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2019年2月16日 

長芋、一本持ってきてくれない?と息子に頼んだら、どっさり持って来た(笑) 嬉しい限りである。そう、目下息子が帰って来ていて、仕事もしているので、ブログの更新が滞ってしまいました。
Porto Armazem

さて、先日お約束の「アルマゼィン」内のバーの紹介です。

Porto Armazem

店の入り口を入ると左側に。だだっ広く天井が高い店内は寒い時期はちょっと遠慮したいところですが、バーの前には暖炉があり、お猫様が客を恐れもせずその前を陣取っておりました。
Porto Armazem

これなら生ビールも飲めるというので、私たちも暖炉の前のテーブルに席をとり、簡単な昼ごはんです。
Porto Armazem

店の写真からなるメニュー
Porto Armazem

わたしたちが食べたチーズ、きのこ、生ハム、レタスの入ったポルトサンドイッチ。味はGood.
armazem28_1.jpg


毎月第3週末はヴィンテージのみ市があり、展示会やイベントも催されるとのこと。
かつてのワイン倉庫の名残りのアーケード。
Porto Armazem

Porto Armazem

乱雑に並べられた物の中には掘り出し物があるかもしれませんね。
Porto Armazem

ではみなさま、本日はこれにて。
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2019年2月11日 

ポルト散策は一人ですたすた歩くのが好きなのだが、たまには夫も誘ってみるのも良し。特に軽く飲めるところとなると、女一人では、いかなわたしでも日本以外では入りにくいと言うもの。

そんなわけで、先週末、夫を誘って覗いてきた所が、川沿いの町Miragaia(ミラガイア=ガイアが見渡せるところの意味)の一角にある骨董店Armazém。今日は写真が盛りだくさんです。

ポルトの骨董や

かつてはポルトワイン倉庫でしたが、使われなくなり長い間放置されていたのを2015年に色々な種類の骨董品を集めていたアンチーク商の女店主が同業者と共にオープンしたと言われます。

ミラガイア地区を散策しながら、何度かこの前を通り過ぎていたのですが、「Armazém」と言う名前からして、何かの倉庫であろうかと思い、足を向けなかったのですが、穴場でありました。

armazem31-1.jpg

入り口に貼られたレトロなポスター↑↓

ポルトの骨董や

昔々のラジオ
ポルトの骨董や

グランドピアノやビリヤードのプールテーブルも見られます。
ポルトの骨董や

正面からのグランドピアノ
ポルトの骨董や

古い旅行カバン。今では古い時代の映画でしかみられません。丸いのは帽子入れでしょう。
ポルトの骨董や

何しろ1500㎡もある店内です。こんなものまで。
ポルトの骨董や

こちらはクラシックカー。
ポルトの骨董や

こんなアンティークコレクションスペースも数箇所あります。

ポルトの骨董や

ス、スーパーマンの人形まで(笑)
ポルトの骨董や

ポルトの骨董や

その他、木製のおもちゃや古い雑誌、食器類、人形、家具などなど、アンティークに興味がある人におすすめの店です。観光客にはまだまだ広まっていない穴場でしょう。

次回は店内のBarを紹介します。

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2018年10月30日 

去る7月に夏休みに入って以来、ポルトガル語レッスンをまだ開始していませんでした。

帯状疱疹と不眠症では学習に集中できず、ディアス先生に一応お断りを入れてはあったものの、果たしてこの生徒を再び受け入れてくれるかと連絡をしてみたら、「いらっしゃい」とのご返事。

やっと、今日から始めるのですが、昨日、予習をしようと開いたページは「Rua das Flores(花通り)」について書かれてありました。現在のサンタ・カタリナ通りができる以前の昔、この通りはポルトの街の繁華街で今でも老舗が並んでおり、お気に入りのポルトガル手芸品店「Memorias」もあるので、わたしはしょっちゅう歩いてきました。

読むうちに、うわ、これだったのか!と、長年謎だったシンボルの謎が解けたのであります↓

rua-flores_simblo1.jpg

これは花通りにある現在修復中の古い屋敷、Casa dos Maias(マイア一族の家)の表壁に見られるシンボルです。(ブログ後記で案内しています)

