と決めると半年以上も前にさっさと切符を買い、遅くとも一ヶ月前には持っていくものを旅行カバンに入れ込んで準備するのだという。

わたしはと言えば、9時から5時までの仕事ではないが、わたしなりに忙しく仕事をしていると思っているもので、旅行カバンをベッドの下から引っ張り出すのは、やはり早くて2週間ほど前になる。2週間あれば、なんとかなるのだ。 

一ヶ月ほど帰国しようと思うと、授業を4週間飛ばすことになる故、それを避けるため、時期を選んで、相棒のOちゃんが仕事のない補習校の春休みを入れ、2週間日本語のクラスを担当してもらい、残りの2週間をクラスの休みにするのである。

それで、ちょうど東京ではさくらの時期にあたる3月の半ばから4月の半ばの帰国というわけだ。

しかし、今回は故郷弘前のホテル予約の関係上、帰国の時期が例年よりずれてしまった。すると、この時期の帰国でどうしても問題になるのが、図書館の日本語コースなのである。先週末が復活祭で、図書館も閉館しており、授業も休まなければならなくなったところに、すぐ4週間ものクラス休暇は、いかな、いい加減なところがあるわたしでも気になるものだ。

そこで、今年は3週間の滞在と決め、切符も用意していたのだが、先週、突然図書館から、「4月21日、土曜日は部屋が使えません」と連絡が入り、え!!なのであった。

どうしようか?と思ったのだが、夫に話してみると「いいよ」との返事。 それで即切符の変更をしてもらった。こういうときのために、変更料を多少払うことになるが、切符は変更可能なものを買う。

そんな訳で、22日の帰国予定が一週間早まり、来週日曜日の朝になり、実は午前中の日本語教室が終わった後、あたふたと雨が降ったり止んだりの中、観光客に混じって、妹に頼まれたお土産お土産とダウンタウンに出かけたのである。

写真は晴れ間が除いた瞬間に撮ったポルトダウンタウン。

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お土産は行きつけの店、二軒に顔を出し、今回は思い切って旅行カバンを2つ持っていくことにしたもので、取りあえず日曜日の今日は朝から、次から次へと荷物をカバンに放り込む。んで、目下こんな具合なのです。

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亡くなった山本夏彦氏、よく言ったものです、「愚図の大忙し」とは(笑)

晴れ間を見て、ベランダへ出、ふと空を見上げると、うわぁ~、虹だ!

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4週間も夫を猫とともに放ったらかしにして行くのですから、いかなわたしでも多少の後ろめたい気持ちがあるんです。でも、虹ってさい先がいいような気がします(笑)

虹は空にかかっていても気付く人と気付かない人がいますね。そうして見れば、わたしはポルトガルに来てから、よく虹を見かけます。虹には気付いた人に「ネガティブな感情の一切を手放し、進みましょう」というメッセージがこめられているのだそうですよ。

そかそか。せっかくの年に一度の帰国です。後ろめたさを捨てて、どんどん来週へ進もう、と勝手解釈。てへへのへ。
ということで、日本語生徒さんたちに残していく宿題作成と、5月中旬締め切りの依頼原稿に今週は取り組まなくちゃ!

心はずんで、ブログ内に誤字脱字もあろうやも知れませぬが、本日もご勘弁をば。
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