わたしが来た当時の今から40年前から既に荒れ放題に放ったらかしされてきたのですが、屋敷は18世紀に改築され、改築にはトスカーナの建築家ニコラウ・ナゾニが関したと言われます。つまり、この屋敷はもっと昔の16世紀始めから、このシンボルとともにあったのです。

この屋敷の正面に見られるBrasão(ブラザォン=紋章)については調べて分かっているのですが、それにしても、はて?これは何のシンボルであろうか?と長年謎でした。

さて、16世紀始めにドン・マヌエル一世によって「花通り」は開通され、一帯にはサン・ドミンゴス教会、修道院が建築されました。当時のポルトの司祭は、Alpedrinha(ポルトガル中部地方の町)司祭の甥のペドロ・コスタでした。

このAlpedrinha司祭がアレキサンドリアの聖カタリナの家族と血族関係があると言われることから、ポルトの司祭は、紋章として「聖カタリナの車輪」のシンボルを使い始めました。以来、司祭にの属する建物には、この車輪のシンボルがつけられるようになったとのこと。

「車輪」は聖カタリナが拷問を受けた彼女のシンボルであり、ポルトガル語では「Roda de Navalha」と言います。

長い間「マイア一族の家」と呼ばれてきたこの屋敷は、16世紀にMartins Ferrazなる貴族の邸宅であったことから、Ferraz 家はポルトの司祭と血縁関係があるのでしょう。屋敷がマイア一族の手に渡った18世紀後も、こうして「聖カタリナの車輪」のシンボルは残ったということになります。

さすれば他の司祭の建物にもこのシンボルが見られることが考えられます。 一度、散策しながら探してみようかと思っています。

現在、「Casa dos Maias」は改築中。ホテルになるのだそうですよ。是非とも、由緒ある二つの紋章は残して欲しいものです。

 「カーザ・ドス・マイアス」 
 「サン・ドミンゴス広場の面白い文具屋さん


本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。



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2018年6月18日 

午後の日本語レッスンが突然キャンセルになり、夫も午後の仕事を終えて家にいる日が時々ある。キャンセルの連絡が早めに入った時は、思い切って我らもツーリスト宜しく二人してポルトの街を歩いてみたりしているこの頃だ。

そうして先週出かけた一つがサン・ドミンゴス広場につながるベルモンテ通りだ。

ruavitoria

↑1804年以来営業しているベルモンテ通りの薬屋さん。薬屋とは思えない美しいファシャーダ(門)。隣接する昔ながらの文房具屋がホテルになってしまったのだが、この薬局店がそうならないことを祈るばかりだ。店内はどんな感じだろうかと期待して、買うべき薬があったので入ってみたら、ごく普通のカウンター式だった。 

その横、建物と建物の間に狭い石段がある。左側の建物は長い間、廃墟のまま放置されてきたのだが、数年前に改築された。

ruavitoria

この石段の逆コース、つまり別場所から石段にたどり着く道を歩いたことがあるので、それを紹介。以下。


ずっと気に入っていた場所で、実を言えば長い間ブログには登場させないで秘匿としていたのだが、ポルトの街の中でもわたしの気に入りで取って置きの場所がある。

市内を探検しているうちに偶然見つけたMiradouro(ミラドウロ=パノラミックな景色が見られる場所のこと)だが、私有地なので最初は恐る恐る足を入れてこの素晴らしい展望に感嘆していた。そのうちに、「自由に入ってください」という小さな立て札を目にして以来、遠慮なく入らせてもらっている。

Vitoria教会(ヴィトーリア教会)のすぐ横にある広場である。

Ruavitoria1

↑そこに立つと下方に密集する赤レンガの屋根屋根が、そして右手にはドウロ川が大西洋に流れ込む河口も展望でき、↓左手には大寺院、ドン・ルイス一世橋、ドウロ川対岸のかつてのセラ・ド・ピラール修道院などが眺められ、ドウロ川周辺を一望できるのだ。
Ruavitoria1

Vitoria区域のその場所から見下ろすと石段がある。

vitoria_escadas.jpg
↑こんな風な駐車はないよなぁと、ポルトガル人の肝に苦笑しながらVitoria石段を降りた。

Ruavitoria1

降り切った通りが16世紀終わりごろからある小さなVitoria通り。途中でこんな石段を見つけ、いったいどこへ出るのかとフォローしてみることにした。

Ruavitoria1

ぬぬぬ・・・・こ、工事中じゃん!ちょっと危ないかも~、と思いはすれ、前方を行く人の姿を認め勇気を振り絞って続いてみる。
Ruavitoria1

vitoria7.jpg

そうして出たところが、なんと、Rua Belmonte(ベルモンテ通り)とサン・ドミンゴス広場が交差する辺りであった!

Rua de Vitoria

写真は以前撮影した廃墟だった建物に手が入れられたところ。下が廃墟時代。そして、もう一度、現在の石段と原型をしっかり留めて蘇った建物。

ruavitoria


古い建物こそポルトの旧市街に似合う。


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2018年5月21日 

何年も前から気になっていた「モンシーク修道院=Convent de Madre Deus de Monchique)」を探しに行ったのは、かれこれ10年ほども前になります。

こういう探し物探検は一人で行くのが好きなのですが、休日に夫をほったらかしては、ちょっとまずいので、話を振ってみると一緒に来ると言う。
「いや、ぼくはいいよ」をちょっと期待しなかったわけでもないのだが、仕方ない、連れていくかと相成ったのである。

このモンシーク修道院ですが、実はあまり人に知られていない。検索してもこのあたりにある、とは書いてあるのですが、はっきりした所在地が当時はネットでも見つかりませんでした。

そこで週に一度、わたしがレッスンを受けに行っている、ポルトガル語の先生、かつてはポルトの私立学校ロザリオの先生で我が子達のポルトガル語も見てくださったのですが、モンシーク修道院がどこにあるか、たずねてみました。

と言うのは、10年ほど前に定年退職し、インターネットなどもしっかり勉強して、悠々自適の生活、話題が豊富な方で、わたしは大好きなのですが、その昔、神学を学んでおられたのです。

神の愛をとるか、愛の神をとるか、とタイスのごとく悩んだ末、愛の神を選んで結婚、教職に長年就かれたお方です。(註:タイス=オペラ「タイス」の主人公。ただし、タイスは女性。「タイスの瞑想曲」は追記で聴けます)

そこでモンシーク修道院がどこにあるかご存知なのではとたずねたところ、
「それはアルガルブ(ポルトガル南部)にあります」
と夫と同じことをおっしゃる。
「先生、ポルトにもあるとどこかで読んだ記憶があるのです」
「ふ~~む。聞いたことがないぞ」

モンシーク修道院の話はそこで終わってしまったのですが、翌週レッスンに出かけると、
「オ・ドナ・ユーコ!これは参ったな。ポルトにもあるとは!」
「正確な住所はわからないが、ドウロ川沿いの方だね。」

先生もわたしとの話の後、ネットで検索したのだそうな^^うほほほほ。モンシーク修道院に関しては、先生よりわたしの方が、先であったのよ^^

さて、ドウロ川に面した並びは小高い地所になる。車をゆっくり走らせながら、あれかもこれかもと、修道院らしき古い建物を見つけては、車を止め、急な坂道を2、3度上り下りしては、どれも見当違い。

細い坂道を見ると、ついどれどれ?と足を向けたくなるわたしとちがい、普段平坦な道しか歩かない夫には細くて急な坂道など縁がない。毎週土曜日午後にはジムに行く彼、「もう今日はこれで運動十分だ。行かなくてもいいや」(笑)

さて、トップ写真にあるBanderinhasのあたりを歩いたとき、ふと横の坂道(この頃にはもう上るのにくたびれかけていた)の突き当たりのトップに像が乗っている古い建物が目に入った。
「ん?あれはなんだ?」と、どんどん上に上るわたし↓

モンシーク3

ふ~む。廃墟で、表の鉄柵戸には錠がおろしてある。

モンシーク1

鉄柵戸越しに少しカメラを上方にずらしてみると、あっ!
モンシーク2

ここだ!ここに間違いない!上にはサンタマリアの像があるではないか。
 
モンシーク修道院の正式名は「Convento de Madre Deus de Monchique」.
Madre Deus とは、聖母のことです。それにしてもこの荒れ放題振りはあまりに気の毒ではないか。

わたしたちが見つけたのは、恐らく修道院の裏側ではないかと推察している。と言うのは、正門になるファシャーダ(fachada)もその跡もないからだ。そのモンシーク修道院のそのファシャーダが、現在どこにあるか、わたしは偶然のことから知っているのであります。

モンシーク・ファシャーダ

画像が多少ぼやけて見えるのは、ガラス戸越しに撮影したからなのです。これがモンシーク修道院にあったファシャーダですが、現在、ポルトのSoaresdos Reis国立美術館の庭に置かれていました。

★このファシャーダは2018年現在、美術館に隣接する競技場に移動されている↓
portal-1.jpg

2010年11月にポルトで開催されたJapan Weekのコーディネーターの仕事を依頼された時、国立美術館との会合で、Japan Weekの展示会場のひとつとなるギャラリーを見せてもらったのですが、ふと目に入った庭のマヌエル様式の美しいファシャーダ。
「あれ?すみません。あのファシャーダは・・・?」と問うと、「モンシークのファシャーダだ」と教えてもらいました。庭には、もうひとつ、一連のモンシークの遺跡と思われる細工のある壁がデンと置かれていたのですが、まさか仕事をほったらかしてそっちの撮影に走るわけには行かず、かろうじてこれだけ撮ることができました。

さて、ここからやっと表題の「ポルトガル文学・破滅の愛」であります。原題は「Amor do Perdição」.。19世紀の文学者カミーロ・ブランコ(Camilo Castelo Branco)の作品のひとつで何度か映画化されている、ゆうなればポルトガル版の「ロミオとジュリエット」です。

このモンシーク修道院を探そうと思い立ち、検索している途中で、この物語の舞台だったことを知ったわけで、私自身は本そのものをまだ読んでいませんが(まだポルトガル語で文学を読めるほどの語学力と時間がない)ざっと以下のような内容とのこと。

家族から乱暴者と疎まれるシモンは父親のライバルの娘、テレザと恋に落ちます。ある日、シモンはテレザを連れ去ろうとする彼女の許婚の従兄弟を誤って死に至らしめてしまいます。二人は引き裂かれ、テレザはこのモンシーク修道院に幽閉、シモンはポルト港から船で去ることを余儀なくされます。シモンの乗る船をモンシーク修道院の窓から見送り、傷心のあまり息を引き取るテレザ。その幻影を見てシモンもやがて重い病にかかり船中で亡くなります。

1.jpg
↑モンシーク修道院の建つ場所からはドウロ川がよく眺められ、この本の舞台に選ばれたのはなるほどとうなずけます。

荒れ放題のモンシーク修道院は、財政的にも苦しかった市当局です。長年放置されてきてついにポザーダとして復活したニコラウ・ナゾニの「フレイシュ宮殿」とは違い、もう修復不可能だと思われ、恐らくファシャーダなど一部の遺跡は、国立美術館に移されたのでしょう。

わたしがこの修道院を見つけた当時は資料が見つからず、上記に書いたことがせいいっぱいだったのですが、少し見つけましたので、加えておきます。

モンシーク修道院は1533年に、祈願のために富裕のPedro da Cunha Coutinhoとその妻によってミラガイア地区に建てら、ポルトでも重要な修道院のひとつでした。17世紀には70人もの尼僧と富裕層の子女、それに伴った召使が住んでいました。

が、19世紀初期のリベラリスト、ドン・ペドロ4世と絶対王政主義者ドン・ミゲルとの間に起こったポルトガル内戦でドン・ペドロが勝利し、国内から宗教団体は追放され、モンシーク修道院も閉鎖、放置されてきました。

もし、カミーロ・ブランコが「破滅の愛」を書かなかったら、恐らく多くの人はモンシーク修道院の存在を知らなかったかもしれませんね。

現在、売られた修道院の一部はホテル建築に当てられ工事中とのこと。 これもポルトがにわかに観光客の人気スポットになったからだと言えましょう。

近々その現場に足を運んでみたいと思っています。

「タイスの瞑想曲」。近頃好きな2CELLOSの一人、チェロ奏者Hauserの演奏です。


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